樋口恵子×和田秀樹 自ら老いて分かったのは<誰ひとり同じ老い方の人はいない>こと…「年をとったらいい人間でなければ」という考えは捨てよう(婦人公論.jp) - Yahoo!ニュース
樋口恵子×和田秀樹 自ら老いて分かったのは<誰ひとり同じ老い方の人はいない>こと…「年をとったらいい人間でなければ」という考えは捨てよう
3/13(水) 6:32配信
日本の高齢者は、
3/13(水) 6:32配信
日本の高齢者は、
「年をとったら、いい人間でなくちゃいけない」と思いすぎていますよ。若い人の邪魔にならないようにと小さくなっているように見えます。生きているのに、人生から引退してしまっているみたいにも見えます。
婦人公論.jp
樋口さん「誰ひとりとして、同じ老い方の人はいない」(写真提供:PhotoAC)
厚生労働省が公開している『令和2年版 厚生労働白書』によると、2040年の平均寿命は男性83.27歳、女性89.63歳と推計されるそう。そこで今回は、老化を受け入れて「うまく老いる」コツを、評論家の樋口恵子さんと精神科医の和田秀樹先生の対談形式でお送りします。その樋口さん、「誰ひとりとして、同じ老い方の人はいない」と言っており――。
【書影】「老いの達人」が初タッグ!樋口恵子×和田秀樹『うまく老いる 楽しげに90歳の壁を乗り越えるコツ』
* * * * * * *
◆誰もが老いるけれど老い方は千差万別
樋口 私、自分が年をとってみてつくづく思うことがあります。それは、誰ひとりとして、同じ老い方の人はいないということ。誰の身にも老いがやってくることは平等と言えますが、その中身は実に千差万別なんですね。
歩くのもひと苦労という方もいれば、スタスタ歩けるけれど、もの忘れがひどくてという方もいます。
耳が遠くなってしまって電話ではうまく聞き取れないから「お手紙をくださいね」という友人がいたかと思えば、筆まめでちょくちょくお手紙をくれた方が「これからは電話でお話ししたい」と言うので、どうしたのと聞いたら、指が曲がりにくくなってしまいペンが持てないと。
同じ年代であっても、老い方はひとりひとり違っているんですね。年をとって同窓会に出てごらんなさい、まるで老いの不自由の見本市ですよ。
和田 個人差が大きいというのは、高齢期の最大の特徴ですね。10代の人に100メートルを走らせたら、速いか遅いかというタイムの差はありますが、だいたいの人は走り切れます。
ところが高齢になると、マラソンにチャレンジしている人がいたかと思えば、横断歩道を青信号で渡り切れないという人もいます。それどころか寝たきりの人もいます。人生のなかで、これほど個人差が出る時期はないというのが高齢期なんです。
樋口 ということは、年をとってからの生き方として、「人と比べてもしょうがない」ってことが言えると思うんです。日本人はわりと横並び志向で、目立つことをよしとしない傾向が強いと言われますが、高齢になったらもっと個を大事にしていいと思います。
85歳になったら人並みにボケようとか、90歳になったら寄る年波にヨボヨボになりたいなんて思う人はいないでしょ? 老い方は人それぞれ。だから、自分の老い方を受け入れて、その範囲のなかでどうしたら自分らしく生を全うできるかということが大事になると思うんです。
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樋口さん「誰ひとりとして、同じ老い方の人はいない」(写真提供:PhotoAC)
厚生労働省が公開している『令和2年版 厚生労働白書』によると、2040年の平均寿命は男性83.27歳、女性89.63歳と推計されるそう。そこで今回は、老化を受け入れて「うまく老いる」コツを、評論家の樋口恵子さんと精神科医の和田秀樹先生の対談形式でお送りします。その樋口さん、「誰ひとりとして、同じ老い方の人はいない」と言っており――。
【書影】「老いの達人」が初タッグ!樋口恵子×和田秀樹『うまく老いる 楽しげに90歳の壁を乗り越えるコツ』
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◆誰もが老いるけれど老い方は千差万別
樋口 私、自分が年をとってみてつくづく思うことがあります。それは、誰ひとりとして、同じ老い方の人はいないということ。誰の身にも老いがやってくることは平等と言えますが、その中身は実に千差万別なんですね。
歩くのもひと苦労という方もいれば、スタスタ歩けるけれど、もの忘れがひどくてという方もいます。
耳が遠くなってしまって電話ではうまく聞き取れないから「お手紙をくださいね」という友人がいたかと思えば、筆まめでちょくちょくお手紙をくれた方が「これからは電話でお話ししたい」と言うので、どうしたのと聞いたら、指が曲がりにくくなってしまいペンが持てないと。
同じ年代であっても、老い方はひとりひとり違っているんですね。年をとって同窓会に出てごらんなさい、まるで老いの不自由の見本市ですよ。
和田 個人差が大きいというのは、高齢期の最大の特徴ですね。10代の人に100メートルを走らせたら、速いか遅いかというタイムの差はありますが、だいたいの人は走り切れます。
ところが高齢になると、マラソンにチャレンジしている人がいたかと思えば、横断歩道を青信号で渡り切れないという人もいます。それどころか寝たきりの人もいます。人生のなかで、これほど個人差が出る時期はないというのが高齢期なんです。
樋口 ということは、年をとってからの生き方として、「人と比べてもしょうがない」ってことが言えると思うんです。日本人はわりと横並び志向で、目立つことをよしとしない傾向が強いと言われますが、高齢になったらもっと個を大事にしていいと思います。
85歳になったら人並みにボケようとか、90歳になったら寄る年波にヨボヨボになりたいなんて思う人はいないでしょ? 老い方は人それぞれ。だから、自分の老い方を受け入れて、その範囲のなかでどうしたら自分らしく生を全うできるかということが大事になると思うんです。
◆幸齢者
和田 おっしゃるとおり。それに加えて私は、年をとってむしろ毎日が楽しく充実していると感じられ、幸せを感じて生きておられる人を「幸齢者」と名づけました。これは年をとっても社会的地位が高いとかお金があるとかではなく、本人がどう感じるか次第のものです。
高齢期というのは、今までのいろんなしがらみや常識みたいなものから解き放たれて、自由に生きられるときだ、と。
日本の高齢者は、「年をとったら、いい人間でなくちゃいけない」と思いすぎていますよ。若い人の邪魔にならないようにと小さくなっているように見えます。生きているのに、人生から引退してしまっているみたいにも見えます。
こんなことをしたら年甲斐(としがい)もないなどと思わずに、何でも挑戦したらいい。年をとってからの挑戦でいいのは、最高齢記録を更新できることです。高齢者が人生を楽しみ、笑顔でいることは、若い世代にとっても「こんなふうに生きられるんだ」という希望にもなります。
戦中、戦後と苦しい時代を生き延びて、我慢することも多かった高齢者ですから、人生の最終コーナーはもっと好きなように、人生を楽しんでほしいと思います。
和田「幸せを感じて生きておられる人を『幸齢者』と名づけました」(写真提供:PhotoAC)
◆老いの実況中継で、古い高齢者像を壊したい
樋口 私の90代は始まったばかり。成長の伸びしろはないですが、老いの伸びしろはたっぷり。これからも、滑った、転んだ、けれど、まだできた、とつぶさに実況中継をしていきたいと思っています。
和田 大賛成です。特に「まだできた」というところがいいですね。
僭越(せんえつ)ながら申し上げると、和式トイレで立ち上がれないということがあっても、講演をしてこんなテーマで語り合ったとか、こんな視点で本を書いたとか、そういう面を知ることは、多くの世代にとって希望になると思うんです。
自分のできることを大切にして、それをもっともっと発信していっていただきたい。
◆いろんな生き方に挑戦
和田 今、高齢者のなかにも、SNSやYouTubeで趣味や生活の知恵を発信する方も出てきました。
認知症になった方も、地域の勉強会などに招かれて、認知症になってもこんなふうに生活を楽しんでいますということを語り始めています。
高齢者がそういうことを発信してくれることで、「年をとるといろんなことができなくなる」という誤解を解くことにつながっていくと思います。
樋口 そうですね。「高齢者」とひとくくりにしてほしくないというならば、高齢者自身ももっといろんな生き方に挑戦していいと思いますね。
個性に満ち溢れ、輝きを増す高齢期。人生の本番はこれからかも! 痛む腰をさすりながら、そう思っていますよ。
※本稿は、『うまく老いる 楽しげに90歳の壁を乗り越えるコツ』(講談社)の一部を再編集したものです。
和田 おっしゃるとおり。それに加えて私は、年をとってむしろ毎日が楽しく充実していると感じられ、幸せを感じて生きておられる人を「幸齢者」と名づけました。これは年をとっても社会的地位が高いとかお金があるとかではなく、本人がどう感じるか次第のものです。
高齢期というのは、今までのいろんなしがらみや常識みたいなものから解き放たれて、自由に生きられるときだ、と。
日本の高齢者は、「年をとったら、いい人間でなくちゃいけない」と思いすぎていますよ。若い人の邪魔にならないようにと小さくなっているように見えます。生きているのに、人生から引退してしまっているみたいにも見えます。
こんなことをしたら年甲斐(としがい)もないなどと思わずに、何でも挑戦したらいい。年をとってからの挑戦でいいのは、最高齢記録を更新できることです。高齢者が人生を楽しみ、笑顔でいることは、若い世代にとっても「こんなふうに生きられるんだ」という希望にもなります。
戦中、戦後と苦しい時代を生き延びて、我慢することも多かった高齢者ですから、人生の最終コーナーはもっと好きなように、人生を楽しんでほしいと思います。
和田「幸せを感じて生きておられる人を『幸齢者』と名づけました」(写真提供:PhotoAC)
◆老いの実況中継で、古い高齢者像を壊したい
樋口 私の90代は始まったばかり。成長の伸びしろはないですが、老いの伸びしろはたっぷり。これからも、滑った、転んだ、けれど、まだできた、とつぶさに実況中継をしていきたいと思っています。
和田 大賛成です。特に「まだできた」というところがいいですね。
僭越(せんえつ)ながら申し上げると、和式トイレで立ち上がれないということがあっても、講演をしてこんなテーマで語り合ったとか、こんな視点で本を書いたとか、そういう面を知ることは、多くの世代にとって希望になると思うんです。
自分のできることを大切にして、それをもっともっと発信していっていただきたい。
◆いろんな生き方に挑戦
和田 今、高齢者のなかにも、SNSやYouTubeで趣味や生活の知恵を発信する方も出てきました。
認知症になった方も、地域の勉強会などに招かれて、認知症になってもこんなふうに生活を楽しんでいますということを語り始めています。
高齢者がそういうことを発信してくれることで、「年をとるといろんなことができなくなる」という誤解を解くことにつながっていくと思います。
樋口 そうですね。「高齢者」とひとくくりにしてほしくないというならば、高齢者自身ももっといろんな生き方に挑戦していいと思いますね。
個性に満ち溢れ、輝きを増す高齢期。人生の本番はこれからかも! 痛む腰をさすりながら、そう思っていますよ。
※本稿は、『うまく老いる 楽しげに90歳の壁を乗り越えるコツ』(講談社)の一部を再編集したものです。