-若者の個性や、若者自身が自分らしく楽しく元気でポジティブに生
きる自由を抑圧する者たちは、滅びの運命に突き進んでいる-
PARTⅠ 加速度的に進化する人類の知性と『滅びゆく守旧の価値観』の葛藤
人類史を見ると、人類の知性の進化とともに人類の『不自由』から『自由』
へ、個人は自分らしく生きる自由、言い換えれば個人の人権を守りより拡げて
いくといった自然な営みではなかったか。
人類は『生産』という行為を発明することによって、飛躍的に人類としての
自由を拡大し、いわゆる 産業革命はそのマッチポンプとなり
産業革命以降の近・現代の中でマルクスの感性と知性が人類の知の進化とい
う歴史に果たしている役割は、素晴らしく偉大だ。
『ドイツ・イデオロギー』は人間疎外の解明を試み、ヘーゲル、フォイエル
バッハら近代ヨーロッパの哲学の巨頭達のアウフヘーベンを試みた青年マルク
スの以降の原点と思う。主題は人間疎外。
熱き情熱家マルクスと天才的な論理性を持つエンゲルスの出会いは奇跡的
か。二人のコラボレーションは歴史の奇跡的なタイミングではないか。余談な
がら、現在の日本国憲法の誕生も奇跡的なタイミングではないか、と思ってい
る。
現代の世界は人類の知性の進化によってそれぞれが持つ多様な価値観と滅び
ゆく守旧の価値観が激しく葛藤している時代ではないか。守旧の価値観とは既
得の権益に強硬に固執する価値観。例えば帝国主義(REATOは解体しASEAN
に、NATOの質的変化とEU,EC)者、ケインズの経済政策と民間活力による経
済活動活性化を唱えたハイエクらの表面面だけ整合性を見せる新自由主義、
「大洪水よ、わが亡き後に来たれ」世代、核禁条約と核の傘やパワーバランス
勢力、世界中の弱者へのあくことなき搾取を目論む強欲主義者等々。
PARTⅡ 『新自由主義』への私論
私論だが不明なことがある。私たちが教わってきたが『資本論は、資本主義
的生産関係を経済学史上初めて科学的に解明したもの』だろうか。「資本論」
自体のそもそも論の話。私は、少し違うのではないかと思う。「Das
Kapital」の直訳か。経済学批判であり資本主義経済の仕組みを解析しその批判
と滅亡のプロセスを解明しているのだが、それは資本主義的生産関係に限定さ
れておらず、古代奴隷制も含めて人類史を俯瞰して経済的社会構成体を解明し
ているのではないか。何を言いたいかというと経済的な生産関係はずっと永続
して続いているので、『資本主義が終わった。さあ社会主義的生産関係に変革
を』といった硬直した思いをマルクス・エンゲルスが持っていたのか、私はそ
うは思わない。そういった硬直した思いが『計画経済』や『大多数(国家、結
局はあたらしい権力者)の利益が個人の利益に優先する』といった紆余曲折の
人類史をたどってきているのではないか。新自由主義は資本主義の新しいもの
でもなんでもなく、『大洪水よ、わが亡き後に来たれ』世代が盲信する『今だ
け、自分だけ良ければいい。金もうけ、富の独占がすべて』で富を独占する小
手先ノウハウであり、ましてや日本のこの間続いてきた政権を忠実に引き継ぐ
岸田首相の言う『新自由主義に代わる新しい資本主義』など、絶望の中で、彼
ら滅びゆくグループの希望的憶測による言葉遊びに過ぎないのは明らか。
(以下次回発信)
(※後日、サマリーは本編に書き換えていきます)
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