質問・先日小学生の時から幼なじみの
親友が突然交通事故で亡くなりました。
まだ20代の若さだったのに。悲しみに
暮れている間もなく、私の婚約者が朝起
きたら突然死していました。
「いったい私が何をしたのか」頭がおか
しくなりそうです。
あるキリスト教の宗派に属して学んで
いますが、どう考えても神様の試練とは
思えません。
私はどうしたらいいでしょうか。
叡空・あなたがどんなに大いなる存在
を『思い、考え、祈っても』理解できな
い悲しみと感じる出来事が現象世界では
付き纏うもの。
かつてゴーダマ仏陀は幼子を亡くし
悲しみの淵に落ち、子供の助けを求め
る女性にこう言った。
「あなたの周りで死者の出たことの
ない家を探し出せたら幼子を蘇らせ
よう」と。
女性は何日も何日も死者が出たこ
とのない家を探し続けた。
やがて『一つの気づきに出逢う』。
死者が出たことのない家など、
「この世では」どこにも存在しない
という事実に。
地球上のたくさんの地域では今
も多くの母親たちが我が子の生命
の炎が尽きる姿を見続けている。
5歳までにどれだけの命が旅立っ
ているのかあなたは識らない。
貧しい地球地域では「たくさんの
死と誕生が常に循環し続けている」。
人間の『考えや思いがおよばない
「何かの力」で』。
我が国でもほんの100年くらい前
は「死が日常生活の風景」だった。
地位が高い将軍家の子供でも
5歳過ぎまで「生き残れるのが稀
の時代」。
そこから七五三が生まれた歴史
がある。幼子の生命が途絶えず
輝いている奇跡に感謝するために。
人生は『理不尽と感じる矛盾の
アート』。
それは、歓びと悲しみ、創造と
破壊が循環する一筋の道だから。
現象世界では『善悪はペアであり、
理不尽と感じる出来事は常に回り
続ける』もの。
叡空が知っている『理不尽な苦
しみと「思うだろう出来事」がある。
それは80過ぎの親が殺人を犯し
加害者になった話だ。
自動車事故を起こして三歳の子供
と母親を同時にあやめてしまった。
残された被害者の夫と両親の怒り
は認知症・加害者の親ではなくその
娘に向けられたのだから。
既に嫁いでいた娘の家族は戸惑い
苦しんだ。
彼女は直接加害者ではないのに
実の親のこと以上に被害者家族の
『ことを想い、祈りながら償い』
続けた。
全く関係のない新婚の旦那さん
とともに、何年間も。
やがて5年が過ぎ、被害者の夫と
両親は『悲しみと怒りが溶け直接関
係のない2人の想いをねぎらう言葉』が。
その直後に奇跡が起こった。
不妊にも苦しんでいた2人の間、加
害者の娘に新たな命が宿ったのだ。
人類は有史以来、自然を始めとした
現象世界の矛盾に煩わされ続けている。
祈りとは、魂、集合無意識に刻まれ
たハートの想いが『循環法則の矛盾を
超える』祈りとして現れたもの。
だから、人の祈りとは特定の宗教、
宗派に属する「人間の意図する」ものでは
ない。
『理不尽と感じる思い、考えを超える』
ための自然からの計らいであり、魂の願い
そのものだから。
『それ』は行うものではなく『起こる』
もの。
普通と感じる日常生活は『生の終わりが在る
ことを忘れさせるマーヤ(幻想)』を造り出す。
平凡な日常の繰り返しや幸福は『片側の事実』
を忘れさせるものだ。
それは、夜の来ない昼、失恋のない恋、そして
「別れの来ない人間関係」を夢想させる。
現象世界の自然『大いなる存在から生かされて
いる生物』だという自覚を喪失させる。
死に直面し、意識することで人は『人生に「終わ
り」が在る』ことを初めて『ハートで識る』。
単なる知識や「他人事のニュース」ではない『真剣
な想いが魂に刻まれる』から。
その時に初めて日常生活が『永遠に続くことのない
時間幻想』だと気づく。
『眼覚めの道』、人間の「限界点」が観えてくる。
愛する人達や恋人への『今在る愛』だけに
意識が『自然に』集まるから。
やがて『有限な時間のなかでの出逢い』は
感謝の祈りに変わる。
大いなる存在の愛の大河に繋がる『恋愛瞑想』
愛の錬金術に。
あなたは『悲しみにも「歓びにさえ」捕われる
ことなく』今ここで『自分とともに存在する
人達や事柄』だけを愛しい想いで観つめなさい。
悲しみも観びも超えた『愛だけの愛』があなた
だから。合掌
親友が突然交通事故で亡くなりました。
まだ20代の若さだったのに。悲しみに
暮れている間もなく、私の婚約者が朝起
きたら突然死していました。
「いったい私が何をしたのか」頭がおか
しくなりそうです。
あるキリスト教の宗派に属して学んで
いますが、どう考えても神様の試練とは
思えません。
私はどうしたらいいでしょうか。
叡空・あなたがどんなに大いなる存在
を『思い、考え、祈っても』理解できな
い悲しみと感じる出来事が現象世界では
付き纏うもの。
かつてゴーダマ仏陀は幼子を亡くし
悲しみの淵に落ち、子供の助けを求め
る女性にこう言った。
「あなたの周りで死者の出たことの
ない家を探し出せたら幼子を蘇らせ
よう」と。
女性は何日も何日も死者が出たこ
とのない家を探し続けた。
やがて『一つの気づきに出逢う』。
死者が出たことのない家など、
「この世では」どこにも存在しない
という事実に。
地球上のたくさんの地域では今
も多くの母親たちが我が子の生命
の炎が尽きる姿を見続けている。
5歳までにどれだけの命が旅立っ
ているのかあなたは識らない。
貧しい地球地域では「たくさんの
死と誕生が常に循環し続けている」。
人間の『考えや思いがおよばない
「何かの力」で』。
我が国でもほんの100年くらい前
は「死が日常生活の風景」だった。
地位が高い将軍家の子供でも
5歳過ぎまで「生き残れるのが稀
の時代」。
そこから七五三が生まれた歴史
がある。幼子の生命が途絶えず
輝いている奇跡に感謝するために。
人生は『理不尽と感じる矛盾の
アート』。
それは、歓びと悲しみ、創造と
破壊が循環する一筋の道だから。
現象世界では『善悪はペアであり、
理不尽と感じる出来事は常に回り
続ける』もの。
叡空が知っている『理不尽な苦
しみと「思うだろう出来事」がある。
それは80過ぎの親が殺人を犯し
加害者になった話だ。
自動車事故を起こして三歳の子供
と母親を同時にあやめてしまった。
残された被害者の夫と両親の怒り
は認知症・加害者の親ではなくその
娘に向けられたのだから。
既に嫁いでいた娘の家族は戸惑い
苦しんだ。
彼女は直接加害者ではないのに
実の親のこと以上に被害者家族の
『ことを想い、祈りながら償い』
続けた。
全く関係のない新婚の旦那さん
とともに、何年間も。
やがて5年が過ぎ、被害者の夫と
両親は『悲しみと怒りが溶け直接関
係のない2人の想いをねぎらう言葉』が。
その直後に奇跡が起こった。
不妊にも苦しんでいた2人の間、加
害者の娘に新たな命が宿ったのだ。
人類は有史以来、自然を始めとした
現象世界の矛盾に煩わされ続けている。
祈りとは、魂、集合無意識に刻まれ
たハートの想いが『循環法則の矛盾を
超える』祈りとして現れたもの。
だから、人の祈りとは特定の宗教、
宗派に属する「人間の意図する」ものでは
ない。
『理不尽と感じる思い、考えを超える』
ための自然からの計らいであり、魂の願い
そのものだから。
『それ』は行うものではなく『起こる』
もの。
普通と感じる日常生活は『生の終わりが在る
ことを忘れさせるマーヤ(幻想)』を造り出す。
平凡な日常の繰り返しや幸福は『片側の事実』
を忘れさせるものだ。
それは、夜の来ない昼、失恋のない恋、そして
「別れの来ない人間関係」を夢想させる。
現象世界の自然『大いなる存在から生かされて
いる生物』だという自覚を喪失させる。
死に直面し、意識することで人は『人生に「終わ
り」が在る』ことを初めて『ハートで識る』。
単なる知識や「他人事のニュース」ではない『真剣
な想いが魂に刻まれる』から。
その時に初めて日常生活が『永遠に続くことのない
時間幻想』だと気づく。
『眼覚めの道』、人間の「限界点」が観えてくる。
愛する人達や恋人への『今在る愛』だけに
意識が『自然に』集まるから。
やがて『有限な時間のなかでの出逢い』は
感謝の祈りに変わる。
大いなる存在の愛の大河に繋がる『恋愛瞑想』
愛の錬金術に。
あなたは『悲しみにも「歓びにさえ」捕われる
ことなく』今ここで『自分とともに存在する
人達や事柄』だけを愛しい想いで観つめなさい。
悲しみも観びも超えた『愛だけの愛』があなた
だから。合掌