すーちゃん
質問・彼の優しさはわかっているつもりなのに、またこちらから喧嘩してしまいました。
瞑想や座禅をしに寺にも行ってるんですが、全然わかりません。恋愛や仕事に悩む『私』っていったい何なんですかね?
叡空・あなたは思考で、彼を理解しようと努力している。
その延長線上で、寺での座禅や瞑想「法」に問題解決の糸口を求めている。
座禅や瞑想は「意図する『行為や方法』ではない。
あなたは、瞑想「法」は知っているが、瞑想を識らない。
元来「行為」としての座禅や瞑想「法」が『状態』としての瞑想となるのに、出家修行が前提となっている。
それは、瞑想が生じるための脳内変化に一定の時間が必要だからだ。休日や日常のひとこまの瞑想「法」は、マインドフルネスに留まるだろう。
マインドフルネスとは、単なるリラックス方法であり、決して瞑想とはならない。
それは、能力開発、リラックスという「目的のために行う行為」だからだ。瞑想とは、方法ではない。入口は方法であっても、やがてはそれを超えた『日常の行為そのものが祈りとなる』
。恋がやがては、愛に昇るように。
祈りすら意識しない『それ』そのものが瞑想。
だから日常生活を送るあなたは、いつまでもパートタイムの瞑想家、ストレス解消のリラックスに留まるだろう!
しかし、在家生活を送っているあなたには、当然の結果だから無理な努力は辞めなさい。
日常生活を送っているあなたが、あなた自身である「私を識る瞑想」がある。
それが、恋愛『相対瞑想』だ。あなたは、『自分であることを、私であることをなぜ感じられるのか?』、恋人と喧嘩しながも、後悔しているのは誰か?
なぜ、後悔して叡空に尋ねたのか、あなたのハートを意識して声を聴いてごらん。
そこには、愛が在るだろう。あなたのハートにある想いの結晶が観える。
あなたは彼への愛の想いを感じるために、自分自身で『「私」を観よう』と瞑想方法を行ったが、瞑想は生じなかった。
それは、愛と祈りが伴わない瞑想はないからだ。多くの瞑想家は、ゴーダマ仏陀が瞑想以上に大切にした慈悲の祈りを忘れている。
日常生活においてハートを突き抜く真剣な恋愛は、やがて愛する人への祈りと感謝になる。そして、それこそが『相対瞑想』だ!!
もしも、あなたの中に祈りが生じないなら、そこには無我になれない目的がある。結果への執着があるだろう。
恋に堕ちず、愛に昇る時。愛する人に今生で出会えた奇跡に、感謝が生まれ、それは無我の祈りとなる。
その時、愛する存在から『私など初めからどこにもなかった』、『(相互依存)関係こそ私である」』ことを、恋愛を翼にした愛の錬金術『相対瞑想』で識る。そこには、特別な修行も瞑想方法もいらない。
ただ真剣にハートの声を聴き、生の奇跡に歓喜し、祈りが生じた時、道は開ける。合掌
質問・彼の優しさはわかっているつもりなのに、またこちらから喧嘩してしまいました。
瞑想や座禅をしに寺にも行ってるんですが、全然わかりません。恋愛や仕事に悩む『私』っていったい何なんですかね?
叡空・あなたは思考で、彼を理解しようと努力している。
その延長線上で、寺での座禅や瞑想「法」に問題解決の糸口を求めている。
座禅や瞑想は「意図する『行為や方法』ではない。
あなたは、瞑想「法」は知っているが、瞑想を識らない。
元来「行為」としての座禅や瞑想「法」が『状態』としての瞑想となるのに、出家修行が前提となっている。
それは、瞑想が生じるための脳内変化に一定の時間が必要だからだ。休日や日常のひとこまの瞑想「法」は、マインドフルネスに留まるだろう。
マインドフルネスとは、単なるリラックス方法であり、決して瞑想とはならない。
それは、能力開発、リラックスという「目的のために行う行為」だからだ。瞑想とは、方法ではない。入口は方法であっても、やがてはそれを超えた『日常の行為そのものが祈りとなる』
。恋がやがては、愛に昇るように。
祈りすら意識しない『それ』そのものが瞑想。
だから日常生活を送るあなたは、いつまでもパートタイムの瞑想家、ストレス解消のリラックスに留まるだろう!
しかし、在家生活を送っているあなたには、当然の結果だから無理な努力は辞めなさい。
日常生活を送っているあなたが、あなた自身である「私を識る瞑想」がある。
それが、恋愛『相対瞑想』だ。あなたは、『自分であることを、私であることをなぜ感じられるのか?』、恋人と喧嘩しながも、後悔しているのは誰か?
なぜ、後悔して叡空に尋ねたのか、あなたのハートを意識して声を聴いてごらん。
そこには、愛が在るだろう。あなたのハートにある想いの結晶が観える。
あなたは彼への愛の想いを感じるために、自分自身で『「私」を観よう』と瞑想方法を行ったが、瞑想は生じなかった。
それは、愛と祈りが伴わない瞑想はないからだ。多くの瞑想家は、ゴーダマ仏陀が瞑想以上に大切にした慈悲の祈りを忘れている。
日常生活においてハートを突き抜く真剣な恋愛は、やがて愛する人への祈りと感謝になる。そして、それこそが『相対瞑想』だ!!
もしも、あなたの中に祈りが生じないなら、そこには無我になれない目的がある。結果への執着があるだろう。
恋に堕ちず、愛に昇る時。愛する人に今生で出会えた奇跡に、感謝が生まれ、それは無我の祈りとなる。
その時、愛する存在から『私など初めからどこにもなかった』、『(相互依存)関係こそ私である」』ことを、恋愛を翼にした愛の錬金術『相対瞑想』で識る。そこには、特別な修行も瞑想方法もいらない。
ただ真剣にハートの声を聴き、生の奇跡に歓喜し、祈りが生じた時、道は開ける。合掌