概要
国道340号線、小烏瀬川西岸の山野内に館は残されている。
館跡の南麓には大楢集落が佇む。
館は上画像の中央の山野であるが、尾根続きの北側山野は一本の堀切で切断し、堀跡はそれぞれ東西斜面へ下っている。
東側は崖状の急斜面となっており、斜面下は小烏瀬川、東側は雑木の斜面となって谷状となっている。
南側は段丘5段が確認でき、西~北、頂部の平場を囲むように一段の帯郭的平場が形成されている。
山頂は東西約10m、南北30mで、館の造りは単純で北側尾根に堀切、南面斜面に5段の腰郭を配したのみである。
西側から山頂
北側から山頂
堀切
南斜面段丘(腰郭)
歴史等
館主、築年代等不明。
地域伝承として、見張場的な館で鐘衝場があったと語られている。
小烏瀬川沿い、さらに北側約2キロにこの地域最大規模の山城、角城館があり、その出城では?或いは見張場として有事の際に鐘を衝いて異変を知らせる館であったとも言われますが、その詳細については不明である。
なお、小烏瀬川沿いの土淵町の館跡は僅か5キロ程の間に北から、栃内館、角城館、大楢館、本宿館、八幡館(松崎町)が残されている。