ヒストリカルロマンスアワー

Historical Romance Hour

お悔やみ申し上げます

2011年05月07日 | Journal

クイーンズランドで3ヶ月に及ぶ大雨と洪水、クライストチャーチの地震、そして関東・東北大震災。また、つい先ごろのアラバマ州の竜巻と、自然の大災害が続いています。

これらの災害で亡くなられた方々や大変な被害にあわれた方々には心からお悔やみとお見舞いを申し上げます。

特に、東日本大震災で冷たい大津波にのまれ亡くなった方達が今は暖かくて平和なところにおり、安らかな気持ちでおられることを願っています。

3月11日の東日本大震災の日、私はまだ日本にいました。
帰豪を数日後にひかえ、スーツケースを宅配便で空港へ送った後でした。

その日は、午後から息子のLHを寝かせたあと、一人で浜を散歩してきました。
またしばらく日本には帰ってくるつもりはないので、子供の頃から馴染んだ風景を目に焼き付ける気持ちで。磯くさいけど新鮮な空気もたくさん吸って。

家に帰ってきてネットをしながらTVを見ていると、地震速報。
実家のほうでは全く揺れなかっただけに、大変大きな地震であったことに驚いていたら、すぐに大津波警報発令。
TV画面の日本列島の地図の東側が赤やオレンジにチカチカ光り、危機感をあおる警告音が鳴り始めます。
その後すぐに、地元の漁協放送からも大津波警報のサイレンが鳴り響き、私はかなり不安になりました。
特に息子の安全のことを思うと、不安で不安で、腹の底から冷たい吐き気がこみ上げてくるほどでした。

三重県の南部もTV画面では真っ赤にチカチカ光っていました。
大津波警報です。
避難勧告が出され、近くには町の住民全員が避難したところもありました。
私達は避難しなかったけど、避難バッグを用意し、それから数日間は夜は普段着のまま寝てました。

大震災から約3日後、関西空港も、私が乗ったゴールドコースト行きの飛行機内も国外脱出する人でいっぱいでした。
チェックインし、ゲートで待っているあいだ、関東のほうから関西国際空港までやってきたというオージー達数人の話を聞きました。
私達が国外脱出する頃までには原発の水素爆発が起こっており、オージー達が仕事もアパートも何もかもそのままにして日本をあとにするのはそのためもあったようです。
被災者の方々に対しては本当に薄情なことだけど、私も飛行機に乗って日本を離れて初めて緊張が解けました。

メルボルンに戻ってきてから毎日NHKのニュースを見ています。
私の母国は一体どうなってしまうんだろうと将来が見えない悲観的な状態から、最近では復興の兆しが見て取れるかと思います。
まだまだ問題山積ですが、復興作業がより速やかに行われることを願っています。
私も微々たるものながら、募金や寄付などできることはさせていただいています。
被災者の皆さんが一日も早く平和な日常を取り戻せることを祈り、応援しています。


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