つまり自ら情報を発信しない限り
「なんだかわからないもの」は
「なんだかわからないもの」のままなのであり
それは好き勝手に解釈されるものでしかない
桃知さんのこの言葉をわたしがわたし自身の肉声で発しはじめたのはいつのころだったろうか。いついつあの場所から、というたしかな記憶はないが、10年ほど前からになるはずだ。ちなみに、このブログでの初出は2009年11月28日、リンクをたどるとそのネタ元がある。
以下、『桃知利男の浅草的ブログ』より
http://www.momoti.com/blog2/2008/06/post_251.php
なんとも、だったのだが、昨晩のニュースというか今朝のニュースは、《下水道の電機設備で官製談合の疑い=札幌市や三菱電機など立ち入り-公取委》なのであって「おぼんのような世界」は、こうして裸にされていく。
「おぼんのような世界」とは、閉じた円環の社会であって、それは外から見れば「なんだかよくわからないもの」でしかない。
「なんだかわからないもの」に出会ったとき、人は二つの行動を選択しうる。
-
「なんだかわからないもの」を「なんだかわかるように」しようとする
-
無視する
フツーの人々は2の無視するを選択する、そのことでディスコミュニケーションに建設業界はおかれてきたわけで、500万人を越える就業者を抱え、地域の経済の基盤をになってきたこの業界に誰もコミットしようとしなくなった。
しかし1を職業としているのが「マスコミ」なのであって、彼らが突然「なんだかわわからないもの」を市民に「なんだかわかるように」説明をし始めるときがある。それが今回のような事件のときだ。
しかしそれは言ってみれば「マスコミ」のつくった物語なのであって(つまりプレゼンテーション)、それは(おぼんの外のひとたちが)自ら進んで「なんだかわからないもの」を「なんだかわかるように」したのではない。
つまり「おぼんのような世界」は自ら情報を発信(物語=プレゼンテーション)できないことで、好き勝手に解釈されている。つまり自ら情報を発信しない限り「なんだかわからないもの」は「なんだかわからないもの」のままなので、だからあたしらは好き勝手に解釈されてしまっている。
それを「好きにすれば」と言ってきた(無視してきた)のが「おぼんのような世界」でもあったのだが、たぶんもう言えなくなってしまったのは、「おぼんのような世界」そのものが「好きにすれば」といえるだけの強固な壁を持てなくなってしまっているからだ。
そしてそれが自らの壁の破壊(ひねり)ではなく、外部からの破壊であることで、あたしらは辛いのだわ。
(太字、みやうち)
・・・・・・・・・・・・・・
桃知さんがこれを書いたのは、わたしがブログで引用する1年半ほど前になる。そのときは、まだこの辺境の土木屋が「伝える人」として目覚めて間もない。いや、たまさかに依頼があれば、事例発表者として自分自身の体験と想いを伝えてはいたが、「伝える人」という自分の役割についての自覚はなかったはずだ。その後、どこがどうしてこうなったか。これもまた定かな記憶はない。たしかなのは、「伝える人たらなければならない」と「勘違い」してしまったという事実だけである。
爾来、「三方良しの公共事業」や「建設業の情報発信」のことを語るたびに
”つまり自ら情報を発信しない限り「なんだかわからないもの」は「なんだかわからないもの」のままなのでありそれは好き勝手に解釈されるものでしかない”
という桃知さんの言葉を唱えつづけてきた。
つづけていればよくしたもので、そんなわたしの言葉に触発された方が日本全国津々浦々(とまで言えばちょっとばかり大げさすぎるが)あちらにもこちらにも少なからずできた(みたいだ)。
きのう、そんな奇特な人たちのなかのひとりから、便りが届いた。
いつかどこかでわたしが説いた桃知さんの言葉を常に意識し、さまざまなパターンの発信をしているのだという。
そしてその便りは、こんな言葉で締めくくられていた。
「いろんなことを学べました。もっと一般の方まで届くまでもがくつもりです。」
つまり自ら情報を発信しない限り
「なんだかわからないもの」は
「なんだかわからないもの」のままなのであり
それは好き勝手に解釈されるものでしかない
わたしオリジナルの言葉ではない。しかし、たぶんわたしが日本で一番この言葉を口にした回数が多いはずだ。
たとえばくだんのメールの主さんのような人に、いつかどこかでそれが届いて、そこからつながっていくもろもろの動きがあって・・・わたしなぞがはるかに及ばぬ能力と行動力を持ち合わせた人がそれに触発されて・・・またつながって・・・とそんなこんなを考えると、10年近くのあいだバカのひとつ覚えのように言いつづけてきた甲斐があった。
まだまだしつこくつづけてみよう。
そう思った。
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