あれはどこの放送局でどういうタイトルの番組だったのだろう。そんなことはまったく気にせず、女房殿が録画していた澤穂希さんを特集したTVプログラムを観た。
そのなかで、彼女が淡々と語った言葉に唸る。
いわく、
先人たちのおかげで今の成果がある。私はたまたまそこにいたというだけのこと。
日本のサッカーの歴史上で男女を通じてナンバーワンの実績を持つプレイヤーが、「たまたまそこにいただけ」もないもんだ、と苦笑いするが、まったく嫌味には聞こえてこない。いやはやじつに謙虚な人である。謙虚さもあそこまでいくと清々しい。
小学館
澤穂希
幻冬舎
澤穂希
講談社
能ある鷹は爪を隠す、とよくいわれますが、謙虚さはひとにモテる秘訣でもあるのでしょう。男性の魅力のひとつは、やはり謙虚さだと思います。本当の謙虚さというのは、本当のプライドがないと出てこない。そして爪を隠さない瞬間に、とんでもなくすごいものが出てくる。ひけらかさないし、大げさに誇張する必要もない。
とは、先日読んだ『男性論 ECCE HOMO』(ヤマザキマリ、文藝春秋)のなかの一節。そんなテクストを思い出しながら澤穂希さんを見ていた。
ヤマザキマリ
文藝春秋
かくいうオジさんとて、日ごろ「謙虚たれ」と努めて日々を生きてはいる(モテたいからではありませんヨ、念のため)。だがときとして、謙遜しているはずの言葉や態度が、嫌味に受け取られることがあるようだ。当の本人としては、「なぜ?」と思わぬでもないが、結局のところ、「本当の謙虚さ」というものが身についていないから、傲岸不遜な中身が見え隠れしてしまうのだろう。そもそも謙遜することで謙虚さを装うというその心持ちからしてが「本当の謙虚さ」からはかけ離れたものなのかもしれない。
そもそも「本当の謙虚さ」などというものが、凡人が努力して身につくものかどうか、我ながら若干疑問があるところだが、少なくとも「謙虚たれ」と努める心持ちをなくしたらいかんわな、とかナントカ思いつつ、テレビのなかの澤穂希さんを見ていると、ヤマザキマリさんのテクストが脳内でリフレインする。
本当の謙虚さというのは、本当のプライドがないと出てこない。
そして爪を隠さない瞬間に、とんでもなくすごいものが出てくる。
ひけらかさないし、大げさに誇張する必要もない。