風に吹かれても!雨にうたれても!

桜田淳子さんの幸せを願うとともに、良き70年代の心を少しでも残したいと思います。

『坂の上の雲』を見つめて

2012-08-04 14:47:23 | 日記
1960年代から1970年代にかけて「渡辺プロなくしては歌番組やバラエティ番組は作れない」と言われるほどだった。
園まり、沢田研二、布施明、森進一、小柳ルミ子、天地真理、キャンディーズ等の名だたる大スターを多数抱え、番組も多数制作する、『独り勝ち』状態で、まさに渡辺帝国だ。

この芸能界の独占状態に終止符をうったのが、あの『スター誕生』だったことは、芸能史において多く語られてきたことだ。

その『スター誕生』を企画した、日本テレビ、阿久悠さんなどは、まさに特筆に価する。

しかし、攻防の歴史の中で、桜田淳子さんについて語られることは少ない。

73年のレコード大賞最優秀新人賞受賞シーンは、まさに、王者にくさびを打ち込んだ瞬間だった。淳子さんのあの信じられないという顔は、作られた顔ではなかった。

祝賀会に向かう車の中で、『これは、私だけの力でとったものではない』と何度もつぶやいていたという、逸話が残っているが、15歳にして、自分の宿命を知ったことだろう。

最早、倒れることは許されない。倒れることは、時計の針を戻すことになるのだから。

淳子さんは、この逃れられない運命を受け止め、道なき道を前に進んだ。
救いは、淳子さんの天真爛漫さだけだった。それなくして、逆風の荒波は、乗り越えられない。

淳子さんは、『スター誕生』の金看板を背負って、毎日毎日、テレビに出続けた。そして、アイドルというものを守り、つぎのアイドルの成長を見守り続けた。彼女の後輩を見る目は優しいし、芸を見せる姿勢は厳しい。

淳子さんは、マルチタレントだ。歌、芝居、踊り、モノマネ、コント、ときには、浪曲、民謡、腹話術、やってないことは何だったんだろうか、とさえ思わせる。どれも真面目に、手を抜くことなく。

弱小プロダクションでは援軍は期待できない。
勝負の75年、淳子さんの孤軍奮闘ぶりは、際立っていた。
この年、女性歌手部門のタイトルを独占し、歌謡界を席巻した。
この年の大衆賞は、淳子さんの力によるものだったのは、間違いない。

しかし、栄光の中で、新たな刺客が用意されていたことに、誰が気づいただろうか。

便利なYouTubeを見るたびに、淳子さんの笑顔を見るたびに、胸が熱くなる。

戦争では、傷つくのはいつも戦士だ。勇敢で正義感が強ければ、尚更、悲劇的な結末がまっている。

それでも、アイドル戦争を終え、淳子さんは、芸能の新境地を求めてミュージカルなどに挑戦し続けた。

『坂の上の雲』を見つめながら。

『楽天家たちは、
そのような時代人としての体質で、
前をのみ見つめながら歩く。
のぼってゆく坂の上の青い天に
もし一朶(いちだ)の白い雲がかがやいているとすれば、
それのみをみつめて
坂をのぼってゆくであろう。』
『坂の上の雲』(第一巻「あとがき」)より

追伸
アイドル戦争後、安定した芸能生活に見えたが、その後で、あのようなことが待っていようとは。
やはり、受けた傷跡ははかりしれない。
淳子さんの幸を望む。