アイ!サラマッポ in バギオ

フィリピン人介護者のケアを受けながらの、フィリピンでのインディペンデント・リヴィング…、心の赴くまま、ここに記します。

外国人看護師・介護福祉士候補者日本受け入れに当たっての論点は…。

2009-06-06 15:25:22 | フィリピン人看護師・介護士(Caregiver)

 外国人看護師・介護福祉士候補者を日本へ受け入れるに当たっては、その話がマスコミで騒がれ始めた頃から、各方面で様々な意見があり、論議を呼んできました。
 
そんな中、昨年8月のインドネシア、今年5月のフィリピンと、合わせて500名近くの看護師と介護福祉士候補者が入国、見切り発車といった感じでスタートを切った日本での研修ですが、現在までに、はっきりしている問題点を3点、自分なりにまとめてみたいと思います。

  日本の資格試験に合格できなければ、自国へ帰らざるを得ないということ。
  外国人看護師・介護福祉士候補者の受け入れ希望機関が、当初の予想よりもかなり下回っていること。
  政府当局のこの件に関する理念が見えにくく、基本姿勢もはっきりしていないこと。

   候補者は、来日後6か月間の日本語、日本の看護・介護の導入研修の後、受け入れ先の病院や特養老人ホーム等での研修兼実務に入る訳ですが、看護師は3年目、介護福祉士候補者は4年目に、それぞれ日本の資格試験(日本語)に、一度だけ受験のチャンスが与えられます。
 
日本語研修を提供している団体等からの働きかけもあり、試験問題の漢字に振り仮名をつける、等の対処策も検討されているようですが、メディカルの専門用語が多く、日本人でも合格するのはそれほど容易くない資格試験に、インドネシア人、フィリピン人の候補者が合格できるだろうか、という点です。かなり難しいのは明らかで、フィリピンでも「日本行き」を敬遠する大きなネックとなっています。
 
そして、その一度の試験機会の不合格者は帰国しなければなりません。
 
そこで浮かんでくるのは、低賃金労働の温床との批判が根強い「外国人研修・技能実習制度」で、いろいろな問題をはらんでいるこの制度の二の舞にもなりかねない(マイナス面で)ことも懸念されます。候補者たちにとっては、せっかく受け入れ先の病院や施設で積んだ経験が、将来生かされることなく、やっと流暢に話せるようになった日本語を使う機会も失われることでしょう。そして、研修を提供してきた受け入れ先の病院や施設にとっても、「せっかく日本に馴染み、仕事も覚えたというのに…。」とダメージを被ることになり、仲良くなったお年寄りとの涙のお別れシーンが、今から目に浮かぶようです。

② 来日後6か月間の研修、滞在費用は政府(国)が負担しますが、その後は、実務、研修に入る病院や施設等の受け入れ機関が、彼らの日本語教育等の研修費や賃金(看護助手・介護助手並みの)を負担することになります。
 
が、看護師は3年間の内に実質一度、介護福祉士は3年の受け入れ機関での実務経験の後、資格試験に挑む訳ですが、受け入れ機関側もそのハードルがかなり高いものであるという認識は十分持っているのでしょう。ちょうど周囲の環境や仕事現場にも慣れ、スタッフや入所者とも信頼関係ができ始めた頃に手放さざるを得なくなる可能性が大きく、受け入れに積極的になれないのは当然です。言葉の壁による、主に入所者とのコミュニケーションの難しさも心配されるでしょう。
 
それよりも、昨年来の金融危機、不景気により失職した人たちを雇用する方が、よりスムーズで、少なくとも将来の保証のない外国人よりも長期雇用も期待できるでしょう。
 
逆に、今回フィリピン人受け入れを表明した機関が、どういった感覚で決断したかを知りたい気がします。ここ2~3年、資格試験までに、政府当局が何らかの施策の見直しをするのを期待されているのでは、とさえ思えてきます。外国人を「一時的に…」「ボランティアで…(受入れ側が)」受け入れようといった機関はまずないでしょうから。

③ 超高齢化を迎えている日本では、十数年後(2025年)には、人口の4分の1、つまり4人に1人が65歳以上となり、今の2倍の介護職員が…、そして毎年7~8万人の増員が必要になるとの政府の見通しがあるそうです。
 
でも、それは今になって出てきた話ではなく、ずいぶん前から言われてきた話です。そんな状況の中で、数年前からアジアの国とのFTA(自由貿易協定)により、IT技術者と共に「看護師・介護士」という人的資源を受け入れる話が出てきたのですが、それは外務省主導で行われ、厚労省は「若者や女性の雇用機会を奪いかねない、労働条件の低下につながりかねない…。」などと、むしろ外国人看護師・介護士の受け入れについてはあまり乗り気ではなかった、ということもいまだ尾を引いているかのようです。
 
今回の外国人看護師・介護福祉士の候補者受入れは、果たして経済交流の一環としてのものなのか、または「3K職」と言われ、離職率の高い職種の人手不足を補うためのものなのか。
 一時的なものなのか、将来ある程度長きに渡って受け入れるものであるのか…など、政策としてまだ定まっていない感を受けます。医療・介護現場での状況や経過を見ながら、臨機応変に対応されていく、ということであればよいのですが…。
 
この案件は、外国人労働者受け入れ政策の大きな突破口、転換点であったはずですから…。
少子化傾向が続く中、超高齢化社会の日本を誰が支えていくのか、外国人労働者をどのように受け入れ共存していくのか、中長期的な視点で考えて行かないと、近い将来、問題はより深刻化すると思います。

 
 今日もグリーン・バレーは雨模様。コンドミニアムのリビングの窓もいつも雨に打たれてこんな暗い感じです。
早く、青空が広がって、この窓が開け放たれる日が来てほしいものです。


フィリピンの看護師事情-明日からバギオでも看護師国家試験が・・・。

2009-06-05 19:16:01 | フィリピン人看護師・介護士(Caregiver)

 ここグリーン・バレーは、今日も朝から暴風雨。強い雨がザンザカザンザカ、そして時折ピューッととても強い風が吹いています。南西季節風、低気圧の影響らしいのですが、2日火曜日のお昼過ぎからの雨も今日で4日目です。

 そんな中、あす、あさっての今週末、フィリピン看護師国家試験に約8万人が挑みます。毎年、この6月初めと12月初め(去年は11月末)の2度、看護師の資格試験があります。6月の試験は、看護課程のある大学は、合格率をアップ、その大学のイメージをアップさせるために、新卒業生の上位5割しか受験させないことが多いそうです。3年前の6月には、試験問題漏えい事件が発覚、アメリカはその時の合格者を受け入れないと表明、かなりの混乱と、フィリピンの看護資格試験への信頼が失墜した事件でした。
 では、残りの5割の卒業生は?というと、12月の国家試験に照準を合わせて「リビュー・センター」と呼ばれる予備校で復習をした上で受験が許されるのです。通常、試験前2か月間ほど、そのリビュー・センターで集中して復習、試験対策が行う人が多いのですが、その受講料もばかにならず、大学側とタイ・アップしたビジネスにもなっているようです。
 ただ、昨今は、看護師国家試験の合格率も40%台に抑えられており、年々合格するのが難しくなっていると聞きます。医師などフィリピン国内でちゃんとした身分を持つ高収入の人たちが看護課程を履修し(通常2年)、看護師として欧米へ渡るケースも後を絶ちません。3年前には、約千人の医師が看護師として海外に流出したということでした。アメリカへ看護師として働きに行けば、フィリピンで看護師として働くより、はるかに高収入が望めるからです。
 ちなみに、フィリピン人看護師の国内での初任給は、都市部でも約1万円~1万4千円です。アメリカへ出れば、最低でもその20倍にはなるのです。
 
ここバギオ市は、マニラ、セブ市とともに、北部ルソン島の試験会場ですから、近隣から多くの受験生が集まり、今晩はどこのホテルも受験生でいっぱいでしょう。というか、むしろ再受験者(Re-taker)は、やはり2か月前にはバギオ入りし、友人同士でアパートや家を借り、リビュー・センターに通いながら試験に備える、といった人が多いのです。バギオはマニラやセブが盛夏(サマー・シーズン)である4、5月も涼しいため、勉強するのにもよく、有利なのだそうです。バギオ市は、韓国人を筆頭に、海外から(日本からも)英語留学するのに、気候の面のみならず、環境や治安的にも絶好の場所のようで、いわば学生の集う学園都市とも言えそうです。
 
今、ウチでケアの練習に入っている正看護師は、バギオの南西、バギオから約2時間のパンガシナン州出身ですが、正看護師であっても病院に空きがなく、バギオ市に仕事を探しに来たのでした。今同居している同窓生の親友は、これまで3度受験してパスできず、明日は4度目の挑戦となるそうです。その彼女とともにバギオへ来たのは2か月以上も前ですから、今ウチに来ている正看護師の女性は、その間ずっと仕事を探し続けていたらしいのです。彼女は、1年間の病院勤務経験があるということでしたが、それはボランティア・スタッフとしてで、交通費など支払われた経費は月に約2千円だったそうです。バギオ近郊の病院で、非常勤で働いていた未資格の看護課程卒の女性は、月給約3千円でした。バギオ市にはコール・センターも多く、英語が流暢に話せる看護課程卒の人は、一時的な仕事としてその仕事に応募する人も多いと言います。
 
前回、2日前の記事にもありますが、7~8年前は、フィリピン人看護師の優秀な人材の海外流出により(これまでに少なくとも約30万人のフィリピン人看護師は海外へ出たといいます。)、将来フィリピンには優れた看護師がいなくなる、と心配されました。そして2002年には「海外の看護職従事に申請するにはフィリピン国内での実務経験2~3年を義務づける」法令改正もなされました。ところが、私が2年前に日本からマニラに戻って来ると、新聞の求人欄でケアギヴァー(Caregiver/介護士)募集の広告に、多くの正看護師が応募してきたのです。もちろん、未資格の看護課程出の人、6か月間のケアギヴァー養成課程を終えた人の応募者の方が多い訳ですが、以前は見向きもしなかった正看護師の人の応募者も多かった、ということです。つまり、都市部では、今は看護師過剰の状態で、海外に出る前に国内の病院で実務経験を積むことさえ難しくなっているのです。
 
現在は、国内の医師不足が深刻化しており、地方へ行けばそれはより顕著だそうです。

 ところで、先日、実家に戻ったジェンさんでしたが、「またしばらくバギオに戻ってもよい。」との連絡がありました。ジェンさんは、今年の12月の看護資格試験を受けるつもりだそうですが、やはりリビュー(復習)は欠かせない、と言います。また、前回は間に合いませんでしたが、日本の介護福祉士の候補者に応募する残された条件である「TESDA(テスダ・技術教育技能開発庁)のケアギヴァー認定証」をバギオ市で取得し、来年度の募集に向けて準備したい、という希望もあるようです。サウジへ行くなら、日本の方が…という話も、きっと家族の間で出たのでしょう。こちらにとってもうれしい申し出ですが、もう少し状況を見て判断したいと思います。


金沢百万石まつりが明日から3日間開催されます!

2009-06-04 12:38:58 | その他

 明日から三日間、金沢では恒例の「百万石まつり」が開催されます。

 http://www.100mangoku.net/

 7日(日)はメイン・イベント「百万石行列」(パレード)が市内を凱旋します。2002年のNHK大河ドラマ「利家とまつ」(唐沢寿明さん、松嶋菜々子さん)でおなじみとなった前田利家公には、今から25年前に金沢生まれの鹿賀丈史さんが抜擢されて以来、そうそうたる男優が扮してきました。↓

 http://100mangoku.net/100-man/toshi_matsu.html#rekidai

 今年の利家公には永島敏行さん、正室のお松の方には熊谷真美さんが扮します。(お松の方に女優さんが扮するのは、斉藤慶子さん、去年の石野真子さんに続いて3人目です。)

   
<写真> 2002年の利家公「風間トオル」さん
 …日本に同行していた当時の介護者ラニーさん、思わず「カッコイイーッ!」

 百万石行列の目玉は何と言ってもパレード最後の武者行列ですが、表紙写真の加賀鳶(とび)と呼ばれる自衛消防団のはしご登りや加賀獅子舞も観衆の目を引きます。


<写真> 若かりし頃の私です。祭りも終わりに近く、重い獅子頭(約20kg)も、頭(こうべ)を下げています(^^;)。これは、地元町内会の秋祭りの獅子舞です。28歳?

「利家とまつ」が放映された2002年には、「加賀百万石博」も金沢城址公園で開催されました。それを機に復元されたのが「五十間長屋」です。↓


<写真> 親友のTakaさんと…。かつては金沢大学教育学部があった場所。

 金沢には「三文豪」と呼ばれる室生犀星、泉鏡花、徳田秋成や、禅仏教学者の鈴木大拙、哲学者の西田幾多郎(宇ノ気町)など、多くの作家や学者を輩出した文化都市でもあります。

ふるさとは遠きにありて思ふもの
そして悲しくうたふもの
よしや うらぶれて異土の乞食となるとても
帰るところにあるまじや
ひとり都のゆふぐれに
ふるさとおもひ涙ぐむ
そのこころもて
遠きみやこにかへらばや
遠きみやこにかへらばや (室生犀星『小景異情』)

 余談ですが、私は、フィリピンでもよくサロンパスを買って首筋や肩に貼ったりしますが、その♪HISAMITSUのコマーシャルはフィリピンでもタガログ語で流されていて「唐沢寿明」さんも登場しています(^^)。 


2009年度の、フィリピン人看護師・介護福祉士候補者受入れ人数

2009-06-03 12:18:05 | フィリピン人看護師・介護士(Caregiver)

 日比経済連携協定(JPEPA)に基づいて、日本で看護師や介護福祉士を目指すフィリピン人候補者のうち、5月10日の273人に続いて、第2陣として先月末に10人が日本に入国しました。これで、今年度(初年度)これまでにフィリピンから受け入れたのは、計283人(うち看護師93人)ということになりました。
 5月11日の厚労省の発表によると、介護福祉士候補の190人の受け入れ先は、28都道府県の特別養護老人ホームなど92施設で。看護師候補93人は23都道府県の45病院で、うち2病院は介護福祉士候補者も受け入れるそうです。
 
このほか、日本の介護福祉士養成校で国家資格を取得できるコースでは、最大50人が10月に来日する予定です。
 
第2陣の10人は、日本語能力が認められ半年間の日本語研修が免除された人たちで、第1陣の273人とは別に、日本の生活や介護に関する約1週間の研修を受けた後、すぐに今月10日から5都府県の特別養護老人ホームなど9施設で働き始めるそうです。
 
日本語が話せる!というフィリピン人で、真っ先に思いつくのは、日本では「タレント」、フィリピンでは「エンターテイナー」と呼ばれる。通称「ジャパユキ」さんです。「ジャパユキ」という言葉には、フィリピン国内外で一種独特の偏見や差別的な響きがありますが、このEPAによる介護の人材受入れが人々の話題になり出した数年前から、「日本」を経験し「日本語」もある程度話せるジャパユキさんたちですから、「ケアギヴァーとして日本に戻ろう。」と、真剣に6か月のケアギヴァー課程(Caregiver Course)で勉強を始めた人たちは少なくありません。この第2陣の10人の中にも、そういう人がいるかもしれません。
 
が、そうだとしても大変狭き門です。フィリピン国内では、不確かな情報ばかりが先走り、それに乗っかり、淡い(?)希望を打ち砕かれた人たちがどんなに多いことか、と思います。
 
また、受入れに関して、フィリピンサイドの調整・選考機関であるフィリピン労働雇用省海外雇用局(POEA)が、日本の国際厚生事業団(JICWELS)による最終面接に至るまでにどういった基準で数千人の応募者を10分の1の人数にまで絞り込んだのか、明らかにしてほしいものだと思います。募集要件を満たしている応募者から「先着順で…」といった話も聞きます。
 
インドネシアの例を見ても、来年度と合わせて「1000人」という看護師・介護福祉士候補者をフィリピンから受け入れるのは、今の日本の経済状況、この案件に関する政府・当局のあいまいな態度からしても、まず難しい数字でしょう…。ひょっとしたら、今年度の「283」という人数を下回りかねない、と思います。

【日比政府間の自由貿易協定(FTA)の中で、史上初めて看護師百名・介護士百名という「人的資源」をフィリピンから受け入れるという基本的な合意がなされたのは二〇〇四年一一月のことだった。法務省による、フィリピン人エンターテイナー(ジャパユキさん)の法的規制が始まったのと同じ時期だ。二〇〇四年末の法務省の人身取引対策行動計画に沿って、二〇〇五年には二度にわたって省令が改正され、ジャパユキさんたちの日本入国要件は厳格化、その数は著しく制限されることになった。
 
さて、そのFTAの合意により、事実上海外からの看護師と介護士の受け入れが解禁されたことになる。超高齢化が進む日本の社会の中で、介護を必要とする人は今後ますます増えていくだろうが、フィリピンの人には「お年寄りの一人暮らしがまったく想像できない、信じられない。」という。街を歩けば妊婦に当たる?ほど、ヤングパワーあふれるフィリピンに、日本は介護というサポートを期待するのも自然な流れだと思う。しかし、その際、フィリピン人介護士を安い労働力としてとらえるのではなく、頼れる仲間としてどう育て、共存していくか、という視点に立つことが必要となるだろう。(中略…)
 
しかし、そのFTAでの基本合意の後、フィリピン国内では、「あなたも日本語を勉強して日本へ行こう!」などとだまして金儲けをたくらむ悪徳リクルーターが横行し、多くの被害者が出るといった事態が起きてきた。それは、正確な情報が伝わりにくい、また出稼ぎ大国フィリピンの実情を逆手に取った許しがたい行為なのだが・・・。事実、看護師や介護士の養成学校はダバオでも大流行で、そのほとんどは海外へ行くための手段としてその課程を選んだ人たちである。私の介護者募集の広告を見て電話をかけてきた人の中にも、「なーんだ。海外行きじゃないのか・・・。」とプツッと電話を切ってしまう人もいるほどだ。
 
現在、フィリピンの人口八千万人の約一割に当たるフィリピン人が、海外で就労中であったり実際に居住したりしている。そして、国内の有能な若者のほとんどは、移住とまでいかなくとも、海外での就労を希望する、国外脱出志向がとても強いのだ。大家族の多いフィリピンでは、家族の一員の誰かが、また親戚をも含めると最低一人は海外にいる、といっても過言ではないほどだ。しか<し、海外へ渡るプロセスはそれほど容易ではない。たとえば、海外で評判が高く需要の多い看護師でも、二〇〇二年に制定された法律により、免許取得後二、三年のフィリピン国内での病院勤務が、海外の病院で働きに出るための必要最低条件となった。フィリピン国内の看護師不足を解消するための苦肉の策である。そして、社会人としても自立している優秀な看護師は、地方にはとどまらずまずマニラへ出る。それが、海外へ働きに行くための近道の一つなのだ。】
☆拙著『アイ!サラマッポ~フィリピン人介護者と生きて~』(20088月発刊)☆
 下巻第4章「ダバオ市にて」より抜粋

 
<写真> 日本フィリピンボランティア協会・JPVAの在宅介護の実習生受け入れ
    (2004年7月 ダバオ市にて 読売・山田氏撮影)
 

http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/tokyotama/kikaku/057/main.htm

(読売新聞・山田氏の記事-2004年8月)

http://blog.goo.ne.jp/isshin3_ph/c/1ae6f2406bb8beed3975d057ca1e19c3

(このブログ内の関連記事)


ヒトの体は神秘的…。

2009-06-02 17:12:37 | フィリピン-バギオ

 バギオへ引っ越してきて七か月余り…。その間、気候やその日の天候に敏感に反応する私の体(頸髄C4損傷)を自分なりに観察してきましたが、まずマニラで一番気になっていた、かなり低い血圧(平均最高値70-最低値50)は、バギオに住み始めて三日後には平常値(120-80)となりました。その後、床ずれができてベッドで過ごす期間も少なくなくなかったためか、現在はまた少し低めですが、平均で「90-60」あたりで落ち着いています。
 
また、体温調節の利きにくい私の体は、暑いマニラでは一切汗をかくことなく体温が上昇、お昼過ぎには38度を超えるのが常でしたが、バギオでは、いつも36度台の平常値です。エアコンは要らず、ごくたまに扇風機を使う程度、逆にルーム・ヒーターを使うことの方が多いです。電気代はマニラの半分以下で、月2千円ほどになり、地球にも優しくなりました。ところが、どういう訳か、バギオに来てからは、寒い日によく汗が出るようになりました。体の変調を知らせる汗です。体が、まだバギオの環境に適応し切れていないのでしょう。
 
そして、マニラで、ひどい時には週に一度とか、よく悩まされていた閃輝性暗点(せんきせいあんてん)という片頭痛は、バギオに来てから全くなくなりました。
 
ただ、バギオに来てから、以前より床ずれができやすくなった気がします。実は、二週間前の引っ越しの日にも、ちょっと無理をしたらお尻の皮膚が少しむけてしまいました。(もうよくなりましたが…。)床ずれができると、ベッドの上、こんな感じでお腹の上に置いたキーボードを割りばしでたたいています。↓

 
(ジョーク好きのマリアさん、太巻き寿司を私の目に…。でもちょっとズレてる。--引っ越す前の家で。)

 床ずれができるのは、自分の不摂生がたたってのことでしょうが、バギオでは、勾配のきつい道路が多いことや、湿度の高い日が多い(80~90%)なども関係しているのかもしれません。
 
あと、フィリピンに来てからずっと気をつけていることですが、小生のお腹は油っこいフィリピンの料理は受け付けず、食べ合わせによってお腹をこわすことも時々あります。家で作って(もらって)食べる分には問題ないのですが、レストランで初めての料理を口にしたり、おかずをテイク・アウトしたりすると、お腹を痛めることしばしばです。
 私は
、今の体と付き合い始めてもう20年になりますが、本当に人間の体は神秘的で、新しい環境への適応する力など、自分の体ながら驚かされ、感心させられます。

 さて、今朝は、現在試用期間で介護の練習(見習い-On the Job Training)に入っている正看護師から携帯に連絡が入り、昨夜から熱が出て少し嘔吐したので、今日は休ませてほしい、とのことでした。彼女は、二十歳代の正看護師で、病院勤務の経験も一年ありますが、今はどの病院も看護師がいっぱいで、職を求めても空きがないと言います。近い将来、チャンスがあれば看護師として海外へ出たいのは彼女も同じ、私の元では長くは続けられないでしょうし、また私の専従介護者として働くのはもったいない気がします。。
 
もう一人試用期間に入った三十歳代の助産師の女性は、いろいろと家庭の問題を抱えていること、それを次々に口にすること、正直さに欠ける面があること、そして何より小さい子供が二人いて夜勤は無理だということで、こちらからお断りしました。

 ここコーディリエラ地方(バギオ市を含む)では、数日前に初めて新型インフルエンザの感染者が確認されましたが、今朝のニュースでは「感染者4人、観察下の人が8人」ということでした(フィリピン全体では、感染者21人)。肺活量が少ない(1,400C.C.)私も、しばらく不要な外出は控え、気をつけたいと思います。
 
その後、電動車椅子に移って朝食を食べていると、突然、車椅子のリクライニングができなくなるアクシデント!電気系統の故障のようです。すぐにベッドに戻って、スイッチのボックスを開けてみると、以前切れてしまった4色の電気コードのワイヤーがむき出しになり、その一か所が接触していたのが原因だったようです。絶縁テープでそのワイヤーを巻いて無事に解決。「ホッ…。」機械は正直ですね。

 今日もお昼頃から雨がザアザアと音をたてて降っています。さっき、雷も鳴っていました。ここの雷は、近くで地響きがするように低い音で鳴ります。まるで北朝鮮のように不気味です。


6月…フィリピンは新学期(新学年)スタート!

2009-06-01 15:31:03 | フィリピン-バギオ

 今日から6月ですね…。
 ここフィリピンでは、3月末からの長~い「夏休み・Summer Vacation」が終わって、今日から新学年がスタート、という学校が多いようです。
 小生が住んでいるグリーン・バレーも、今日は、心なしか子供たちの歓声が減ったような気がします。酷暑のマニラを避けて、しばらくバギオで過ごしていたけど、子供の新学期に合わせてマニラへ帰る、という家族も少なくないのでしょう。幼い子供たちも英語で話し、お父上を「Daddy」、お母上を「Mommy」と呼ぶ富裕層の家庭でしょうか?
 そんな二か月以上の長い夏休みですが、どうも宿題(夏休みの課題)はほとんどないようです。先生も、楽そうですね…。
 今年は、新型インフルエンザ対策もあり、当局(保健省)は、最近海外旅行をした生徒・児童に関して、登校前に10日間の自宅検疫をさせるそうです。

 さて、小生、マニラにいた頃、バギオは避暑地だとは知っていましたが、マニラが盛夏である3~5月を、実際にバギオで過ごしてみると、想像以上に涼しく(寒く)感じました。天気予報によると日中の気温は25℃前後まで上がるのですが、体感温度はもっと低く感じます。ですから、小生はいつも長袖のトレーナーで、たまにマフラーさえ巻いたりします。
 バギオもマニラもすっかり雨季に入り、これからさらに雨の日が多くなっていくことでしょう。

<写真> マニラのラス・ピニャス市公立小学校での訪問授業(2001年11月)
 この5年生の1クラスには約60人の児童が学んでいました。