今となっては「どうしてあんなにこだわっていたんだろう?」と不思議なのだ。
わが息子の食事の仕方に対し、「そうじゃないだろう」と「指導」を繰り返していたことについてである。
息子は、品目別にひとつずつ順番に食べていく、という方法を採用していた。「順番に」というのは、あくまでもわたしの記憶からの推測にすぎないが、いつもコメの飯が最後だったようなことを思い起こすと、彼のなかではたぶん、それなりの順番があったのだろう。
わたしはといえば、たとえばおかずだけを食べてメシへ箸を伸ばさないのはあり得ない。おかずも、数品あれば、ひとつだけを集中して食べることはあり得ない。食べながら、次はアレだな締めはコレだな、と計画を立てながら食事を進めていく。いわゆる「三角食べ」とはチトちがう。おかずしかり味噌汁しかり、食ったあとは常に白飯(あるいは酒)へと帰ってくることからいえば、「放射食い」といったほうが適切なのかもしれない。
そんなわたしだもの。
いわば一点集中主義(「片づけ食い」という呼び方があるらしい)ともいえる息子の食べ方が、どうにも気になってしかたがなく、「そうじゃないだろう」と「指導」を繰り返していた。だが、近ごろになってようやく、こんなことを思いはじめたのだ。
なぜ、かつての息子のような食べ方がダメなのだろうか?
「わたしの方法」がよくて「彼の方法」が悪い。何がよくて何が悪いのか。するそんなことに一欠片の疑念も差し挟むことなく、「それはダメ」で「こっちにせよ」とは、なんとも理不尽きわまりない言辞ではなかったか。もちろんわたしとしては、「旨く食う」ためにはそれがよいのだというそれなりの理屈はあったからこその「指導」ではあったが、それこそ人の好きずき個人の好み、そもそも、「旨い」などという感覚は個人によってかなりちがう。
だとすれば、「べき」「べからず」で押しつけをするような類のものではなかったのではないか?
そんなことを考えながら、いつになく多くならんだ酒肴を目の前に、ぱくりぱくりと食い、ちびりちびりと呑む昨夜。
「ぜったいコッチのほうがいいんだけどなあ」
そこんところの考えは変わってないのだけれど。
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