村で人気の・・・
というよりは全県的な人気を博し、平日にかかわらず営業日には必ず行列ができる「いごっそラーメン店長」に、次のような張り紙が。
太字の箇所を先に書き、張り出したのだろう。
お客さんにとって必要な情報はそこに含まれている。
その告知をながめてみた「おっちゃん」は、「はて?」と考えた。
「ワシの想いが入っちゃあせんじゃないか」と。
そこで、しばし沈思黙考したあと、おもむろにマジックをとり出し、つけ加えてみた。
『あつくてがまんができません ごめんなさい』
「よし!しかし・・・、肝心な何かが欠けている」
そして、またつけ加えてみた。
『しばらくまって下さいね ごめんなさい』
以上は、すべてわたしの憶測。つくり話。フィクションだ。
しかし、当たらずといえども遠からずだろうと、まことに勝手ながら、そう思っている。
そして、そんなストーリーを想像したと同時に、こんなことを考えさせられた。
情報発信をやるかやらないか。そこにはとてつもなく大きな差があり、まず「やる」ことが何をさておいても尊いのだが、今日はそこは「在りき」で話を進める。
情報発信において、ただ情報を羅列するだけではコチラが伝えたい情報が相手に届くことは困難だ。
そこには、その発信者の「人となり」が表出するような何ものかがなければならない。
具体的にそれが何であるかは、それぞれ個別のスタイルがあってよい。しかし、千差万別のそのなかで、必ずほしいのは自らの想いだ。
この張り紙にはそれがある。
したがって、わたしは感心し、惹きつけられた。
『あつくてがまんができません ごめんなさい』
『しばらくまって下さいね ごめんなさい』
かわいい文句に思わずほっこりさせられたあと、
「情報発信はかくあるべき」
ひとりうなずく辺境の土木屋62歳。
いやぁー、勉強になるなあ。