高知県が管理する国道県道の維持管理は、委託業務として発注され、落札した地域の建設業者が定められた区間を受け持つ、というパターンがほとんどなのだが(たぶん)、なかには「地域委託」という形をとって除草を地元住民にゆだねているところもあり、私んとこ(北川村大字長山)もそのうちのひとつである。
春と秋、年2回行われる草刈りの今日は秋の部。原則一家にひとりは出ましょうネ、という決め事があるのだが我が家ではたいがい母と妻と私が参加、今回は母に所用があり、妻と二人での参加だった。
この「地域委託」という維持管理の形態について、高知県がどのような主旨でやっているのか、聴いたこともない私にはよくわからないし、まあ確かめようとしたこともないのだが、こいつはイイ。何がイイってあなた、そこに住んでその道路を利用する当の本人たちがやるんだもの、必然そこからは「自分たちがキレイにする(あるいはしなければならない)道路」だという感覚が生まれるのだ。
こんなことを地場中小零細建設業者の従業員たる私がいうのもなんだが、私たち(ふだんと立場を変えた、ですよあくまで)の草刈りは、建設業者が請け負ってやる草刈りとはレベルが違うのである。
いや正しく言うと、草刈りの出来そのものは業者のほうが明らかに上なのだ。しかし、建設業者のやる草刈りがあくまで「工事」としてのそれであるのに対し、地元の人間がやるそれは、「道をキレイにする」ことを目的として(報酬はありますよ、念のため)行われるという側面が強いので、「草を刈って刈った草を掃除すりゃあオシマイ」というふうにはならないのだ。もっとわかりやすく説明すると、
除草1mあたり◯◯円だとか、
側溝清掃1mあたり〇〇円だとか、
ここからここまでが請負いの範囲だからこれ以上やらんでもいいとか、
5時までやってりゃ人夫賃がもらえるわさだとか、
の観念が、そこには見事なまでに欠落しているということである(もちろんイイ意味で)。
たとえば今日を例にとってみてもだ。日常を「(有)礒部組技術部長」として暮らす私は、「そこはやらんでえいがぞ」(つまり範囲外)と妻にエラそうな口を聞くのだが、「みっともないから」のひと言で軽く返り討ち、というあんばいだし、「除草の委託業務」にもかかわらず、最初から最後まで側溝のそうじを徹底的にやっている人もいたりする、という具合なのである。
だからこういった取り組みをもっと増やせ、とかそんなエラそうなことを言うつもりは毛頭ない。ただ、地方の道路を維持管理していくうえではけっこう効果的だったりするんだろうな、と私が思うだけである。しかしその反面、明らかにメンバーは一年一年歳をとり、そうかといって補充はほとんどない辺境の地では、いずれ立ちゆかなくなるのかもしれないなとも思ったりする。
ところがだ。そんな私のネガティブイメージなどどこ吹く風と、今日も爺さん婆さんオンちゃんオバちゃんは、バリバリと音の出るような仕事をするのだよこれが。
たいしたもんだ。