古田史学とMe

古代史を古田氏の方法論を援用して解き明かす(かもしれない…)

「神祇令」と「杖刀人」

2021年02月01日 | 古代史
 「神祇令」によれば六月と十二月の晦の「大祓」の儀式の際に「東西文部」が「刀」を奉ると共に「呪術」を行うとされています。

「神祇令 大祓条」
「凡六月十二月晦日大祓者。中臣上御祓麻。東西文部上祓刀。読祓詞。訖百官男女。聚集祓所。中臣宣祓詞。ト部為解除。」

 この中で「東西文部」(東漢文氏と西漢文氏)の役割として「祓刀」を「上る」とされており、また「祓詞」を「読む」とされています。
さらに「祓詞」については「漢語」であるとされていますが、その内容は『延喜式』に書かれています。

「東文忌寸部献横刀時咒/西文部/准此∥謹請。皇天上帝。三極大君。日月星辰。八方諸神。司命司籍。左東王父。右西王母。五方五帝。四時四気。捧以銀人。請除禍災。捧以金刀。請延帝祚。咒曰。東至扶桑。西至虞淵。南至炎光。北至弱水。千城百国。精治万歳。万歳万歳。」

 この内容を見ると明らかに「道教」的な文言であり、この「祓刀」を「奉る」という儀式全体として「道教的雰囲気」の中にあることが明確です。
 ところで「杖刀」という用語は『令義解』中の「医疾令」の解釈の中で現れるものであり、その意味で「呪禁」は「医療」の一環です。

「医疾令 按摩呪禁生学習条」
「按摩生。学按摩傷折方及刺縛之法。呪禁生。学呪禁解忤持禁之法。皆限三年成。其業成之日。並申送太政官。」

 この「医疾令」に関する『令義解』の説明の中では「呪禁解忤持禁之法」の中身として「杖刀」を持ち「咒文」を読み、「作法禁気」するということが書かれており、それにより「猛獣虎狼毒虫精魅賊盗五兵」から「侵害」を被らず「湯火刀刃」でも傷つけられないとされます。
 この「呪禁」についての「原典」とでもいうべきものが「大唐六典」です。

「唐六典十四」
「咒禁博士一人,從九品下。(隋太醫有咒禁博士一人,皇朝因之,又置咒禁師、咒禁工以佐之,教咒禁生也。)咒禁博士掌教咒禁生以咒禁祓除邪魅之為●(がんだれ萬)者。(有道禁,出於山居方術之士;有禁咒,出於釋氏。以五法神之:一曰存思,二曰禹歩。三曰營目,四曰掌決,五曰手印;皆先禁食葷血,齋戒於壇場以受焉。)」

 これを見ると「唐」以前の「隋」においても「呪禁」が行われていたものであり、唐代になってからの導入とは決めつけられないものがあります。
 この中身は純粋に「医療行為」というよりもっと広義の「災い」を遠ざける意味が強いというべきです。上に挙げた「東西文部」の「祓刀」を捧げ、「呪文」を唱える行為は、「医療」というよりいわば「前段階」における「災い」を防ぐ意味のものであり、やや出番が異なるというべきですが、行為とその中身はほぼ同じと言っていいのではないでしょうか。
 『書紀』には「敏達紀」と「持統紀」に「呪禁」に関する記事があります。

(五七七年)(敏達)六年…
冬十一月庚午朔。百濟國王付還使大別王等。獻經論若干卷并律師。禪師。比丘尼。『咒禁師』。造佛工。造寺工六人。遂安置於難波大別王寺。

(六九一年)(持統)五年…
十二月戊戌朔己亥(二日)。賜醫博士務大參徳自珍。『咒禁博士』木素丁武。沙宅萬首銀人廿両。

 これらはいずれも「百済」と「呪禁」に関する記事であり、そのことから「呪禁師」が行う「呪術」では「漢語」が使用されたであろうことが推測され、それは「大祓」でも「東西」の「漢氏」が「漢語」で「祓」の儀式を行うとされていることにつながるものです。
 「医疾令」の中でも「呪禁生」や「按摩生」には「五位以上の子孫及び東西文部」の子弟から選ばれるとされており、その意味でも「大祓」に「東西文部」が登場することは自然です。
 さらにこのことから「稲荷山古墳」から出土の「金錯銘剣」に書かれた「杖刀人」が行っていたと思われる「呪術」においても「漢語」が使用されていたのではないかと思われ、「道教」的呪文が唱えられていたとみるべきこととなるでしょう。それは「杖刀人首」とされる「乎獲居」が「臣」という役にあったとされることと関連していると思われます。それはこの「臣」が「意濔」などの「万葉仮名」ではなく「臣」という「漢語」で書かれていることにも通じることです。
 彼は「道教的」な文様が書かれた(刻印された)刀(杖刀)を使って、「漢語」としての「文言」を唱えて呪い(まじない)を行っていたものではなかったでしょうか。
 東国における「呪禁」を業とする「杖刀人」も当時は「医療」としての存在であっただろうと思われますが、その後「災い」がおきる前の抑止力としての存在と、「災い」がおきた後の「治癒」を目的の呪術というように分化したものと思われ、それがそのまま(ほぼ変わらない形で)王権の中で受容されたものと思われるものです。そこではいずれも「刀」に宿る「霊力」を主としたものであり、「道教」が強い力を持つ存在として現れています。
コメント    この記事についてブログを書く
« 2020年年末挨拶 | トップ | 「徳政令」と「革命」 »

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

古代史」カテゴリの最新記事