風に吹かれても!雨にうたれても!

桜田淳子さんの幸せを願うとともに、良き70年代の心を少しでも残したいと思います。

前を見る眼差し

2012-08-08 15:51:45 | 日記
最近は、とんと歌番組を見なくなってしまった。
家内にいうと、Mステがあるから、見てみたら、という。

見てみると、賑やかな演出ではあるものの、同じように見えてしかたがない。
出演者は、歌は、そつなくうまいし、踊りだって身のこなしが軽い。申し分ないように思える。

しかし、二、三人みれば満腹だ。それ以上は、苦痛になる。

なんなんだろうか。この虚無感は。
多分、メッセージが心に伝わって来ないからかもしれない。
そもそもメッセージがないのか?
私がアンテナを持ってないのか?

淳子さんが、『17の夏』を歌い上げる『眼光』に吸い込まれ、危なかった記憶がある。
百恵さんの影のある目に傾きかけたのを思いとどまったことがある。
郁恵ちゃんの屈託のない目に妹のような親近感を覚えたことがある。
真子ちゃんの目に妙な愛くるしさを感じたことがある。

70年代のアイドルは、みんなそれぞれに魅力的で、独特な輝きをもっていた。それは、彼女らの目の輝きにあったような気がする。

あの時の僕たちは、彼女らの個性的な、瞳の奥の輝きの秘密を探ろうとしていたのではないか。

なぜ、アイドルの目をいつまでも覚えているのだろう。たぶん、明星、平凡、プレイボーイなど、多数の表紙が、彼女らの目を中心に捉えていたからだろう。

テレビで、彼女らのミニスカートのシーンは多いが、それは、70年代の流行のせいであったし、真理ちゃんやシンシアのアイドル形式の伝統だったように思う。
現に、私自身、最近、YouTubeでみて、淳子さんのスカートの短さに驚いた次第である。そして、脚線美、抜群のスタイル、色の白さに驚いた次第である。

当時、淳子さんやアイドルたちの目を中心に見ていたことに、最近になって気付かされた。
実際、こう言ってはなんだが、百恵さん、郁恵ちゃん、真子ちゃんとスタイルの違いを、当時、感じなかった。

70年代のアイドルのデビュー当時に共通するのは、『私のファンになって欲しい』という気迫が、目に現れていたように思う。
『スター誕生』なとで選ばれた彼女たちの必死の眼差しなのだ。

今の歌手、ミュージシャンにあの訴えかける目の輝きを求めていいのだろうか?
聞かせてあげる、見せてあげる、という感じがしてならない。

今、YouTubeを見て、桜田淳子っていいなと思う人が増えているという。
どうか、『いいスタイルしてるな』とか、『水着がいいな』とかに目を奪われないでもらいたいなぁ、と思う。

そのことにより、淳子さんの『美』を感じられなくなる、鈍感になる、そのことの方が、淳子さんにとっても残念なことだと思う。

淳子さんの残してくれた歌にしても演技にしても、淳子さんが大事に丁寧に植えた『花』を見ていたい。
いつまでも大切にしたい。
そのために、感じられる心を保っていたいと思う。

『この花は私です。
どうぞ、可愛いがって下さい』
『淳子の花物語』より

イワタヤイセタン