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答えは現場にあり!技術屋日記

還暦過ぎの土木技術者のオジさんが、悪戦苦闘七転八倒で生きる日々の泣き笑いをつづるブログ。

あばたも

2024年11月29日 | ちょっと考えたこと
あばたもえくぼ。
恋する者の目には、相手のあばたでもえくぼのように見えてしまう。贔屓目に見れば、どんな欠点でも長所に見えてしまうものだということの喩えだ。

といっても、土木施工においてはそうはいかない。
「あばた」は欠陥。しかも施工不良がもとで生じる欠陥のひとつだからだ。こと土木の世界では、どこからどう見ても「えくぼ」に見えることはない。

先日、お城下でひらかれた「よいコンクリート」をつくる施工技術の講習会に行ってきた。斯界の第一人者であるTさんが来ると聞き、自ら志願をしての参加だ。特段あたらしい発見があったわけでもなく、基礎技術を学び直したという形だが、歳を取ると、覚えていたことを次から次へと忘れていくのだから、こうやって再確認するのもわるくない。特にそれが基礎的なことならなおさらだ。

途中、施工不良による不具合の話のなかで、豆板の説明があった。業界で施工に携わるものなら知らないものはないが、ご存知ない一般の方にかんたんに説明すると、豆板とは、型枠に流しこんだコンクリートが隅々まで行きわたらず、砂利などの骨材が表面にあらわれた欠陥のことを指す。岩おこしとか雷おこしを想像してもらうとわかりやすいだろうか。

その豆板、別名をジャンカと呼ぶ。
ところが、「ジャンカという言葉は今は使ってはいけない」とT氏は言う。
同様に、表面気泡をあらわす「あばた」もNGらしい。
初耳だ。
いったいなぜ?
その場で検索してみると、すぐに理由が判明した。内輪でもっとも的確だと思われる文章を引用する。

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ジャンカはカタカナで記載するので外来語のようですが、これは、あばた(天然痘にかかった後の顔のぶつぶつ)を表現する古い日本語であるじゃんこ(あばた顔のことを「じゃんこ顔」と呼んでいたらしい。)から派生した言葉で、じゃんこのような状態を意味します。実際に現場では「あばた」と呼ぶ職人もいます。
また、痘瘡(あばた)は「かさぶた」を意味するサンスクリット語である「arbuta」の音写である「あ浮陀(あぶだ)」がなまった語であり、かつて病人の治療をもしていた寺の僧侶の間で使われるようになった言葉です。
従って、日本語としては「じゃんこ」がぶつぶつ状態を表す言葉であり、ジャンカは、その派生語である日本語です。
******

ナルホド。さては差別語あつかいなのか?と検討をつけ、さらに探すと、日本コンクリート工学会(JCI)が設けた「コンクリートに関する推奨用語一覧」にたどり着いた。
そこには「ジャンカ」は「豆板」、「あばた」は「表面気泡」と表記することが推奨されている。理由は推して知るべし。たぶん「あばた」という容姿の別名が「ジャンカ」だから、両方揃ってアウトとしたのだろう。といっても、あくまでも一学会の推奨だから、いわゆる禁止用語ではないのかもしれないが、いずれ使われなくなってしまうのだろうと推測される。

そういうぼくだとて、「ジャンカ」や「あばた」といった表現を使うことができないからといって、別になんの不都合もないのだもの、少なくとも公の場においては、そのような理屈に対して異を唱えてまで、あえて使おうとはしないだろう。

以上、余計なお世話かもしれないが知識として。
もちろん、けっしてそれがよいことだとは思っているわけではないが、そのうちに、昨今流行りのアバターという言葉なぞも、NGになったりするかもしれないし。
ん?ないない、ゼッタイない?わからないよぉ。



〈私的〉建設DX〈考〉その18 ~令和6年のファックス通信~

2024年11月25日 | 〈私的〉建設DX〈考〉
ある人のデスクに置かれていた一枚の紙は、どうやらファックスで送られてきたもののようです。表題に惹かれ何気なく内容を確かめていたぼくの目が、次の一文に釘付けになりました。

「申込については、下記URL(申込みフォーム)から必要事項を入力のうえ、◯月◯日までに送信してください」

文末には、そのサイトのURLとQRコードが貼ってあります。
はて?
これを受け取った受信者各自は、いったいどのような対応をするのだろうか?
想像をめぐらしてみました。

紙に記載されたURLをひと文字ずつ入力してサイトへ飛ぶ?
まさか、スマホで写真を撮ってURLのテキストをクリックするとサイトへジャンプするという技を知っていたりするのだろうか?

どうしてもぼくの想像は、ファックスというその情報伝達手段ゆえに、受け取り手を勝手に情報弱者と決めつけてしまっていますが、当たらずといえども遠からずでしょう。

そもそもそのQRコードの行く末が謎です。
そこに付いているQRコードをスマホで読み取り、申込みフォームに記入するのは、受け取り手自身なのでしょうか、あるいは他の誰かなのか、それとも誰かに教わりながら自分でやるのでしょうか?

想像は、送信者側の事情へも及んでしまいます。
ぼくが試しにと飛んでみたそこは、それが手づくりか既存のものかは不明ですが、いわゆる申込サイトです。
ということは、その存在や利用方法を知っている担当さんは、ITリテラシーが低いオジサンあるいはオバサンではない。少なくとも、今という時代のWebコミュニケーションというものについて無知ではなく、無視をしてもいないのは確かでしょう。
なのにファックスです。なぜファックスでなければならないのか。そこには何らかの理由でそうあらなければならない理由があるはずです。しかもそれは、少数の声が大きい者の意見ではなく、多数派としてのファックス希望者の存在があるのではないか。

「ファックスで寄越せっていってるだろうが」
「ファックスにしろっていったじゃないか」
そんな声が聞こえたような気がすると同時に、用いたくもない伝達手段をイヤイヤ使っている若者の姿が見えたような気がしました。

といってもぼくは、ファックス通信を全否定しているわけではありません。なんとなれば、実際に未だにそれが主流の業界も少なからずあるようです。以前、物流、卸売、不動産などではそうなのだと聞いたことがあり、驚きつつも、さもありなんと頷けなくもなかった記憶がよみがえってきました。
実際に、視認性、信頼性、確実性、リアルタイム性、誰でも使えて誰でもわかる、かんたん、手軽、、、などなど利点を挙げようと思えばたやすく浮かんではきます。


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とある家族経営の薬局に届いた「まみこ」という女からの1通のファックス。そこには「この薬さえ飲めば、この世とも貴方ともさようなら」と意味深なメッセージが。これを宛先を間違ったファックスだと思った薬局の主人は、その返信をファックスで送るが・・・ファックス合戦はエスカレートして行き、事態は予想外の展開に・・・
******


立川志の輔の新作落語『踊るファックス』は、そんなファックスのメリットとデメリットを上手に活かし、日常ありそうな場面をとんでもない方向に展開させた、志の輔落語の真骨頂とも言える、まことにバカバカしい傑作です(この場に及んではじめて思い当たったこじつけですが)。

とはいえ、それらの利点をメリットとして捉えることができない今のぼくが、それを使うことはまずありません。もちろん、周りの人間が使おうとすれば全力で止めるはずです。どのような形で関わっているにせよ、i-Constructionという時代の公共建設業界構成員であるならば、上から下、周縁からど真ん中まで、当然至極のことだからです。
それに、ぼくが引っかかってしまったのは、ファックスが時代遅れだからだということばかりではありません。
ファックスにはファックスで返信。これが情報交換の常道ですし、そうあってこそ双方向コミュニケーションと呼べるものになります(だからこそ志の輔の『踊るファックス』のおもしろさがあります、これもこじつけですけど)。なのに、ファックスの返信を申込サイトからせよと言う。そのチグハグさに引っかかってしまったのでした。

しかし・・・ここでぼくは、ぼくの想像のひとつを思い起こします。
そこに関わる誰もが進んでそうしているわけではないとしたら・・・。
そこにIT化やデジタル化や、ひいてはDXに積極的かつ率先的に携わり、そこで足掻く人たちの葛藤やジレンマが秘められているのだろうなと思うと、少しばかり悲しくなってきました。

そうそう、公共土木の世界では、前をゆく者のひとりとして著名な知人がこんなことを教えてくれたことがありました。
彼いわく、「DXセミナーの案内がFAXで来たんですよ」。

いやそれはきっとジョークというやつですよ。
向こう側はファックスの向こうにいつのがアナタと知って、反応を想像してたのしんでいるにちがいない。
ぼくはそう返しました。

眼の前にあるのは、たかがA4サイズの一枚の紙にすぎません。けれども、それを通じて建設DXについて思いを至らせ、象徴的でさえあると考えてしまったおじさんは思うのです。とはいえ「今という時代」のファックス通信は深いと。


不「不惑」

2024年11月23日 | ちょっと考えたこと
どうも勘違いをしていたようだ。
『論語(為政)』に記された孔子の言葉、

吾十有五にして学に志す。
三十にして立つ。
四十にして惑わず。
五十にして天命を知る。
六十にして耳順(みみした)がう。
七十にして心の欲する所に従って、矩(のり)を踰(こ)えず

における年齢の解釈を、である。
この言葉に対して、ぼくが次のように書いたのはつい一週間ほど前のことだ。

古代中国における平均寿命が、いったい幾つなのか、今となっては知る由も調べようもないが、ごく大雑把な感覚としても、そこにおける70を現代の90と置き換えても、なんら不都合はない気がするし、むしろ、プラス20ぐらいがちょうどよい加減のような気もする。
(中略)
となると、まもなく60と7つを数えるぼくの場合は、「天命を知る」少し前ということになろうか。つまり、そこになってはじめて、自分の人生についての天命や運命がどういうものであったのかがわかる。そして首尾よく80まで生きることができれば耳順、すなわち、他人の意見に反発を感じることなく、素直に耳を傾けられるようになる。

ここでぼくは孔子が引き合いに出した年齢を、寿命、つまり死亡する年齢から逆算した齢だと捉えている。しかし、原典を素直に読んでみれば、それは曲解というものだろう。
孔子は、例えば70歳を例にとると、その齢になって「矩(のり)を踰(こ)えず」、つまり、思ったように振る舞っても道を外れるということがなくなったと言う。それはすなわち、そうなるまでに自分は70年もかかったと述べていると同義だ。そこにおける70歳という数字は、生後何年が経過しているかという絶対値であって、その当時の中国で暮らす人たちの平均的寿命との相対値ではない。どれだけの年月を経たらそうなれるか、あるいはそうなったかについて述べているのであって、世の中の寿命の相場がどうだとか死ぬ年齢から逆算してどうだとか、そういうことを言っているわけではないのである。

ということは、現代における人間の寿命が当時と比べて20年ほど長くなっていようといまいと、たとえば「不惑」における40も「耳順」における60も、2500年孔子が述べた値となんら変わることはない、同じ数字だとして考えなければならない。
といっても、孔子という歴史上に燦然とかがやく巨人がそうだからといって、それをぼくやアナタのような凡夫の身に置き換えることに無理がある。そもそも、誰しもが40歳になれば惑うことがなくなり、50歳となれば天命を知ることなど、できるはずがないではないか。

となれば、凡夫としての正しい在りようはこうだろう。

昔むかし、ロングロング・ずっとずっと・とてつもなく・アゴーの中国に、孔子という偉い人がいてね、
吾十有五にして学に志す。
三十にして立つ。
四十にして惑わず。
五十にして天命を知る。
六十にして耳順(みみした)がう。
七十にして心の欲する所に従って、矩(のり)を踰(こ)えず
なんて言葉を残してるんだけど、みんなも、孔子と同じ歳では無理かもしれないけど、そして、結局のところ全部をクリアできないだろうけど、ひとつの指標として心がけるようにしようね。

と、ここまで書いて腕を組んで考えた。
あれ?
となると、一週間前と結論は変わらないのではないのか?

その結論とはこうだ。

う~ん・・・今さらながらではあるがそれは、齢を積み重ねればそうなるという類のものであるはずがない。それに、ぼくの場合においては、天命よりも耳順よりも不惑、すなわち「惑わず」がもっとも困難で、ほぼ実現不可能なもののような気がしてならない。つまり、いかにその基準となる年齢を変えようと、こうなるわけだ。

40にして惑い
50にして惑い
60にしてなお惑い
70になったらなおいっそう惑い
80になってもまだまだ惑う
思い惑い心惑い
戸惑い暗れ惑い
ふらつき
ぐらつき
ためらって
途方に暮れてオロオロする

サウイウモノニワタシハナリタイわけではないけれど、そうならそうで、一生惑うと思い定め、そこに拠って立つのもわるくないかもしれない。

不「不惑」、いや、わるくないと思うよ。


ぼくと娘とヒノショーヘイ

2024年11月22日 | ちょっと考えたこと
「火野正平に似ている」
これまでに幾度となくそう言われてきた。
以下は、そんなぼくとぼくの家族のあいだで、かつて繰り広げられた「ひの的エピソード」だ。

******

「宅急便が届いちゅうよ」
「誰から?」
「自分がなんか注文したがじゃない?」
「いやー覚えがないなぁ」

大きなその荷物の送り先を確認しようと持ってみると、やけに軽い。
「これだから、Amazonってやつはイヤなんだ」

これまでに、いく度口にしたか知れない独り言をまたつぶやきつつ、送り先を読もうとして愛用の遠近両用メガネをかけていないことに気づく。まこと年寄りというのは面倒くさい。

メガネをかけて仕切り直すと、その大仰な図体に比して異様に軽い荷物は、予想に反してAmazonではなくZOZOからだ。表書きには、首都圏に住む次女の名前が記されていた。

さては…
「父の日のプレゼントかなー」

勝手に決めつけ急いであけると、贈答用とおぼしき銀色の包みが。
ピンと来た。

「なに?」
妻が訊く。

「ほれ、アレよアレ。この前の父の日の。CMの。動画を。ほれ。見せたやろ。アレ」
「わからん」
「たぶんシャツ」

喜び勇んであけたその中身は、われながらのご名答。バンドカラーのワイシャツだった。

「ほれ、わかるやろ?」
身体に合わせて妻の方を向くと

「あ、ヒノショーヘイか」
気づいたようだ。

そう、さかのぼること3日前の日曜日、父の日のプレゼントだといってメーカーズマークを持ってきてくれた長女が
「こんなんあるで」
と教えてくれたCMのなかで、火野正平が着用していたものと同じバンドカラーのホワイトシャツだ。

たしかにあの日、あの動画を、
「こんなシャツを着てみたくなった父なのであります」
という言葉とともに送ったぼくに次女が返した短い言葉は、
「ええやんか」

そうか…
なんにしても、贈り物、特に思いがけないそれはうれしいものだ。

「着てみて」
妻の口からその言葉が出たそのときにはすでに、着ていたポロシャツを半分ほど脱ぎかけていたわたしが、その贈り物を身につけ、ヒノショーヘイ然とした(つもり)ポーズをとり、写真を撮ってもらうまでにさほどの時間はかからなかった。

もちろん、テーブルの上にはメーカーズマークの瓶と、手にはロックグラス。
ところが、切り撮られた画像に写っているのは、かの稀代のプレイボーイとは似ても似つかぬオジさんだ。

やれやれ…これが現実だ。
気をとりなおして娘たちに画像を送る。

「色気も渋さもナッシング」
自虐的なコメントをつけて。

さっそく返事がやってきた。
長女からだ。

「爆笑」
と一言だけ。

ほどなくして届いた次女からの返信にはこう書かれていた。

「家がおしゃれじゃない」
(ほっといてくれ)
「なんか僧侶感がすごい」
(たしかに)
「日に焼けてみたら?」

すると、また長女から矢継早のLINEだ。

「ちょっと角度とライティングが」
「もう少し遠くから低めに暗く」
「縁側で後ろ姿はどう?」

時は2020年初夏、かくして親父ヒノショーヘイ化プロジェクト粛々と進んでいく。





******

いっとき、娘たちに遊ばれた昔を思い出し、在りし日の火野さんを偲ぶ。
謹んで御冥福を祈り、合掌。

16.43835616

2024年11月21日 | ちょっと考えたこと
今朝、ブログ編集画面を開くなりまっ先に、左上隅にあるブログ開設からの日数を表示する箇所に目がとまりました。ふだんなら気にも留めないところです。だなのになぜ・・・
理由は、考えるまでもなくすぐに判明しました。









ブログ開設から6000日。
たまさかの、きれいに丸まった数字にふと思いつき、365で割ってみました。
答えは、16.43835616。
かつてのように「ほぼ毎日」となることは二度と再びないでしょうが、もう少しつづけようと思っています。
以上とりあえず、ご報告まで。


土木と濁音

2024年11月19日 | 土木の仕事
2つの語が結びついて1つになるとき、後ろにつく側の頭の静音が濁音に変化することを連濁と呼びあらわす。

手紙(てみ)、日差し(ひし)、戸棚(とな)、人々(ひとと)などなど。いくらでもその例が思いつく。

といってもそれは、あくまでも原則であり、例外もまた多くある。
その例外について、ひとつの法則を見つけ出したのは、明治政府に「お雇い外国人」として招かれたベンジャミン・スミス・ライマン(本職は鉱山学者)。後ろの単語に濁音がある場合には連濁が起きないという、いわゆるライマンの法則を発見した。

はる+かぜ ≠ はるぜ → はるぜ(春風)
おお+とかげ ≠ おおかげ → おおかげ(大蜥蜴)

もっとも、本邦では既に賀茂真淵や本居宣長によってこの法則が見つけられていたらしいのだが、本題ではないので、ここでは触れるだけにしておく。

ところで、日本人が濁音を好まないのは多くの人が指摘していることである。往年の大女優で文化勲章を受賞した山田五十鈴の著書には、次のようなことが書かれている。

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 撮影がたいへんだったことは想像以上で、たとえば濁音は再生するとききたなくきこえるというので、せりふから全部濁音を除くというしまつです。だから、あの「丹下左膳」はいっさいの濁音なしのせりふで、いわば国籍不明の映画になったのかもしれません。私の萩乃という娘を呼ぶとき、相手役が「はきさま、そうてこさいます」というようなわけなのです。私が、いちばんはじめにいったせりふが「だれ」ということばなのですが、それが濁音がとれないで、何回やっても「だれ」ときこえるからいけないといわれ、その「たれ」だけに一日かかったりしました。(『山田五十鈴』山田五十鈴)※1
******
 
時は昭和初期、映画がサイレントからトーキーへと変化ころで、山田のトーキー初出演作『丹下左膳』(1933年、伊藤大輔監督、ちなみに主演は「シェイはタンゲ、名はシャゼン」の大河内傳次郎です)におけるエピソードだが、このようなことが実際にあったのには驚くしかない。

日本人の濁音嫌いについて、金田一春彦はこう記している。

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 日本語の子音で重要なことは、清音と濁音の違いで効果が違うことである。清音の方は、小さくきれいで速い感じで、コロコロと言うと、ハスの葉の上を水玉がころがるようなときの形容である。ゴロゴロと言うと、大きく荒く遅い感じで、力士が土俵の上でころがる感じである。キラキラと言うと、宝石の輝きであるが、ギラギラと言うと、マムシの目玉でも光っているときの形容になる。
 一般の名詞・形容詞などで、一番明瞭に見られるものは清濁ときれいきた
ないの関係で、和語で濁音ではじまるものは、ドブ・ビリ・ドロ・ゴミ・ゲ
タ等、きたならしい語感のものが多い。
  たちまちに色白のビハダになりますというのがあったが、聞いていて、肌がザラザラになりそうだと言った人があった。こんなことから、女子の名に濁音で始まるものはきわめて少なく、たとえばバラは美しい花ということになっておるが、バラ子という名前の女の子はまだ聞いたことがない。
 日本人は、この、濁音に対する感覚がかなり固定している。濁音が本来きたない音というように思いがちであるが、科学的にはそういうことは証明されないそうで、英語では b ではじまる言葉に best とか beautihul とか良い意味のものが多く、女子の名前などでも b ではじまるものがいくつでもある。日本人が濁音を嫌うのも語頭にくる場合だけで、「影」とか「風」とか「かど」とか、語頭以外の位置に来たものには悪い感じをもたない。これは、濁音ではじまる言葉は古くから方言にのみ見られ、それを卑しむ気持ちが作用したものと想定される。
(『日本語 新版上』金田一春彦)※2
 ******

事ほど左様に濁音を好まない日本人だから、それが重なるとなると、なおさら嫌いになるようで、一例をあげると、「ふた」「ふだ」「ぶた」という言葉はあるが、「ぶだ」とは言わない。一説によると、正式には「バドミントン(badminton)」であるのに「バトミントン」と呼び慣わす人が多いのもまた、その関連であるらしい。

さて、そこでわが「土木」である。
一般の人たちが「土木」という言葉や仕事に対して悪印象をもっている要因のひとつとして、「どぼく」という濁音の連なりを指摘する業界構成員がいる。昭和62年に催された土木学会の討論会に端を発した「土木改名論」を口にする人たちが掲げた根拠のひとつであるらしい。ぼくとて、そのような問題でないとは笑いつつ、うなずけなくもない。

この、土木における濁音忌避の典型が土木系女子技術者の愛称ではないか。
1987年、関東学院大学理工学部土木学科系(当時は工学部土木工学科)に新設された「女子クラス」は、当時全国初の試みとして注目された。その年の秋、そこの学生が中心となり「全国土木系女子学生の会」が発足し、事務局専用として設けられた部屋は、誰が言うともなく「ドボジョ部屋」と呼ぶようになり(ただ単に長くて面倒くさいので省略したという説が有力らしい)、その後その呼称が全国に広がり、2010年ごろからは、この呼び方を真似て「リケジョ」や「ノケジョ」、はたまた「歴女」といった言葉が派生していった。

それに対して、日本建設業連合会(日建連)が2014年に公募によって決定したのが「けんせつ小町」という愛称だ。主たる目的は、土木だけではなく建築や設備工事などを含め、広く建設現場ではたらく女性をあらわす言葉をつくりたかったというもので、表向きにはドボジョという濁音3連チャンを排除するという理由からではないのだが、その過程において、ドボジョにおける濁音の語感を嫌ったという意見を見聞きしたことが何度かある。重なるだけでも感じがわるいのに、いわんや3つとなると論外だ、という論調だ。

ぼくはといえば、当初は嫌いだったドボジョという言葉が、今ではどちらかといえば好ましい部類に入っているのだが、思い起こしてみるにその変化は、ここらあたりから芽生えてきたような気がしている。たぶん、ドボクあるいはドボジョという濁音を忌避しようとする人たちへの反発であり、だから濁音上等、何がわるい、となった。

ところが近ごろになって、一貫して反対してきた「土木改名論」については、これまでの姿勢から若干軟化、改名絶対反対に対するこだわりが薄まってきている。いや、なにもそれは上述のような半ば天邪鬼的理由からだけではなく、ごくごく真面目に。
といっても、まだまだそれは、「ぼんやりと」の域を出ておらず、論を展開するほどに思考を巡らせているわけでもなく、オープンにするためには、多くの時間が必要だ。だから今日のところは、これまでの姿勢をくずすことなくこう言っておこう。

どぼイ!

令和6年11月19日、きのうは「土木の日」



※1、※2、ともに原典からの引用ではなく、『日本人は濁音が嫌い?』(荒木茂ホームページ『音読・朗読・表現よみの学校』)からの孫引きです。

いごっそう〈考〉

2024年11月18日 | ちょっと考えたこと
先日の高知新聞にあった「球児監督 粋な振る舞い」という記事は、安芸球場で秋季キャンプ中の阪神タイガース藤川球児監督(高知市出身)が、地元企業や飲食店の協力を得て、選手や球団スタッフ、報道陣らに高知県地場産のごちそうを提供しているという内容で、その意図について「人をおもてなしする高知の文化は、僕も大切にしているところ。メディアの方々には少しでも楽しんでもらいたいし、選手やスタッフには癒やしの時間になってくれればうれしい」という藤川監督の言葉が紹介されていました。

それ自体はじつにけっこうなことで、文句をつける筋合いのものではないどころか、むしろ拍手をもって称えるべきものでしょう。
ところがぼくは、思わず「?」となってしまった。その原因は記事中、某スポーツ紙記者が言ったというこの言葉です。

「監督のいごっそうな心意気を感じますし、距離感も縮まったように思います」

ソレハイゴッソウデワナイゾ。
思わずそうツッコんでしまったぼくは、ここにおける藤川氏の言葉や行動のどこをどう捉えたら「いごっそうな心意気」となるのか、まったく理解ができません。いや、県外の人である記者さんがそう言ったことについては、単なる理解不足であり、その揚げ足をとって詰めるほどのことではないでしょう。問題は、その談話をチョイスして紙面に載せた記者、あるいは高知新聞の方にあります。

ということで、「いごっそう」について、一文したためてみることとします。
(といっても、別に怒っているわけでもなんでもないので、気軽に読んでください。ま、いわば話のタネとして)



さて、まずは定石どおり、「いごっそう」の定義から始めましょう。わかっているようでわかっていない。少なくとも、どのような概念が通り相場なのか、ひょっとしたら高知県民の多数がよく理解していないのかもしれません。
手当たり次第アトランダムにWEBを探し回ったなかで、見解が似通っているのは、このふたつでした。

(土佐町ウェブマガジン『とさちょうものがたり』より)
「快男児」「酒豪」「頑固で気骨のある男」など。異骨相(いごっそう)。ならびに高知県男性の県民性を指す言葉。

(高知のクチコミナビ「こうちドン」『高知ご当地うらない』より)
このタイプの人の性格
快男児で頑固で気骨のある男で酒豪=いごっそう。あなたはまさに高知県男性の特長そのものです。自分を大きく見せてしまう傾向があるため時に誤解されることもありますが、弱きを助け強きをくじくシンプルな価値判断と、物怖じしないのびのびとしたその性格のおかげで、結局「憎めない奴だなぁ」で済んでしまうのは、あなたが周囲から愛されている証拠です。

両者とも非常に好意的で、「高知男性の典型」として捉えています。多くの県外人が抱く「いごっそう」のイメージも、概ねこのようなものではないでしょうか。
しかし、昭和32年生まれのぼくは、それに真っ向から異を唱えます。
なんとなればぼくには、かつて、ぼくがまだ小さかったころの「いごっそう」は、決して褒め言葉として存在していたのではなかったという、確かな記憶があるからです。少なくとも、「憎めない」とか「愛されている」というキャラクターでないことは確実です。
どこかに否定的な表記はないだろうか。探してみると、メジャーなサイトにそれはありました。他でもない。何かとその内容の信憑性についての疑義が呈されることが多いウィキペディアです。

(ウィキペディア『いごっそう』より)
いごっそう(異骨相)とは、「快男児」「進歩主義」「頑固で気骨のある男」などを意味する土佐弁。ならびに高知県男性の県民性。 

ここまでは多くのサイトと同じ。現代における代表的いごっそう像です。ところが、そのあとにつづく表記は、ちょいとばかり趣が異なってきます。

津軽じょっぱり、肥後もっこすと共に、日本三大頑固のひとつに数えられている。肥後もっこすがやや否定的な意味合いを持つのに対し、いごっそうは、そのように称される本人が威勢を張ることのできる呼称とされる。但し高知市内では想像以上に侮蔑的でネガティブなニュアンスで使われる事が多いため使用には注意を要する。

後半部分に着目してください。
まさに、ぼくの確かな記憶はそこなのです。高知市内だけではありません。ぼくが生まれ育った県東部でも、侮蔑的まではいかなくとも、否定的でネガティブなニュアンスをもった言葉であったことはまちがいないありません。と同時に、その一方では肯定的でポジティブなニュアンスを込めて語られることも多い。これが「いごっそう」という言葉や存在そのものの特徴的なところです。

ここで、日本三大頑固として挙げられている「肥後もっこす」は、1979年に西日本新聞が熊本市に限定して行った調査で、4割程度の人が誇りに思っていると同時に、否定的な回答も同程度あったといいます。わが「土佐のいごっそう」も同様なのではないか、というのがぼくの認識です。
ウィキペディアからの引用をつづけます。

弱者に対して優しく、行動は大胆不敵にして豪快で、己の主義信念を貫くためには時として、自己より優位の権力を持つ者とも係争する反骨精神を有する一方で、気乗りしないことは行動に移さない。
周囲の意見に傾聴せず独断専行し、自説が間違っているとされても考えを改めず議論のための機会を探るといった、議論のための議論を好む傾向にある。自分が考えるように他人が考えたり行動しないと気が済まず、目上の者への気配り、配慮に欠けるという。些末なことは気にせず物事を大きく捉えるため、人間の度量が大きく常識に囚われることもない反面、自分を実際よりもよく見せようとする傾向があると考えられている。
物事を曖昧なままにしておくことを嫌い、白黒をはっきりさせたがる傾向にあり、祖父江孝男著『県民性 - 文化人類学的考察』には、その性質は明治維新における過激な尊皇攘夷運動などにつながったといった指摘がある。

このくだりには、ぼくの「いごっそう」像にかなり近いものがあります。
その像を理解するためのキーワードを文中からチョイスして列記すると、「主義信念を貫く」「反骨精神」「独断専行」「議論のための議論を好む」「白黒をはっきりさせたがる」といったところでしょうか。ただ、「人間の度量が大きく」という表記は、ぼくの抱く像とは正反対で、むしろその心の狭量さが「いごっそう」の特徴だとぼくは考えているのですが。

上田健太郎氏の筆による『いごっそうとはちきんの争い~文化人類学への実験経済学的アプローチ~』という学士論文(2014年)における記述は、より的確です。

高知県の県民性は、男性がいごっそう、女性がはちきんという言葉でよく表される。いごっそうが表す県民性をまとめてみると、行動は大胆不敵にして豪快。はなはだしく頑固、強情で妥協しない。物事を曖昧なままにしておくことを嫌い、白黒をはっきりつけたがる。このような気質が昔からよく言われている。『新・人国記』(朝日新聞社)によると、「がんこで、一徹で、一度こう思いこんだら、はたからなんと言われようとも、金輪際耳をかそうとしない。土佐人の代表的な性格」とある。他に思いつくままに挙げると、わがまま、負けず嫌い、つむじ曲がり、片意地、偏屈、傲岸不遜、大酒飲みなどの特徴がある。

わがまま、負けず嫌い、つむじ曲がり、片意地、偏屈、傲岸不遜、大酒飲み・・・そう、まさにそこです。

あいつは「いごっそう」やネヤ。
あいつは「いごっそう」やキニ。
かつて「いごっそう」は、そのような表現で用いられることが多くありました。
それはすなわち、どちらかといえば異物あるいは異端もしくは異形の人を指す言葉だったろうとぼくは考えます。多数派、あるいは一般的な人ならば、特別にそのような表現を用いずともよいはずですから。
確かに、いかにも土佐人的な者ではあったでしょう。だからそこに、毀誉褒貶が相半ばすることとなります。「ああ在りたい」という憧憬の念に近い感情と、「ああであってはいけない」と侮りにも似た感情がない混ざって「いごっそう」人格への評価があった。それはけっして、今のように持て囃されていたわけではなく、「快男児」とかいう言葉で表されるような単純なものでもありませんでした。ゆえに、それをもって土佐人気質を代表させるのには無理があります。

そうそう、そういえば、20年以上も前のことです。
ぼくの住む村で、小中学生の男性保護者を募って、「いごっそう」を冠した会ができ、その後数年間にわたって様々な活動をしたことがありました。その初回会合、いわゆる顔合わせの席でのことです。会の締めくくり近く、皆を前にして、司会(主謀者)が、こう問うたのです。

「このメンバーのなかで誰がもっとも”いごっそう”と呼ぶに相応しい人かを投票します」

結果は・・・そう、こういう展開となれば読者諸氏は容易に推察できたでしょう。
他ならぬこのぼくでした。

わがまま、負けず嫌い、つむじ曲がり、片意地、偏屈、傲岸不遜、大酒飲み・・・皆の目にそう写っているのかオレは・・・たしかに言えなくもない・・・が、しかし・・・外見はともかく内面では軟弱極まりないこのオレが、よくもわるくもそう呼ばれるのに値するか?

けっしてありがたくはなく、まして誇らしいはずもなく、どちらかといえば「なんだかなぁ」な結果を突きつけられ、しかしその反面で、少しだけ鼻が高くなっているぼくが、そう自問自答しているのを、他の参加者は当然誰も気がつかなかったはずです。

つまるところ、「いごっそう」は昭和後期の土佐人においてマイノリティであった。いかにその存在がいわゆる土佐人的であったにせよ、マジョリティではなかった。だからこそ、どこかしら畏敬の念をもってその存在が認められていた。言い方を換えれば、気質としての「いごっそう」は多くの土佐人男性に内在しているのですが、正面切ってその名乗りをあげられるほど「いごっそう」の価値は低くない。したがって、揶揄や嫌悪、場合によっては侮蔑といったネガティブな反応をすることはあっても、心底で否定的ではない。そんなこんなの感情を含みながら、やがてそれが好漢としてのイメージとなり、ある意味で理想の土佐人像として定着した。これが、いささか強引にすぎるきらいはありますが、ぼくの体験的仮説であり推測です。

ともあれ、されど「いごっそう」。
ある年齢以上の土佐人男性にとって、特別な言葉にはちがいないのです。


ひとは人生で平均4回しか引っ越ししない、ってホントか?

2024年11月16日 | ちょっと考えたこと
「ねえ知ってる?ひとは人生で平均4回しか引っ越ししないんだって」

というCMをはじめて目にした。
ホンマかそれ。と思ったぼくがさっそく検索したのは言うまでもない。
国立社会保障・人口問題研究所が5年に一度行っている人口移動調査の最新データ(第9回、2023年)の結果によると、日本人の平均引っ越し回数は3.24回。男女別にみると、男性が3.29回に対し女性が3.19回と男性の方がやや高くなる傾向がみられる。
つまり、川口春奈さんには申し訳ないが、「ひとは人生で平均4回しか引っ越ししないんだって」という彼女の言葉は正しくなく、ホームズのあのCMは、「ねえ知ってる?ひとは人生で平均3回しか引っ越ししないんだって」と修正されなければならない(笑)。


(出典:国立社会保障・人口問題研究所 第9回人口移動調査『結果の概要』より)


年齢別にみると、20歳代前半から40歳代前半にかけて急速に増加し、60~64歳まで回数が上昇する。降下するのはそれ以降、すなわち高齢者というお墨付きが与えられたころからである。



(出典:国立社会保障・人口問題研究所 第9回人口移動調査『結果の概要』より)


グラフの分類にしたがってぼくの場合を数えてみると、
5~9歳で1回
10~14歳で2回
15~19歳で2回
20~24歳で2回
25~29歳で5回
30~34歳で2回
と、これまでに都合14回の引っ越しをしている。日本人平均の4倍以上だ。

家財道具をほとんど持たず、関西から関東を経由して東北へと移動した20歳代後半がもっとも多いのは、今となっては懐かしい思い出でしかないが、ぼくの人格形成に引っ越しが影響を与えたと思われるのは、もっとも回数が多いそこではなく、保育園から小学校時代における、いずれも父の転勤に伴って強制的に移動させられた3度のそれだ。

よかったのかわるかったのか。どちらの側面もあり一概には言えないが、今のぼくをかたちづくっているものに、その引っ越しの影響がまちがいなくあることを思えば、総論的にはポジティブに解釈するべきだろう。

抗いようもない転居は、年端もゆかぬ子どもにはけっこう辛く悲しい。別れがあれば出会いがあると気分を変えてのぞみはするが、人の移動が少ない田舎のことなれば、移ったら移った先で待ち受けているのは、皆がみな、ウエルカムな人ばかりではない。そこでどう立ち居振る舞い、自己をどう処するか。
それが人格形成期である少年時代に何度かあったことが、その後の人生に影響をおよぼさないはずがない。

「ねえ知ってる?ひとは人生で平均3回しか引っ越ししないんだって。でもね、じっちゃんは14回も引越してるんだよ」

そんなこと、自慢にもならないけど、話のタネぐらいにはなるはずだ。全貌をあきらかにするには、3日3晩にわたってぼくと飲み明かさなければならないけれど。



人間は考える葦であった

2024年11月15日 | ちょっと考えたこと
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 たとえば、かつて編集者のみなさんと会食中に、お定まりのダイエット談義となり、ついつい話の流れで「デブ」という言葉の語源に及んだことがあった。
(中略)
 しかし、このごろではどうなるかというと、考える間もなく一斉に、ロボットの知識を頼るのである。つまり、考える前に調べてしまう。
 デブの語源までとっさに教えてくれるとは思えぬが、どうやら進化を遂げたロボットは、世の中の疑問のたいていをたちまち解いてくれるらしい。
 はっきり言って、つまらん。それではまるで、ろくに考えもせずにクイズの解答を見てしまうようなものではないか。あるいは卑近なたとえをするなら、翌日の新聞でレース結果を見て、同時にあっけなく散財を知るようなものではないか。
 科学者はどうか知らぬが、文科系の思考回路を持つ人々は、結論に重きを置かないものである。むしろ、前述のごとく議論の経緯を楽しみ、結論を見ることは何につけても虚しいとさえ思う。
 しかし、文明の利器は誰彼かまわず結論を提示してしまうのである。むろん便利にはちがいないが、その便利さによって社会が一元的に使用すれば、人間は考える楽しみを失ってしまう。
 そしてもうひとつ、これは私たちにとって肝心なことだが、世界中の人々が一元的にこの方法をとれば、伝統的な教養主義に支えられてきた日本は、まっさきに脱落し、堕落してしまうと思うのである。
 札幌からの帰り途、窓側の席でぼんやりと雲海を眺めながら、何を調べるでもなく誰に訊ねるでもなく、そんなことを考えた。
 人間は考える葦である。すなわち、考えてこその人間である。
(『見果てぬ花』浅田次郎、小学館文庫、P.046~048)
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奥付を見てみると、2021年とあるから、浅田次郎がこのエッセイを書いたのは、ChatGPT3.5が公開される2年前。「デブの語源までとっさに教えてくれるとは思えぬが」という当時の彼の想像はいともかんたんに裏切られ、「とっさに教えてくれる」時代は、それからわずか2年後に訪れた。
そして今、それにどっぷりと浸かっているぼくがいるわけなのだが、一方で、そのおじさんは、

「人間は考える葦である。すなわち、考えてこその人間である」

という締めくくりの一節に胸を射抜かれ、がっくりと首を垂れたりもする。

そう。自分の頭で考えてこその人間。すなわち、あらゆる物事を前にして、考えることをしようとしない者は人間と呼ぶに値しない。

「人間は考える葦である。すなわち、考えてこその人間である」

くだんの一節を反芻したあと、自分で自分にそう言い聞かせ、「いったい何をやっているんだオマエは?」と問いかける。

しかし・・・

そうやって数十秒がすぎた後、おもむろに起動したChatGPT4oに
「デブという言葉の語源はどこにあると思う?」
と問いかけ、しばしチャットを繰り返すのだから、いやはやまったくこのオヤジ、なんと言ってよいのやら、どうにもこうにもならないのである。



ちなみに、冒頭の引用文でぼくが略した箇所はこう。

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 私が「development」の略語説を唱えると、ある編集者は江戸時代の文献にも「でっぷりと肥えた」などの表現はある、と反論した。またある人は、「double chin」すなわち「二重アゴ」だろうと主張した。さらには、「出不精」を略して「デブ」だという説も現れた。
 議論を戦わすこと数時間、結論は出なかったのだが、たいそう充実したひとときであったと記憶する。もっとも、結論を見る必要はない。想像に満ちた時間は楽しく、なおかつ十数年もの時を経て、本稿の創造にもこうして益するのである。
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そして、ChatGPT4oの回答は次のようなものだった。

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「デブ」という言葉の語源については、確定した由来がはっきりと示されているわけではありませんが、いくつかの説があります。主な説としては以下のようなものがあります。
  1. 擬音語からの派生
    太っている様子やどっしりとした動きを表現する擬音語「でぶでぶ」「どぶどぶ」などから「デブ」が派生したという説があります。体が重く、動作がゆっくりになる様子を擬音で表現し、それが「デブ」という言葉に転じたと考えられています。
  2. 子ども言葉の影響
    日本では、子どもが使いやすい簡単な言葉が愛称のように広まることがあります。「デブ」という言葉も、そのような音の響きから自然と使われ始めた可能性が指摘されています。音の響きが軽く、覚えやすいため、口語として広まったと考えられます。
  3. フランス語からの影響
    一説には、フランス語の「デブ(debu)」が由来とも言われています。「debu」は「重い」や「重量がある」といった意味があり、太った様子を表す言葉として日本に取り入れられた可能性がありますが、この説には確証がありません。
いずれにしても、「デブ」という言葉は口語として定着しやすく、音の響きやリズム感が印象に残りやすいことから広まったと考えられます。
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「人間は考える葦である。すなわち、考えてこその人間である」

エブリバディ・さあ・れっつ・シンキングだ。
かつて、人間は考える葦であった、とならないように。



惑い惑わされて

2024年11月14日 | ちょっと考えたこと
孔子の時代ですら50才で天命を知るくらいですから、いまの長寿時代なら60才くらいで不惑、70過ぎてからようやく天命を知るのかもしれません。わたしも70代に向けて迷走、道草を楽しみたいと思います。

ぼくよりひと回りほど年下の敬愛してやまない知人が、フェイスブックに投じた文章に、我同意せりとついつい膝を打った自分自身に思わず苦笑。
それが20年も前ならば、「チャンチャラおかしいや、老兵は消え去るのみだ」と鼻で笑っていたかもしれないことを思えば、まことに身勝手なことこの上ない。
しかし、恥かきついでに言わせてもらえば、その位置に立たなければわからないことが確かにある。年齢と、それを重ねたことによってちがってくる感覚や自己評価などは、その最たるものかもしれない。

ちなみに、孔子が七十余年の生涯を閉じたのは、今からざっと2500年も前の昔だから、ロングロング・ずっとずっと・とてつもなく・アゴーである。
そんな気の遠くなるほど遠い昔に彼いわく。

吾十有五にして学に志す。
三十にして立つ。
四十にして惑わず。
五十にして天命を知る。
六十にして耳順(みみした)がう。
七十にして心の欲する所に従って、矩(のり)を踰(こ)えず

わたしは15歳で学問を志し、30歳になると、独立した立場を得た。40歳になると、迷うことがなくなり、50歳で天から与えられた使命を知り、60歳になると他人の言葉を謙虚に受けとめられるようになり、70歳になると、思ったように振舞っても道を外れるということはなくなった。

ここから
15歳を「志学(しがく)」
30歳を「而立(じりつ)」
40歳を「不惑(ふわく)」
50歳を「知命(ちめい)」
60歳を「耳順(じじゅん)」
70歳を「従心(じゅうしん)」
というようになったのは有名だが、現代日本の一般的には、「不惑=四十にして惑わず」以外の言葉はあまり知られていないような気がする。というのはさておいて・・。

古代中国における平均寿命が、いったい幾つなのか、今となっては知る由も調べようもないが、ごく大雑把な感覚としても、そこにおける70を現代の90と置き換えても、なんら不都合はない気がするし、むしろ、プラス20ぐらいがちょうどよい加減のような気もする。

孔子より1200年もあとの唐代に生きた詩人杜甫の作『曲江』にはこうある。

酒債尋常有行處
(しゅさいじんじょうゆくところにあり)
人生七十古来稀
(じんせいしちじゅうこらいまれなり)

ここから「70歳=古稀」となったのも、これまた有名な話だ。
そうすると、知人の言葉とピタリと重なってしまう。
となると、まもなく60と7つを数えるぼくの場合は、「天命を知る」少し前ということになろうか。つまり、そこになってはじめて、自分の人生についての天命や運命がどういうものであったのかがわかる。そして首尾よく80まで生きることができれば耳順、すなわち、他人の意見に反発を感じることなく、素直に耳を傾けられるようになる。

う~ん・・・今さらながらではあるがそれは、齢を積み重ねればそうなるという類のものであるはずがない。それに、ぼくの場合においては、天命よりも耳順よりも不惑、すなわち「惑わず」がもっとも困難で、ほぼ実現不可能なもののような気がしてならない。つまり、いかにその基準となる年齢を変えようと、こうなるわけだ。

40にして惑い
50にして惑い
60にしてなお惑い
70になったらなおいっそう惑い
80になってもまだまだ惑う
思い惑い心惑い
戸惑い暗れ惑い
ふらつき
ぐらつき
ためらって
途方に暮れてオロオロする

サウイウモノニワタシハナリタイわけではないけれど、そうならそうで、一生惑うと思い定め、そこに拠って立つのもわるくないかもしれない。