別に、いつもフザケテ居る訳じゃありませんが、山を登っていると不思議な経験や、ちょっと変な人・・・変なモノに出会ったり、面白いネタは尽きないのですよ。
私としては山の経験も、山ブログの一つだと思いますし、山を歩るきながらの心情も山ブログの絶好のネタだと思います。 時々いろんな事を書いてきましたが、今日は大上段に振りかぶって、「哲学、宗教」なんぞを語ろうと思います。
山は昔から修行の場として、岩に鎖や展望地に座禅スポットなどが設置されていますが、「ここで、この岩の上で何人の修行者が悟りに挑んだことだろう」と思うと、持っているオニギリも格別な味になります・・。?
さてさて、岩は置いといて、最近又お地蔵様からの『禅問答』をよく吹っかけられます。・・・このブログの昔を見られた方はご存知でしょうが、私は道端のお地蔵様と会話をしている変なオヤジです。
と言っても、声を出して論破している変な人じゃなくて、目で会話をして心の修行としています。・・・昔、映画「復活の日」で草刈正雄が、道端のミイラと目で会話するシーン・・あんな感じです。
山を始めたころの会話などは『少し私の前で休んでいけよ』とニッコリ笑ったお地蔵さんに声を掛けられたモノですが、「急いで居るんだよ、今日はWエントリーなんでね」と、素っ気無く払っていたものですから、最近はズキッ!!とする問答をしてきます。
『なぜ、人は生き急ぐのかね?』・・・ソッポを向いたお地蔵さんが声を掛けてきます。 思わず横目で通り過ぎようとしたのですが、これには黙っていられません。「・・あんたねー、何百年もそこに座っているから、そんなこと言えますけど、私ら人間には時間が無いの・・分かる?」
『急ぐと、早く死ぬぞ・・』・・「はいはい、じゃーね」と別れましたが、あの地蔵め、いつかやり返してやる。
ざっとこんな感じですが、休憩の言い訳ではありません。
さて、なかには大休憩を求めてくる地蔵さんも居て、『人は死んだら何処に行くと思うよ?』・・しばらく考えましたが、ペットボトルのお茶も節約しなきゃなりませんし、「悪いが歩きながら考えるよ、帰りに答えるさ」と登山を続けましたが、帰路になっても答えは出ませんでした・・・。
生きて居る限り、死後の話は私達に関係ないのですが、・・・死んだときに考える、じゃ芸が無さ過ぎる。・・・待てよ、この会話は昔何処かでした事があるぞ、・・そうだ、ペットが死んだときに子供がしてきた質問だ。
14年間も飼い続けた犬が死んだときに、小学生だった子供が「ねえ、○○○は死んで何処へ行ったの?」これだよ!・・・この時の心の引っ掛かりが、私の潜在意識にこびり付いていたのか。
あの時の答えは、『人や動物は死んでお墓に入るけど、心は自分の一番行きたい所に行くんだよ。』・、「じゃ、いつも散歩していた、あそこを走り回っているね」と会話は終わりましたが、・・・これで切り返すことにしました。
帰りの登山口近く・・例のお地蔵さん・・・「ケッ!笑っているよ」・・・『答えは出たかね?』・・フフフッ、待ってました、「自分の心の一番行きたい所だよ」・・『じゃ、お前さんは何処に行くかね?』・・・・エエーッ「そう来たか」暫くの休憩になりましたが、いい返答が見つからず、「すみません、まだコレから良い事がいろいろあるでしょうから、まだ何処へ行きたいか判りません」
『生きている内は、それでいいんだよ』・・お地蔵さんの顔がニッコリから真顔に変わった瞬間でした。
よくよく考えると、人はこの世、この修行の場でいろいろな事を経験し、いろいろ人と出会うのですよね、道行く人に、ほんの少しの幸せを頂くこともあるし、・・・犯罪としては問えないが人間として絶対に許せない人にも会う。
あいつら、あの方達・・死んだら何処へ行くのだろう??
見た目で人を判断してはいけないのだが、銃を持ち、「一人でも多く殺して、神の教えを広めるぞ」と死んでいった人。・・笑顔一つで、通り過ぎる人を優しい心にしてしまう、おばあちゃん。
この二人が同じ場所に行くとは絶対に思えないし、私としては同じところは許せない。 暖かい小さな幸せを与えた方は、そんな暖かい所へ、殺し合い、心から憎みあい続けた人は果てしの無い戦場へ。
それが一番相応しいとおもいます、また、それが心の求めた地なのですから。
お地蔵様が、ニッコリから真顔に変わった・・瞬間、私はこれからの人生を問われたような気がしました。
『人は相応しい所へ行くし、相応しい所に存在する』 どの宗教にも共通することは、自殺は認めていないのですが、中には神のためならとか、指導者の為ならとか、変な理屈を付けます。 誰にも抜け出せない廻りの環境や世界がありますが、『貴重な一生を無駄に生きる』事だけは許せません、別に死後の世界があるとか、だから正しく生きろとか言いませんが、「自分の心の相応しい所に現在も未来もある」、と感じました。真顔に変わった地蔵め、次はやり込めてやるぞ。
・・・とは言うものの、俺の人生、ここが相応しいのか?・・いろんな意味で。
私としては山の経験も、山ブログの一つだと思いますし、山を歩るきながらの心情も山ブログの絶好のネタだと思います。 時々いろんな事を書いてきましたが、今日は大上段に振りかぶって、「哲学、宗教」なんぞを語ろうと思います。
山は昔から修行の場として、岩に鎖や展望地に座禅スポットなどが設置されていますが、「ここで、この岩の上で何人の修行者が悟りに挑んだことだろう」と思うと、持っているオニギリも格別な味になります・・。?
さてさて、岩は置いといて、最近又お地蔵様からの『禅問答』をよく吹っかけられます。・・・このブログの昔を見られた方はご存知でしょうが、私は道端のお地蔵様と会話をしている変なオヤジです。
と言っても、声を出して論破している変な人じゃなくて、目で会話をして心の修行としています。・・・昔、映画「復活の日」で草刈正雄が、道端のミイラと目で会話するシーン・・あんな感じです。
山を始めたころの会話などは『少し私の前で休んでいけよ』とニッコリ笑ったお地蔵さんに声を掛けられたモノですが、「急いで居るんだよ、今日はWエントリーなんでね」と、素っ気無く払っていたものですから、最近はズキッ!!とする問答をしてきます。
『なぜ、人は生き急ぐのかね?』・・・ソッポを向いたお地蔵さんが声を掛けてきます。 思わず横目で通り過ぎようとしたのですが、これには黙っていられません。「・・あんたねー、何百年もそこに座っているから、そんなこと言えますけど、私ら人間には時間が無いの・・分かる?」
『急ぐと、早く死ぬぞ・・』・・「はいはい、じゃーね」と別れましたが、あの地蔵め、いつかやり返してやる。
ざっとこんな感じですが、休憩の言い訳ではありません。
さて、なかには大休憩を求めてくる地蔵さんも居て、『人は死んだら何処に行くと思うよ?』・・しばらく考えましたが、ペットボトルのお茶も節約しなきゃなりませんし、「悪いが歩きながら考えるよ、帰りに答えるさ」と登山を続けましたが、帰路になっても答えは出ませんでした・・・。
生きて居る限り、死後の話は私達に関係ないのですが、・・・死んだときに考える、じゃ芸が無さ過ぎる。・・・待てよ、この会話は昔何処かでした事があるぞ、・・そうだ、ペットが死んだときに子供がしてきた質問だ。
14年間も飼い続けた犬が死んだときに、小学生だった子供が「ねえ、○○○は死んで何処へ行ったの?」これだよ!・・・この時の心の引っ掛かりが、私の潜在意識にこびり付いていたのか。
あの時の答えは、『人や動物は死んでお墓に入るけど、心は自分の一番行きたい所に行くんだよ。』・、「じゃ、いつも散歩していた、あそこを走り回っているね」と会話は終わりましたが、・・・これで切り返すことにしました。
帰りの登山口近く・・例のお地蔵さん・・・「ケッ!笑っているよ」・・・『答えは出たかね?』・・フフフッ、待ってました、「自分の心の一番行きたい所だよ」・・『じゃ、お前さんは何処に行くかね?』・・・・エエーッ「そう来たか」暫くの休憩になりましたが、いい返答が見つからず、「すみません、まだコレから良い事がいろいろあるでしょうから、まだ何処へ行きたいか判りません」
『生きている内は、それでいいんだよ』・・お地蔵さんの顔がニッコリから真顔に変わった瞬間でした。
よくよく考えると、人はこの世、この修行の場でいろいろな事を経験し、いろいろ人と出会うのですよね、道行く人に、ほんの少しの幸せを頂くこともあるし、・・・犯罪としては問えないが人間として絶対に許せない人にも会う。
あいつら、あの方達・・死んだら何処へ行くのだろう??
見た目で人を判断してはいけないのだが、銃を持ち、「一人でも多く殺して、神の教えを広めるぞ」と死んでいった人。・・笑顔一つで、通り過ぎる人を優しい心にしてしまう、おばあちゃん。
この二人が同じ場所に行くとは絶対に思えないし、私としては同じところは許せない。 暖かい小さな幸せを与えた方は、そんな暖かい所へ、殺し合い、心から憎みあい続けた人は果てしの無い戦場へ。
それが一番相応しいとおもいます、また、それが心の求めた地なのですから。
お地蔵様が、ニッコリから真顔に変わった・・瞬間、私はこれからの人生を問われたような気がしました。
『人は相応しい所へ行くし、相応しい所に存在する』 どの宗教にも共通することは、自殺は認めていないのですが、中には神のためならとか、指導者の為ならとか、変な理屈を付けます。 誰にも抜け出せない廻りの環境や世界がありますが、『貴重な一生を無駄に生きる』事だけは許せません、別に死後の世界があるとか、だから正しく生きろとか言いませんが、「自分の心の相応しい所に現在も未来もある」、と感じました。真顔に変わった地蔵め、次はやり込めてやるぞ。
・・・とは言うものの、俺の人生、ここが相応しいのか?・・いろんな意味で。