古田史学とMe

古代史を古田氏の方法論を援用して解き明かす(かもしれない…)

東日本大震災から7年を経て

2018年03月13日 | 日常身辺雑事

先日3月11日という日が来ていました。ご存知の通り2011年に起きた東日本大震災の周年記念日です。7年も経ったのかという思いです。その時刻私は家(札幌)にいました。異様に長い地震とその横揺れの長周期にかなり遠い地震だなと思っていましたが、まさか宮城沖とは思いませんでした(せいぜい十勝沖や苫小牧沖ぐらいかと)。ちなみに札幌で震度3から4でした。
 一緒に暮らしていた猫が鳴きながら寄り添ってきたのでこれを抱きかかえ、本棚とオーディオラックが揺れるのを手で押さえ、母にテーブルの下へ入るよう声をかけて数分過ごしていました。長い長い揺れが続いている間マンションのどこかからかバキバキという不気味な音が響いていました。揺れがやっと収まってテレビの速報を見ると間もなく「震度情報」が出ましたが、「6」の範囲が異常に広く、これは間違いなく大津波が来ると考え、すぐさま仙台の親戚(いとこ)に声をかけたところ(昨年彼女の娘が「東松島」でアルバイトしていて海産物を送ってくれていたので)、まだバイトしているか聞いたところ「まだしている」ということで、すぐ連絡を取り「今まで見たことも聞いたこともないような大きな津波が来るからすぐに逃げるように」と声をかけ、周囲の人たちも誘って逃げるように言いました。そのあと全く連絡が取れなくなり、とても不安でした。連絡が取れるまで1週間ぐらいかかったと思います。声を聞いた時には本当にほっとした記憶があります。
 また盛岡と一関にも親戚がいますが、両者ともかなり怖い思いをしたといっていました。特にその夜の余震が強烈で、停電となりそれがかなり続いて辛かったといっていました。いつまた余震が来るかわからず、真っ暗な中で不安に押しつぶされそうだったと言っていました。(もちろん連絡も取れなかったため後から聞いた話です)

 この地震の前に釧路湿原の中に津波痕跡があるという情報が新聞(北海道新聞)に載っていたことや、「奥尻地震」で津波が「奥尻島の山」を超えたという話も伝わっていましたから(最高位にある送電線に海藻が引っ掛かっていたという話があり、波高数十メートル、遡上高百数十メートルであったらしいことが伝えられていました)、テレビで「田老地区」の津波に備えた堤の高さが15mであるというNHKの番組を見て、それ以上の津波が来ないと誰が決めたのかと不思議に思ったことを覚えています。知り合いとそのことを話したら「多分補助金の申請の際に15m以上のものを作ろうとして止められたのでは?」という意見でした。確かにあの防潮堤は国家の補助金で造られたとみられますから、官僚を納得させる必要があり、彼らの想定する高さがその程度であったため、それを超える高さのものに補助金が付かない可能性があったらしいというのです。(この高さは建築学会かどこかの学会が決めた高さであったはずであり、後日その議長が自分の意見と違ったが、多数決で決めたたという趣旨の話をしていたのを聞いて愕然とした記憶があります)このような話はいかにもありそうですが、出来上がった防潮堤(防津波堤というべきか)に多くの住民は安心しきっていたようであり、そのために避難が遅れたということも言われており、聞けば聞くだけ慙愧に堪えない思いです。過去の経験の中で最大値を決める方法の欠点が暴露されたというわけです。

 関西の大震災の際に神戸ポートピアのモノレール工事の際に参考意見を聞かれた学者が地震記録から考えて近い将来強い地震が発生する可能性があるという意見を言ったところ、それはどのぐらいの周期ですか?と聞かれ、大体1000年ぐらいでしょうか、と答えたところ、居合わせた関係者から「失笑」されたという話があります。(テレビで本人が話しているのを聞きました)結局彼の意見具申は通らず耐震性に疑問のある交通体系となったわけですが、その後「大地震」が発生し、この学者の懸念は当たってしまうわけです。これを当然その後の地震対策において「活かされた」と思っていたら、全くそんなことはなかったというわけであり、二重の驚きでした。

 ちなみに気象庁の当初の津波情報がいい加減だったのが響いたという話がありますが、確かに最初マグニチュードは7.9と発表され、その後じわじわと増加し数日で8.8ぐらいまで上がったようです。(9.0になったのはずっと後です)しかし最初の7.9に基づいた津波の高さ情報が5m程度というものであったため、逃げた人たちの中にはそれを信じ込んでいた人も多くいたという話があります。これはあまりに地震が強すぎて地震計が破壊されるほどであり、エネルギーの測定器が飽和してしまったのが大きな原因であったようです。ハワイにある太平洋津波センターでは当初から8.8程度の情報を得ていたものであり、これによれば10mを超えるほどの津波が来るという情報を発信できたはずでした。
 日本の震度計はいずれも火山性微動などを素早くとらえる必要から、感度が非常に高く、強い地震だと振り切れてしまい計測範囲を超えてしまうため正確な計測ができないようです。ハワイだと遠いため振り切れることがなかったため正確なデータが取得できたものです。あえて感度の鈍いものも強い地震用として必要であったようです。(現在はそのようなものも配置されているようです)

 札幌のある石狩平野は大部分が火山灰でおおわれており(支笏カルデラを作った火山の火山灰で30-100mの深さでおおわれている)そのため断層などがあるのかわかりませんでしたが、近年断層があることが判明し(確かにそこは傾斜地です)、いつ起きても不思議はないといわれるようになりました。開拓の歴史が百数十年しかなく、地震の記録なども全くなく前回がいつなのかがよくわかっていないのですが、どうも数百年より前ではないかと考えられているようであり、逆に近年の発生確率はかなり高いといわれるようになりました。その場合夏ならともかく冬に発生した場合はかなりきついこととなりそうです。「凍死者」がかなり出るだろうということが言われていますが、避難命令が出ても受け入れ先はほとんどありません。人口が多いのが響いて受入先が確保できないらしいのです。
 数年前に大雨で大規模な避難命令が出されましたが、それをそのまま実行した人はほんの一部でしたが、それは情報を軽く見たからというより逃げようにも受け入れ先がなかったからといわれています。各地区のセンターや学校などでは全く不足しているのです。人口の数パーセント程度しか収容できないということがいわれています。
 建物そのものは「積雪寒冷地」のための建築が図らずも「耐震建築」と同様の効果を出しているため、崩壊する建物は少ないと思われますが、ライフラインが止まるのが強烈です。暖房が止まるかどうかが生死を分けてしまいます。いくら断熱がよくても「暖房なし」では室内温度が保てません。24時間経過すると多分氷点下付近まで下がるのではないでしょうか。
 うちにはほぼ寝たきりに近い家族がおり、半介護状態ですから、そのような人たちの避難の方法と手段、どこにいけばいいのかが全く示されておらず(もっとも特に冬季には示されても実行できるかは別ですが)、そう考えると不安がいっぱいです。



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