日記を書こうかと思っている。
「書いてるじゃないか、ここで」とツッコンだそこのアナタ。これは、「日記」という名ではあっても日記ではない。
思いつきや行動をふりかえり、可能な限り言語化する努力をする。
(いわゆるブログ化です)
が、生来の性質ゆえか、時としてそれはネガティブなものとなりがちだ。
(初期のころは特にそうでしたね・・・遠い目)
そこのところを打破するためには、書いていく途中で、あるいは書いたものを読み返して、ポジティブな表現に書き換える。もしくは、カラ元気でもいいのでポジティブな終いかたをする。また、あまりにネガティブすぎるものはいったん寝かせたあと、ポジティブに書き換えるか、どうしようもないものは破棄する。
これをつづけていると、「ポジティブに書く」という方法が身についてきて、あ~ら不思議、思考回路そのものがポジティブに変容してくる。
(かもしれない)
これがわたしの、「技術屋日記」というブログを書くうえでの作法である。
当然そこでは、不特定多数の目に触れている、という意識がばりばりに働いている。わたしの場合、だからつづけてくることができた。その過程で励みとなった言葉にこんなのがある。
「ブログを書くというのは、将来に向かって、過去の記録を残すことだ」(桃知利男)
とはいえヘタレのオジさんは、そのときどきの心情をストレートに書けないことのほうが多い。愚考をWebに晒したそのあとのことを想像してしまうと、ときにはオブラートに包み、ときには迂回し、そして結局書かなかったりする。でそのあげく、表に出るのはそのときどきの心情をまったく反映させていないものになるのもしばしばだ。
とはいえ、ポジティブな情報発信を旨とする私が、そのことに共感して読んでくださっているかたたちに向けて、腹が立ったの辛いだのヘッタクレだのと書き連ねたとして、いったいどこのどなたが喜ぶのか。なにより当の本人のいっときの憂さ晴らしにさえならない。ということを踏まえてみると、やはりネガティブな思考を表出させるのはNGだろう。
という文脈からいけば、「書き残されたブログ」は「過去の記録」たり得ないということになってしまう。だがそうでもない。つつみ隠さずストレートに書き記されていることだけが「記録」ではない。そのときどきの心情をまったく反映させていないポジティブ感あふれるテクストもまた、わたし自身の「記録」に他ならない。何かを対象として選択し、それをどんなふうに料理するかと考え、できた稿が、少々おちゃらけであったとしても「記録」にならないはずはないのだと、考えてつづけてきた。
だが・・・そこには、肝心要の「事実」というものがない。
いやいや、他人さまには、わたしの「事実」なぞ要らない。ここに書いたことがフィクションだったとしても、ここに書かれたことがすべてである。
だが・・・自分史としては、やはり「事実」がなければ「記録」にはならない。
ということで・・・
わたしだけの日記を書こうかと思っている。
二日酔いだとか、頭が痛いとか、胃がもたれているとか、寝不足だとか・・・(ネガティブだね~)というまったく個人的な事実を箇条書きに羅列したようなものを。
それは「将来に向かって過去の記録を残す」ブログを補完してくれる(たぶん)。
なによりそれは、「ブログを書く日々」のネタ元になる(かもしれない)。
(けっきょくそっちへ行くのかよ!)
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