概要
大巻館は、紫波高水寺城より東南へ約3キロ、北上川河岸の大巻の山野に残されてる。
南北に深い谷が走り、東方は尾根続きの要害堅固な地であり杉林の斜面には2段の帯郭的平場が展開され、館域は、ほぼ南北に3郭が連なり、郭の周囲には空堀が巡らされ北側の郭には土塁及び内堀が残されている。
北側~西側斜面には3~4段の削平された段状の平場が展開され、一部竪堀もみられる。
遺構ひとつひとつは大きめで、よくその姿をとどめている舘跡でもある。
本丸跡
本丸下(東側)の帯郭
北東側の切岸(空堀)
二の郭下の空堀・・・中央は三の郭
二の郭から本丸東側
河村一族
館主一族は河村氏歴代と伝えられる。
大巻館の河村氏は鎌倉時代末期、河村秀清の五代の孫、秀興が分家し、この地を本拠としたとも伝えられるが河村四郎秀清が文治5年(1189)平泉の藤原氏追討の功により源 頼朝より斯波郡内を拝領したことによるとも云われている。
南北朝時代、南朝方として北の南部氏と共に活躍し、北上川河東地域に勢力を拡大し、岩手郡内にも広く浸透したことにより、一族といわれる玉山、川口、大萱生、栃内、江柄、手代森、日戸、渋民、沼宮内の各氏が分族したと伝えられている。
後に南北朝時代後半、北朝方の斯波高水寺、斯波氏に圧迫され、大巻館の河村氏は徐々に斯波氏の勢力下に組み込まれて後に家臣団化されたものと推測されますが、斯波氏によって大巻館の河村宗家は郡内の佐比内へ移封されたと云われている。