答えは現場にあり!技術屋日記

還暦過ぎの土木技術者のオジさんが、悪戦苦闘七転八倒で生きる日々の泣き笑いをつづるブログ。

「自利」が転じて「利他」となる

2017年04月07日 | 三方良しの公共事業

近ごろは本を読む気がしない。読み始めてもすぐ飽きてしまう、と表現したほうが適切だろうか。「アタリにめぐり合わない」というか「ハズレがつづく」というか。そうなるとストレスがたまってきて、「読む」のがひとつもおもしろくない。

言うまでもなく、本のチョイスが悪いのだ。たぶんそういう気分(根気がない、あるいは持続力がない)であるにもかかわらず、興味と好奇心だけでなんでもかでもに手を出すからこうなる。

こんなときは気分が落ち着くジャンルを読もう、ということでマイKindleライブラリーから選んだのが『般若心経』(佐々木閑)。いや正しくは、落ち着くかどうかはわからんけれどなんとなく落ち着きそうな雰囲気がしたからチョイスした『般若心経』を読む。

 

NHK「100分de名著」ブックス 般若心経
佐々木閑
NHK出版

 

このなかで興味をひかれたのは、本題の般若心経そのものの解説ではなく、「自利」と「利他」について書かれている部分。佐々木さんは、釈迦の教えの最大の特徴を「自利」、つまり、自分の心の苦しみを自分の力で解決する「自己救済」にあると解説し、「自利(自己の救済)」が「利他(他人の救済)」に転じるという。それに対して、多くの大乗仏教(ちなみに日本はほぼ完全な大乗仏教国です)の特徴は、「利他」=「他者のため」にあり、その差異が生まれた原因を「釈迦の仏教」が持つ峻厳さにあると書いている。

そして、わたしの蛍光灯がピカッと光ったのは、そこからまだ脇道へそれたこの一文だ。

 

 余談ですが、「自利」と「利他」は最近いろいろな分野で注目されていて、科学の世界でも、この言葉を用いていろいろな議論がなされています。ところが、日本人は利他というと「自己犠牲」の利他ばかり考えてしまい、「釈迦の仏教」のような「自利の産物としての利他」はなかなか思いつかないようです。たとえば自然界の生物は一般に他を押しのけても自分が生き残ろうとすると考えられがちですが、なかには働きバチや兵隊アリのように女王のために自分の身を粉にして働くものがあります。それを即座に「利他的な遺伝子プログラムが存在する」と表現したりするのですが、果たして本当にそうでしょうか。私は、その行為は必ずしも自己犠牲の利他ではなく、「本来は自分のためにそうする」という「釈迦の仏教」的な「利他」が働いているのではないかと思うのですが、まだ概念が熟していなくて混乱があるようです。(位置No.1058~1066)

 

「自利が利他に転ずる」

「自利の産物としての利他」

まず「利他」があるのではなく、まず「自利」があり、「自利」としての行為が「利他」を産み出す。もちろんそれは偶然で産みだされたものであってはなんにもならず、「自利」の向こうにある「利他」は、いつもいつでも視野に入ってなければいけない。

「般若心経」という本筋からいえば文字どおり余談ではあるが、わたしにとっては大きなヒントとなった。

もちろん、「(わたしの)三方良しの公共事業」にとってである。

 

 

ということで、今回は正しいチョイスなり。

しばらくは「仏教」で攻めてみようか、などと考えている。

 

 


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