昨夕、高知県安芸郡北川村大字長山字田上、である。
休日ならではの早めの風呂上がり、空を見上げてみたの図、である。
朝寝して、トレーニングをして本を読み、
太鼓を叩いて、
あまつさえ、今は中学生になった教え子たちが稽古をしに来てくれたとくれば、
ワタクシ的には、ほとんどベストな日曜日。
至極当たり前のことではあるが、
さあ、今日からはまた仕事。
今さらながら、でき得るならば、仕事と家庭とは倒立していたいと、
そう思う月曜の朝なのである。
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社会と会社も別の文脈で考えるべきです。もちろん、それらは画然と区別されるわけではありませんが、少なくとも会社というものが持っている限界、お金儲けとか効率化というものが会社の中では重要な要素ですが、それを社会全般や個人の哲学に適応できるわけではないということに自覚的であるべきです。
(『移行期的乱世の思考』平川克美、PHP研究所、P.163)
移行期的乱世の思考 「誰も経験したことがない時代」をどう生きるか | |
平川克美 | |
PHP研究所 |
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つまりは、人間というもの、生きていくにもっとも大事のことは・・・・・・
たとえば、今朝の飯のうまさはどうだったとか、
今日はひとつ、なんとか暇を見つけて、半刻か一刻を、
ぶらりとおのれの好きな場所へ出かけ、
好きな食物でも食べ、ぼんやりと酒など酌みながら
・・・・・・さて、今日の夕餉には何を食おうかなどと、そのようなことを考え、
夜は一合の寝酒をのんぴりとのみ、疲れた躰を床に伸ばして、
無心にねむりこける。このことにつきるな。
(『鬼平犯科帳7』「寒月六間堀」池波正太郎)
鬼平犯科帳〈7〉 (文春文庫) | |
池波正太郎 | |
文藝春秋 |
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