
キリスト教徒はなぜ「イエスの十字架刑」をユダヤ人のせいにしてきたのか(クーリエ・ジャポン) - Yahoo!ニュース

キリスト教徒はなぜ「イエスの十字架刑」をユダヤ人のせいにしてきたのか
6/14(土) 9:42配信
エルサレムにあったユダヤ神殿の祭司長たちはイエスのことを、自分たちの権威に盾突く、カリスマ的で人気のユダヤ人説教者と見ている。そこで彼らは過越祭(すぎこしまつり=ユダヤ民族の出エジプトを記念する祭)の期間中に、イエスを捕まえさせ、ピラトの前で裁判にかけさせる。
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クーリエ・ジャポン
イエスを処刑すべきか群衆に問うポンテオ・ピラトを描いた、アントニオ・チゼリ『この人を見よ』(19世紀半ば) Photo: Wikimedia Commons
反ユダヤ主義の源流には、ナザレのイエスが十字架刑に処されたのはユダヤ人のせいだとするキリスト教の思想がある。しかしイエスにその刑を科したのは、ローマ総督のポンテオ・ピラトだと新約聖書には記されている。その責任転嫁はなぜ起こったのか。米国の歴史学者ナサナエル・アンドレードが、その経緯をひもとく。
イエスの死刑判決については責任がないと示すために手を洗うピラト
ローマ帝国のユダヤ総督ポンテオ・ピラトが、ナザレのイエスをローマ兵たちに殺害させた──。イエスの復活物語で、単純明快な場面だ。ピラトがイエスに科したのは、ローマの裁判官が社会的な破壊分子に科すことが多かった、十字架刑だった。
新約聖書にはそう書かれている。キリスト教で最重要な信仰表明のひとつ「ニケア信条」(紀元325年)でも、イエスは「ポンティオ・ピラトのもとで、わたしたちのために十字架につけられ」とある(訳は教派によって異なる)。
イエス・キリストの名で伝道した最初の人物である使徒パウロの証言が新約聖書に残されているが、その証言にも十字架につけられたイエスのことが出てくる。
ところが過去2000年にわたり、一部のキリスト教徒がイエスの死に対して、ピラトにはほぼ責任がないと見なし、責任があるのはユダヤ人たちだと非難することは珍しくなかった。これこそ、反ユダヤ主義のグローバルヒストリーを形成してきた信念だ。
中世を通じて、イエスの復活を祝うイースターはユダヤ人共同体にとって危険な時期であることが多かった。キリスト教徒がユダヤ人を「キリスト殺し」として標的にしたからだ。
この認識は、ユダヤ人憎悪と切り離せないものだ。この憎悪がヨーロッパでのユダヤ人に対する集団暴力のきっかけとなり、こうした暴力は19世紀、さらには20世紀に入ってからも続いた。ロシアでのポグロム(ユダヤ人の大虐殺)やナチスによる民族虐殺などもその歴史に含まれる。
なぜキリスト教の教義は事実上、ピラトを見逃したのか。なぜ多くのキリスト教徒はユダヤ人を責めるべきだと主張したのか。
6/14(土) 9:42配信
エルサレムにあったユダヤ神殿の祭司長たちはイエスのことを、自分たちの権威に盾突く、カリスマ的で人気のユダヤ人説教者と見ている。そこで彼らは過越祭(すぎこしまつり=ユダヤ民族の出エジプトを記念する祭)の期間中に、イエスを捕まえさせ、ピラトの前で裁判にかけさせる。
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クーリエ・ジャポン
イエスを処刑すべきか群衆に問うポンテオ・ピラトを描いた、アントニオ・チゼリ『この人を見よ』(19世紀半ば) Photo: Wikimedia Commons
反ユダヤ主義の源流には、ナザレのイエスが十字架刑に処されたのはユダヤ人のせいだとするキリスト教の思想がある。しかしイエスにその刑を科したのは、ローマ総督のポンテオ・ピラトだと新約聖書には記されている。その責任転嫁はなぜ起こったのか。米国の歴史学者ナサナエル・アンドレードが、その経緯をひもとく。
イエスの死刑判決については責任がないと示すために手を洗うピラト
ローマ帝国のユダヤ総督ポンテオ・ピラトが、ナザレのイエスをローマ兵たちに殺害させた──。イエスの復活物語で、単純明快な場面だ。ピラトがイエスに科したのは、ローマの裁判官が社会的な破壊分子に科すことが多かった、十字架刑だった。
新約聖書にはそう書かれている。キリスト教で最重要な信仰表明のひとつ「ニケア信条」(紀元325年)でも、イエスは「ポンティオ・ピラトのもとで、わたしたちのために十字架につけられ」とある(訳は教派によって異なる)。
イエス・キリストの名で伝道した最初の人物である使徒パウロの証言が新約聖書に残されているが、その証言にも十字架につけられたイエスのことが出てくる。
ところが過去2000年にわたり、一部のキリスト教徒がイエスの死に対して、ピラトにはほぼ責任がないと見なし、責任があるのはユダヤ人たちだと非難することは珍しくなかった。これこそ、反ユダヤ主義のグローバルヒストリーを形成してきた信念だ。
中世を通じて、イエスの復活を祝うイースターはユダヤ人共同体にとって危険な時期であることが多かった。キリスト教徒がユダヤ人を「キリスト殺し」として標的にしたからだ。
この認識は、ユダヤ人憎悪と切り離せないものだ。この憎悪がヨーロッパでのユダヤ人に対する集団暴力のきっかけとなり、こうした暴力は19世紀、さらには20世紀に入ってからも続いた。ロシアでのポグロム(ユダヤ人の大虐殺)やナチスによる民族虐殺などもその歴史に含まれる。
なぜキリスト教の教義は事実上、ピラトを見逃したのか。なぜ多くのキリスト教徒はユダヤ人を責めるべきだと主張したのか。
四福音書の筋書き
新約聖書の四福音書(マタイ・マルコ・ルカ・ヨハネ)では、イエスが何の罪も犯していないとピラトは信じている。いくつかの福音書で、ピラトは公然とそう宣言すらしている。
一方、エルサレムにあったユダヤ神殿の祭司長たちはイエスのことを、自分たちの権威に盾突く、カリスマ的で人気のユダヤ人説教者と見ている。そこで彼らは過越祭(すぎこしまつり=ユダヤ民族の出エジプトを記念する祭)の期間中に、イエスを捕まえさせ、ピラトの前で裁判にかけさせる。
ピラトはイエスを釈放しようと画策するが、興奮した群衆はイエスの死を激しく要求する。ピラトは降参し、イエスを十字架刑に処すことにする。そうして死んだイエスが3日後に復活したとキリスト教徒は信じているのだ。
四福音書を読むと、描写のばらつきは多少あれど、この一連の出来事について知ることができる。
イエスの死から少なくとも1世代後に書かれた三福音書は、祭司長たちと群衆がピラトを説き伏せて、イエスを十字架につけたと非難している。
三福音書の数十年後に書かれたヨハネ福音書は、ユダヤ人全体がイエスの死に責任があると描写しており、初期キリスト教文書の大半もそのように描いている。
2世紀半ばか後半に書かれ、新約聖書には収められていないある記述は、イエスの十字架刑はピラトが命じたものではなかったとさえ主張している。その代わりに、イエスが育ったガリラヤ地方を治めていたユダヤ人の王ヘロデ・アンティパスのせいにしているのだ。
その後の数世紀のあいだに書かれた文書のなかには、ピラトがキリスト教徒になったと主張するものもある。
Nathanael Andrade
新約聖書の四福音書(マタイ・マルコ・ルカ・ヨハネ)では、イエスが何の罪も犯していないとピラトは信じている。いくつかの福音書で、ピラトは公然とそう宣言すらしている。
一方、エルサレムにあったユダヤ神殿の祭司長たちはイエスのことを、自分たちの権威に盾突く、カリスマ的で人気のユダヤ人説教者と見ている。そこで彼らは過越祭(すぎこしまつり=ユダヤ民族の出エジプトを記念する祭)の期間中に、イエスを捕まえさせ、ピラトの前で裁判にかけさせる。
ピラトはイエスを釈放しようと画策するが、興奮した群衆はイエスの死を激しく要求する。ピラトは降参し、イエスを十字架刑に処すことにする。そうして死んだイエスが3日後に復活したとキリスト教徒は信じているのだ。
四福音書を読むと、描写のばらつきは多少あれど、この一連の出来事について知ることができる。
イエスの死から少なくとも1世代後に書かれた三福音書は、祭司長たちと群衆がピラトを説き伏せて、イエスを十字架につけたと非難している。
三福音書の数十年後に書かれたヨハネ福音書は、ユダヤ人全体がイエスの死に責任があると描写しており、初期キリスト教文書の大半もそのように描いている。
2世紀半ばか後半に書かれ、新約聖書には収められていないある記述は、イエスの十字架刑はピラトが命じたものではなかったとさえ主張している。その代わりに、イエスが育ったガリラヤ地方を治めていたユダヤ人の王ヘロデ・アンティパスのせいにしているのだ。
その後の数世紀のあいだに書かれた文書のなかには、ピラトがキリスト教徒になったと主張するものもある。
Nathanael Andrade