日本共産党いわき市議団

日本共産党いわき市議団に所属する伊藤浩之・溝口民子・渡辺博之・坂本康一各議員の日々の活動や市政情報などをお知らせします。

会派名を「日本共産党・市民協同」とすることについて

2019-04-25 10:40:21 | 議員だより
 2016年の市議会議員選挙でご支援をいただき、伊藤浩之、渡辺博之、溝口民子、坂本康一の4議員で、これまで日本共産党いわき市議団として会派を構成してきましたが、4月22日、「日本共産党・市民共同」に名称を変更する届出を議長に提出し、引き続き4人会派として活動していくことになりました。会派名変更にあたって声明をまとめ、変更の理由等を公表することにしましたので、本号に掲載いたします。これまで同様、みな様のご支援・ご鞭撻を心からお願いします。

 これまで当会派は、「日本共産党いわき市議団」として活動してきましたが、今後「日本共産党・市民共同」と名称を変更し、これまで通り、伊藤浩之、渡辺博之、溝口民子、坂本康一の4議員で活動していくことになりました。
 会派名変更は、伊藤議員が日本共産党から離党したことに伴うものです。
 伊藤議員の表明を受け、市議団所属議員で検討してきた結果、①党を離れても伊藤議員の政治姿勢はこれまでと基本的に変わりがないこと、②前回市議選で4人の市議団で活動することを市民に訴えたことから引き続き4人の枠組みで市民のみな様の声を市政に活かす活動をすすめることが必要と考えたこと―から、伊藤議員が会派を離れるのではなく、今後も4人の会派として活動をすすめることが妥当であるとする考えを確認し、今回、名称を変更するとの合意
に至ったものです。
 伊藤議員が離党に至った背景には、主に二つの事があります。
 一つは、先の市議選を前後して発生した選挙運動等にかかわる法解釈上の相違に関する判断の明確化の求めについて、日本共産党福島県委員会の一部幹部役員及び同いわき・双葉地区の幹部役員により放置されてきたこと。
 二つには、遠野地区に計画された民間のペレット工場設置計画に関わり、政党として市民に公表した内容を伊藤議員から誤りと指摘されたことに関し、その解明を幹部役員が放置し正誤について住民に公表することを回避し続けていること。
 以上中心的には二つの問題から信頼関係が崩れ、伊藤議員は政党人として行動を共にすることができないと判断したことにあります。
 この伊藤議員の判断は、日本共産党の基本的な政策等との間に重大な齟齬が生じたというものではなく、幹部役員の意見との越え難い隔たり、あるいは意見の誤りに対する役員の対応に原因があるものです。このため、会派所属議員の間では、今後選挙等の政党活動で一致できない部分が生じたとしても、市政に対する会派の役割という観点からは離党が会派活動の障害となるものではなく、引き続き4人の会派として活動することが妥当とする判断を共有していま
す。
 会派名変更に伴い、会派体制はこれまでどおり、代表に伊藤浩之、幹事長に渡辺博之、副幹事長に溝口民子、坂本康一とします。会派名は変更されますが、4人の会派で、これまで同様、みな様の声を政治に届ける役割を果たすために努力してまいります。引き続きみな様のご指導・ご鞭撻をお願いします。
2019年4月22日

医療センター前の駐車場は歩行困難者等が優先

2019-04-17 13:43:58 | 議員だより
 トゥルルルルッ、トゥルルルルッーー午後7時過ぎ自宅の電話が鳴りました。電話の主はいわき市医療センターの利用者。センター前の駐車場を障がい者が利用できない問題があるため改善を望むという趣旨のお話をされました。医療センターに確認すると、障がいのある方の外、歩行に難がある利用者等が優先的に使えるよう利用者の整理を図っているとのことでした。センターは開院したものの、周辺設備の整備は道半ばです。全ての工事が完了する来年度内までは、不便をおかけする事になりそうです。                                               【伊藤浩之】

いわき市医療センター正面

■センター駐車場の利用に関心

 総合磐城共立病院を建て替えた新しい病院施設「いわき市医療センター」の開院は、昨年12月のことでした。
 電話の主は言いました。「病院前の駐車場は、障がい者が使えるようになっているが、健常者にも使わせているため、障がい者が使えない事がある。病院に苦情を言っても改善されない。改善を働きかけてほしい」。そこで病院を訪ねることにしました。
 さて、病院の正面玄関を入ると左側に総合案内所があります。来訪の趣旨を伝えていると、隣の女性に説明する別の担当者の声が耳に入ってきました。駐車場について説明しているようです。自宅への電話が示したように、駐車場が利用者の関心事の1つになっていると伺い知れました。
 現在の駐車場は、病院前の127台分と、センターから若干離れたいわき市総合保健福祉センター近くの臨時専用駐車場となります。臨時駐車場と病院間はシャトルバスで結ばれており、歩行にあまり難がない通院患者、お見舞いの方等は、こちらの駐車場を利用していただくことになります。
 医療センターは外来だけで1日に900人以上の患者が利用しています。全員が自家用車で通院しているとは限りませんが、半数としても450台を処理する駐車スペースが必要になります。実際には、入院患者の関係者も利用するのでさらに多くのスペース確保が必要となります、先の127台分(うち6台分は車イス対応)での対応が難しい事は明らかです。

■センター前駐車場利用の優先者

 そこでセンターは、以下の方々が優先して使うことができるようにしていると言います。

○障がいのある方
○骨折等のケガで体が不自由な患者
○入院のため荷物の搬送が必要な来院者
○急変した入院患者の家族等
○救急搬送された患者の家族


 例示された優先利用者は、個々の状況を踏まえて配慮したものとなっており、駐車場利用者の選別指針としては妥当なものと思われます。
 また、センター前の誘導路には3名の整理員が配置されています。車で来院した方の状況を確認し、誘導する役割を担っています。実際、病院前では、車の窓越しに運転手に話しかけ、車を誘導する整理員の姿を見かけます。

■来年度の工事完了が課題解決の時

 何といっても駐車スペースの絶対数が少ない。従ってセンター前では、障がい者などの優先利用該当者がすぐに駐車場に入ることができないケースが生じてしまう事はやむを得ない状況です。
 電話をくださった方は、病院前の駐車スペースの多くが障がい者優先と勘違いされていたようでした。センター側は、病院前の駐車場を利用することに合理的な理由があると考える方を対象にして――つまり対象者をより広くとらえて運用しています。この理解の違いに、苦情の原因があったようです。
 センターは、とにかく丁寧に説明していくしかありませんと話しています。そうしていただきたいと考えます。
 医療センターは、開院したとは言え、全体工事は完了していません。2020年度内予定の工事が完了すれば、駐車スペースは1000台余となり、これらの問題も改善すると考えられます。
 当面は、この現実を踏まえてセンターを利用していただくしかありません。利用する市民のみな様にはご理解をお願いしたいと思います。

子どもが健やかに学び育つ環境整備をー入学式にあたって考えました

2019-04-10 13:48:21 | 議員だより
 入学式に間に合わせるように花開いたサクラ(ソメイヨシノ)が満開になった8日、市立の小中学校でいっせいに入学式が挙行されました。今年の新入生は、小学校で2492名、中学校で2801名。学校生活への希望に胸膨らませ、また、新しい生活へのちょっぴりの不安を持ちながら、入学式の席に着きました。この子たちが、どの子も安心して学び、暮らしていける環境について考えてみます。
              【溝口民子、伊藤浩之】

上遠野小学校の入学式の様子


上遠野中学校の入学式

■意味ある日々と決意

 午前10時、定刻となった上遠野小学校の会場に新入生が入場しました。6年生が組んだ花のアーチをくぐる新入生は、みんな神妙な面持ちに見えます。
 どんな気持ちで歩いているのでしょうか。
 校長先生は式辞で、新入生に「一つは、毎朝自分で起きて朝ごはんを食べてきてください。二つは『はい』『ありがとう』と言えるようになりましょう。三つ目に9時に寝るようにしましょう。四つ目に学校での出来事をおうちの方に話してください」と新入生に四つのお願いをしました。
 子ども達は、明日からこのお願いを実践できるよう精一杯頑張ってくれるでしょう。
 中学校になると、さすがにお話の内容も変わります。
 空を覆っていた雲が晴れ、青空に桜のピンクが映えた午後1時、上遠野中学校の入学式が始まりました。
 校長先生は式辞で、①どんなことにも積極的に取り組む、②仲間を大切にする、③夢を持ち実現に向けて努力する――よう新入生に呼びかけ、「中学生活を意味ある3年間とするためがんばりたい」と新入生は応えました。
 子ども達が人生において新たなスタートを切る入学式は、大人の気持ちも引き締める。そんな機会になっていると思います。子ども達がこれからも、みんな健やかに育ってほしい。そんな思いもわいてきます。

■声がいき施策の前進

 そんなこともあって、祝辞では「保護者のみなさんの教育に寄せる思いを届け、実現のために努力してまいります」と、議会としての決意を込めてお祝いをしています。
 実際、これまでの議会内外の取り組みもあり、様々な施策で前進が見られました。
 一つは就学援助制度です。小中学校への就学が、経済的に困難な世帯に、学校給食や学用品などの費用を支援する制度です。
 該当する世帯の経済的な基準を、本市は明確にしていませんでしたが、現在は、生活保護基準の1.3倍までの収入と、明確にしました。申請を考える目安になります。
 また、2017年度からは、入学準備金が入学前に支給されるようになっています。市民のみなさんの声で実施されるようになったものです。
 二つ目に、児童扶養手当の支給の仕方も変わります。
 4ヶ月に1回の支給では、経済的にきびしいという声が以前からありました。今年11月からは、支給回数を年3回から6回に変更することになりました。
 支給月は奇数月で、2か月分ずつの支給となります。
 三つ目に放課後児童クラブが、今年度、新たに4施設増加することになりました。
 今年度で合計68クラブとなり、今後も、保護者等の要望を踏まえながら、設置が検討されることになります。

■さらに充実めざす

 今後の施策との関わりで、市議団はまず、改定作業がすすむ「子ども子育て支援事業計画」に関して、前提になるアンケートで、子どもの貧困状況をつかむよう求めています。
 市は計画策定を「経済的のみならず、家庭環境などの幅広い視点を持ち、庁内連絡会議を通して貧困対策に取り組む」としていますが、全庁をあげて取り組む前提としても、子どもの貧困を把握するよう求めていきたいと考えています。
 また、市議団は、学校給食無償化で、どの子も安心して学ぶ環境作りを求めてきました。
 市教育委員会は、「保護者負担は食材費や光熱費等となっている中、食材費のみ負担していただいており、無料化は困難」とする姿勢をとり続けています。
 子ども達の教育環境充実の一貫として、給食費の無償化に道を開くことができるよう、今後も強く実現を求めていく考えです。

この際、公用には西暦を使ってはー新元号「令和」に思う

2019-04-10 13:34:25 | 議員だより
 4月30日の現天皇退位、5月1日の新天皇即位に伴い変更される元号は、「令和(れいわ)」とすることが、4月1日に公表されました。思い浮かぶのが、天皇が代わる度に切り替わる公用の日付表記は、社会生活上は実に不便です。何とかならないでしょうか。                     【伊藤浩之】

 次の元号は、万葉集の歌集の序文に使われた言葉「令月(れいげつ)」と「風和(やわら)ぎ」からとられたといいます。
 「令月」は「めでたい月」、「風和ぎ」は「穏やかになる」という意味ですが、安倍首相は令和の意味を「人々が美しく心を寄せ合う中で文化が生まれ育つという意味が込められている」と説明しました。
 一方、巷には「令」に違和感を感じるという声があります。自民党の石破茂氏は「令」の持つ意味について「国民に納得してもらえるよう説明する努力」を求めています。
 なぜでしょうか。「令」が「命ずること」という意味で使われることが多いからです。「よいこと。めでたいこと」という意味もありますが、令の字の成り立ちが、人が集まった様子とひざまずく人の姿を合わせたものと考えると、家来が一生懸命に君主に使える姿への形容から派生した意味と思えなくもないし、もともとこの意味での使用頻度は少ない。石破氏の求めは当然と言えるでしょう。
 さて、従来の元号は中国の古典から選んでおり、今回のように日本の古典文学から選ばれたのは初めてといいます。この背景には、安倍首相の「元号の出典は日本で書かれた書物がいい」(安倍首相周辺関係者)という繰り返しの発言があったようです。
 理由を、「日本の古典から選ぶのは、中国嫌いの右派支持層に配慮したのだと思います」とする官邸関係者の発言が伝えられています。
 だとすればおかしな話です。そもそも天皇一代に一元号という現代の元号のあり方は清や明(現在の中国)の仕組みを取り入れたものといいます。
 おまけに、使われる漢字はもともと中国から伝わった文字。そして出典の序文も、漢文で書かれたものといいます。
 こう考えると、日本の古典へのこだわりにはあまり意味がありません。日本の伝統や文化は、交流した中国等から様々な文化や風習を取り入れ、影響を受けながら創り出されてきたと考えられます。それを分けること自体に無理があります。逆に、安倍首相のこだわりには危うさが漂っているようです。 

元号の常用は不便
   
 安倍首相の政治的意図や、政治的意図があったかどうかも含めて脇に置きますが、ともかく新元号は「令和」に決まりました。脳裏をよぎるのは計算の難しさです。
 私が就職した昭和54(1979)年に亡くなった祖母は明治44年生まれでした。4月1日の報道番組で同年生まれの方が、明治、大正、昭和、平成の4つの元号を生きた人として紹介され懐かしく思い出しました。報道の方の年齢は107歳でした。
 この年齢を、明治44年生まれと聞いて即座に答えることができる人がどれだけいるでしょう。西暦ならば、明治44年は1911年で、今年2019年から減すれば108、誕生日を迎えて108歳と簡単に計算できます。
 議会の質問に立つため質問の趣旨を説明する際に、西暦で質問するので西暦で答えるよう執行部に求めたことがありました。ところが答弁は元号でした。
 例えば、国保税が高騰するきっかけとなった医療費亡国論が唱えられた昭和58年の国保税の国庫負担率と、平成31年の国庫負担率を質問したとして、その間に過ぎた年数を知るためには複雑な思考が必要です。
 ましてや、1983年とする質問に平成31年で答えられたら、聞いている人にはちんぷんかんぷんでしょう。
 もちろん、かねてからあちこちで「文化としてなら元号もいいんじゃない」と話してきましたが、元号に愛着を持つ人がいてもいいし、元号を個人として使うことに異論はないのです。公用としての使用には、いささか不都合が大きくなっているので、西暦に代えた方が良いと言っているにすぎません。
 今やほとんどの新聞も西暦表記を優先させ、元号はカッコ書きで入れる時代です。本市もまじめに検討してみてはいかがでしょうか。