早朝、ちょうど一年前、2015年5月28日の拙稿を読み、ふ~っとため息ひとつ。
まったくもって成長しないオヤジだと苦笑いする。
再掲する。
ご笑覧あれ。
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『U理論』(C.オットーシャーマー)で紹介されている(たぶん)寓話。
ある男が一枚の絵を掛けたいと思っている。釘はあるが金づちがない。隣人が持っているので、借りることにした。そのとき、彼に疑いが生じた。
「貸してくれなかったらどうしよう。そういえば昨日、あいさつしたとき辛うじて頷いただけだった。たぶん、急いでいたのだ。でも、私が嫌いで、急いでいるフリをしていたのかもしれない。なぜ、私を嫌うのだろう。いつも親切にしているのに。きっと、何か誤解しているのだ。誰かが私に道具を借りに来たら、もちろん、私は貸してやる。ではなぜ彼は私に金づちを貸したくないのだろう。こんな簡単な頼みを断るなんて。彼のような人はほんとうに人生を台無しにしている。おそらく、金づちを持っているというだけで、私が頼りにしているとさえ思っている。一つ、説教してやろう。」
そうして、この男は勢い込んで隣の部屋まで行き、ベルを鳴らす。
隣人がドアを開け、まだ「おはよう」とも言わないうちに、男は叫んだ。
「あんたの金づちなんか、誰が借りるもんか。こののろま!」
(位置No.10549中2516)
多くの人にとっては「笑い話」にしかすぎないのかもしれないが、いささかデリケートにすぎるこの男のことを私は笑えない。
いや正確にいえば、あまりの的を射た喩え話に、身につまされて哀しくなったそのあとで、可笑しくてたまらなくなり、ふんと笑った。
「金づちを借りない男」は、私自身に他ならないからだ。
対象についてリサーチして事に構える。いわゆる「先読み」である。悪いことではない。どころか、むしろ積極的に私はそうしてきた。
だが、ときとしてその「想定」は、自分自身の判断や行動に悪影響を及ぼしてしまう。特に対ヒトの場合などには、よくあることだ。
オットーシャーマーの言を借りれば、「自分の頭の中で構築したものを世界に投影して見ているだけ」、もしくは「自分の閉じた境界内」で活動しているためそこから抜け出すことができない、からである。
じゃあ、どうすりゃいいのさ思案橋。
そこで思い出すのが、デヴィッド・ボームいうところの「想定を保留状態にする」。
想定をいったん保留状態にしておいて、対象を観察する、あるいは耳を傾ける。
う~・・・・・
朝も早から布団を抜け出し、
頭を抱えるオジさんなのである。
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読み終わり、一年後の今もまた変わらず頭をかかえ、こんな詩を思い出す。
青みがかったまるい地球を
眼下にとおく見おろしながら
火星か月にでも住んで
宇宙を生きることになったとしてもだ
(中略)
そこでぼくがついまた
かっとなって女房をにらんだとしてもだ
地球の上での繰り返しなので
月の上にいたって
頭をかかえるしかない筈なのだ
(山之口貘『頭をかかえる宇宙人』)
詩の全編はコチラ
↓↓
http://www.astrophotoclub.com/bakusan.htm
うん、そうだ。
そんなもんである。
とまた苦笑いしつつ、頭をかかえる◯◯◯(ホニャラララ)。
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