出社しようと家を出たとき、私の目の前に飛び込んで来た風景。
週末の朝会は今週の進捗状況と翌週の予定を話し合うため、普段より早く、普段より少し念入りに行われる。
であるからして、週末の私の朝はたいていバタバタとあわただしいのが常なのだが、
この景色を目の前にしてしまった今朝は、「これが撮らずにおられるか」と、おもむろにカメラを取り出す。
皆さんは、ずい分と山奥に住んでいるのだな、と思われるだろう。
いや、そう思うに違いない。
だが、ここ高知県安芸郡北川村大字長山字田上(たあのうえ、と読んでほしい)は海岸線から約8キロしか離れておらず、
「辺境の民」と自分を位置づけながらも私は、日々を営むこの地が、それほどの山奥だとは思っていない。
唐突に、妻の両親が初めて当地を訪れたときの感想を思い出す。
「なんとまあ空が狭いこと、(こんなところで暮らさねばならない)オマエが不憫だ」
もちろん、私に直接言ったわけではなく、夜、布団に入ってつぶやいた(らしい)言葉なのだが、
なんとまあしみる父娘の会話である(秋田弁で言った、と想像してみてください)。
27年経った今、空の狭さは変わらないが、はて「不憫」のほうはどうなんだろうと、来し方を思う。
雨上がりの暖かな冬の朝、高知県安芸郡北川村大字長山字田上。
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