-戦後の日本を辱めたもの、1.GHQの洗脳さらに日本国憲法で再軍備を禁じ、共産主義者とそのシンパにGHQ路線を引き継がせた、2.戦中生まれと団塊の世代が抜けだされない自虐思想(史観)、3.朝日新聞の嘘。という筋立て‐
『日本国紀』の論点の集約として【ある意図】が集約されてきます。その正体を明らかにするために、『日本国紀』の「第九章 世界に打って出る日本」の部分からアプローチしていきます。もとより『日本国紀』は科学的知見に基づいた歴史書とはとても言えず、『歴史修正主義』者によるコメント、エッセイを筋書き建てたようなものですので、第九章、第十章は「ああそうか」にしておいて、戦後の記述について述べます。ただ私は百田さんと同じく歴史学者、科学者ではないのだけれど、もう少しは歴史を謙虚に学ぶ姿勢で述べたい。
その前に、いずれにしても『日本国紀』の論旨、表現はかなり乱雑で、いい加減と言ってもいいほどです。百田さんに限らず、純粋国粋主義の人も在特会や日本会議や維新等々、憲法改定を主張する人たちに共通した近現代史認識ですが、GHQは国辱の日本国憲法を押し付けた諸悪の根源である。ただいつの間にか「日本がいつ戦争に巻き込まれても不思議ではないのだ。この70年以上、戦争がなかったことが奇跡ともいえる。ただ、これはアメリカの圧倒的な軍事力によって抑止されてきただけ」と情勢を説明しています。つまりGHQ(実態は米軍)は悪だったが、「アメリカが対日政策を転換」したことによってアメリカは日本にとって唯一無二の善の同盟国となっていったこと、そして戦争が抑止されているのはミリタリー・バランスそれもアメリカの圧倒的な軍事力であるということについて、それを説明すべく背景、日米関係についてのグローバル目線での歴史認識などをすっ飛ばし、まるで既成事実化のようにさらっと2~3行で述べているます。そして「「日本人の精神」は、」「決して死に絶えてはいなかった」と言い、失われた日本的なものの回復に向けて」「動き出している」「若者たちを見て感動している。」とまで言っています。要は自前で戦争できることに誇りを見出し、そんな国へと回帰することを渇望しているようです。
果たして、そうかなあ。実態はそうではないのではないか。純粋国粋主義の人、純粋な右翼思想の人たちとは心情や立ち位置が異なるように思われます。例えば2・26事件の青年将校や家族を愛し国を愛しながら特攻に散っていった若人たち、三島由紀夫さんや川端康成さんあるいは右翼の鈴木邦男氏、野村秋介氏(故人)とかが今日の日米関係を直視すれば、嘆きどころか激怒されるのではないか、私はそう思います。私の直感というか感性からも『日本国紀』の狙いと正体が大変気になります。
第1にGHQの洗脳さらに日本国憲法で再軍備を禁じ、共産主義者とそのシンパにGHQ路線を引き継がせた、という論点について。
第1に、GHQによる洗脳と日本国憲法のことについてですが、私は敗戦後の日本は2つの奇跡によって戦後日本の近現代史の礎が築かれて来たと思っています(「敗戦後の日本の2つの奇跡」は、別の論として近日アップします)。その一つが、ほとんど瞬間的とも思えるタイミングで、世界の知性と叡智が集約されて、日本国憲法が誕生したのであろうということです。
まず、日本国憲法制定の社会的背景ですが、『歴史修正』主義の人たちは「GHQによる押付」と言います。形式上は当然押付であったでしょう。連合軍総司令部とはいえ実際は壊滅状態の戦後日本のガバナンスと戦後秩序の武力による強権的な再構築は、アジア太平洋戦争での直接的な対日戦戦勝国であるアメリカの手中であり、マッカーサーも当然アメリカ軍人であったわけです。押付というのは日本国憲法制定のプロセスであって、憲法の内容や精神ではないわけです。『日本国紀』が唯一押付ということで内容に論及しているのは、憲法第9条の戦力の不保持、非武装が、GHQによって軍隊も持てず自国の防衛もできない辱められたもの、ということでしょう。日本国憲法の3大原則である「主権在民」「基本的人権の尊重」「平和主義」に対しては、『日本国紀』は正面からは論じることはありません。言外では『共産主義』『社会主義』とでも愚痴っているかもしれませんが。だから百田さんの言う押付は制定のプロセスのことで、それは当然のことに過ぎないでしょう。しかし『日本国紀』を論じるなら、なぜ日本国憲法の3大原則に正面から論じないのか、そこが『日本国紀』の正体の重要な一部でしょう。
日本国憲法の起案者は誰かという論点ですが、歴史学における日本近現代史の実証として大変重要なことと思います。多くの研究者によって起案者はGHQ民生局、幣原喜重郎、鈴木安蔵ら憲法研究会、等の名が挙げられています。今後も日米あるいは関係国の公文書等の発掘で確定されていくかもしれません。ただ、大変大雑把ですが私は起案者の確定は歴史研究の課題としていただいて、とりあえずGHQ民生局のコートニー・ホイットニー准将、映画にもなったべアテ・シロタ・ゴードンさん、鈴木安蔵さんや憲法研究会の方たち、そして新生日本の政府側としての幣原喜重郎氏らの知性や叡智の結集が起案分に映し出されたものと考えています。そしてその背景には、世界の知性と叡智が大きく凝縮されるタイミングが奇跡的にフォーカスされたのではないかと思っています。
何より考慮すべき背景は、まずアジア太平洋戦争や、大きくは第2次世界大戦の性格が基本的には帝国主義列強間の経済的矛盾が爆発した利権争いの戦いであったということです。同時にファシズム対反ファシズム統一戦線という政治的・思想的背景を持っていて、特にヨーロッパでは国民や市民の反ファシズムの戦いが世界大戦への強烈なバックグラウンドとなっていました。また、さらには帝国主義によって略奪・搾取されている国々、人々が民族独立を勝ち取る闘いに立ち上がる中で、それらの国々をどの帝国主義国が取り込むかといった背景もあったと思います。これは、多くの後進国が帝国主義列強主義列強による強奪、略奪や殺戮を受ける中で、唯一有色人種である日本が日露戦争で白人の国であるロシアに辛うじて戦勝という形となりし、有色人種唯一の帝国主義国として朝鮮併合、満州、南方諸国に進出し、五族協和とか八紘一宇とか、価値観の押付で侵略戦争の合理化を強引に進めたアジア太平洋戦争も、帝国主義対民族自決・独立の戦いの側面も強くありました。第二次世界大戦が日本にとってはアジア・太平洋戦争といわれる所以でもあります。
一方で、当時の世界のリーダーがルーズベルト、チャーチル、そして新興のスターリンといった『実力者』ぞろいであったこと、そして世界中の知性と叡智が力強く台頭してきたことが彼らへの大きなプレッシャーとなったことも日本国憲法誕生の背景にあると思います。(スターリンについては、民主主義に対するトラウマ、アナクロニズムとなっており、これも後日意見をアップします)。つまりヨーロッパでの叡智であるサルトルやボーボアール、ラッセル郷ら偉人と言われる人たち、アメリカの民主主義や自由主義の底力を築いてきた人たち、インド独立の父であるネールや帝国主義からの独立を勝ち取っていった国々の指導者や民族資本等々の台頭がルーズベルトやチャーチルをして新たな帝国主義列強による利権再編成を許さなかったし、それゆえ彼らも自国の軍需企業の策謀を自由にさせなかった、あるいはさせることができなかったのではないかと思われます。ルーズベルトが1945年に死亡後、トルーマンが大統領となり、アメリカ第一主義、軍事力を背景とした覇権主義により、帝国主義列強や旧宗主国による後進国への侵略戦争は、我々『団塊の世代』げ現役の高校生、学生であったときに現実に行われ、ソ連による覇権主義との間で、東西対立といった、地球絶滅に危機につながる危機へと繋がっていきます。
そういった時代の、本当に奇跡的なタイミングで日本国憲法は世界の知性と叡智が凝縮して、世界でも最先端を行く理性的・理想的な憲法が誕生したのではないでしょうか。国際連合の加盟国資格は『独立した国』です。発足時は51か国でしたが、現在は196か国です。増えた国のほとんどが大戦後に独立を勝ち取った振興の国々です。トランプ前大統領が世界に分断を持ち込みましたけれど、世界は確実に多くの知性と叡智が世界を動かしてきています。東西対立をバックグラウンドに帝国主義国の独立国に対する侵略・介入戦争はベトナム戦争、イギリスによるアルゼンチン紛争(戦争)以降、出来なくなっています。
『日本国紀』のいう『GHQの洗脳、共産主義者やそのシンパへの引継ぎ』などという論理は、世界の知性と叡智には全く通用しないでしょうし、相手にもされないでしょう。
(以下続く)
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