飲み過ぎによる危険
聖書はぶどう酒の良い面について述べていますが,飲み過ぎや泥酔を非としています。
ですからクリスチャンは,お酒を飲むにしても節度を守らなければなりません。
「執事たちも同じように謹厳であり,二枚舌ではなく,大酒を飲まず,卑しい利得をむさぼらず」
(テモテ第一 3:8)
「年長の男性は,節度をわきまえ,真面目で,健全な考え方をし,信仰と愛と忍耐の点で健全であるべきです。
同じように年長の女性も,神を畏れる人にふさわしい振る舞いをし,中傷せず,酒に溺れず,善いことを教えるべきです」。
(テトス 2:2,3)
聖書は飲み過ぎを避けるべき理由を幾つか挙げています。
飲み過ぎは思考力や判断力を弱めます。
『 不幸な者は誰か,嘆かわしい者は誰か,いさかいの絶えぬ者は誰か,愚痴を言う者は誰か,理由なく傷だらけになっているのは誰か,濁った目をしているのは誰か。
それは,酒を飲んで夜更かしする者。混ぜ合わせた酒に深入りする者。酒を見つめるな。酒は赤く杯の中で輝き,滑らかに喉を下るが 後になると、それは蛇のようにかみ,
蝮(まむし)の毒のように広がる。目は異様なものを見,心に暴言をはき始める。海の真ん中に横たわっているかのように,綱の端にぶら下がっているかのようになる。
「打たれたが痛くもない。たたかれたが感じもしない。酔いが醒めたらまたもっと酒を求めよう」』。
(箴言・格言 23:29~35)
聖書は,「あなた方の体を,神に受け入れられる,生きた,聖なる犠牲として差し出しなさい。これがあなた方の理性による神聖な奉仕です」と述べています。
(ローマ 12:1)
酩酊する人は,この命令を果たすことができません。
飲み過ぎは,人から抑制力や「良い動機」を奪います。
「ふしだらな関係とぶどう酒と新しいぶどう酒は,正しいことをしようという気持ちを失わせる」。
(ホセア 4:11)
「また,酒に酔ってはなりません。堕落につながるからです。いつも聖なる力に満たされていましょう」。
(エペソ・エフェソス 5:18)
飲み過ぎは,貧困や深刻な健康上の問題を招くことがあります。
「酔っぱらいや大食いは貧しくなり,居眠りしてぼろ切れをまとうことになる」。
(格言・箴言 23:21)
「ぶどう酒の赤色を見てはならない。それは杯の中できらめき,滑らかに流れる。それは最後には蛇のようにかみ,毒蛇のように毒を分泌する」。
(格言・箴言 31,32)
大酒や泥酔は神を不快にさせます。
「ぶどう酒を飲み過ぎる人たちや,肉をむさぼり食う人たちの中にいてはならない」。
(箴言・格言 23:20。
「さて,罪深い欲望から出る行いは明らかです。それは,性的不道徳,汚れ,恥知らずな行い, 偶像崇拝,心霊術,敵意,争い,嫉妬,激怒,不和,分裂,分派,ねたみ,酩酊,ばか騒ぎなどです。
こうした事柄について私はすでに警告しましたが,あらためて警告します。こうした事柄を習慣にする人が神の王国を授けられることはありません」。
(ガラテア 5:19~21)
どこからが飲み過ぎかへ続く>>>
