神は愛 白髪は美の冠 白髪は輝く冠 

聖書の音信、日々のニュース関連を書いています。

北朝鮮モランボン楽団

2017年03月31日 | 日記

North Korean Moranbong Band: Marching - Marchando - 진군 또 진군 - My Favorite Girl Band 모란봉악단

 

 

 

モランボン楽団  世界名曲メドレー / World Famous Songs. Moranbong band


苦しみの杭(十字架)の言葉は神の知恵・・・聖書

2017年03月31日 | 日記

 

「苦しみの杭(十字架)の言葉は神の知恵」


十字架(苦しみの杭)の言葉は、滅んでいく者にとっては愚かなものですが、わたしたち救われる者には神の力です。
それは、こう書いてあるからです。「わたしは知恵ある者の知恵を滅ぼし、賢い者の賢さを意味のないものにする」。
知恵のある人はどこにいる。学者はどこにいる。この世の論客はどこにいる。
神は世の知恵を愚かなものにされたではないか。
世は自分の知恵で神を知ることができませんでした。それは神の知恵にかなっています。
そこで神は、宣教という愚かな手段によって信じる者を救おうと、お考えになったのです。
ユダヤ人はしるしを求め、ギリシア人は知恵を探しますが、
わたしたちは、十字架(苦しみの杭)につけられたキリストを宣べ伝えています。すなわち、ユダヤ人にはつまずかせるもの、異邦人には愚かなものですが、
ユダヤ人であろうがギリシア人であろうが、召された者には、神の力、神の知恵であるキリストを宣べ伝えているのです。
神の愚かさは人よりも賢く、神の弱さは人よりも強いからです。 

聖書(コリント第一 1:18~1:25)









苦しみの杭(十字架)についての話は、滅びゆく人々にとっては愚かなことですが、救われつつあるわたしたちにとっては神の力なのです。
わたしは賢人たちの知恵を滅ぼし、知能のたけた者たちのそう明さを押しのける」と書いてあります。
 賢い人はどこにいるのですか。書士はどこにいますか。この事物の体制の弁論家はどこですか。
神は世の知恵を愚かなものとされたのではありませんか。
 神の知恵によることでしたが、世はその知恵を通して神を知るに至らなかったので、神は宣べ伝えられる事柄の愚かさを通して、
信じる者を救うことをよしとされたのです。
ユダヤ人はしるしを求め、ギリシャ人は知恵を求めます。しかしわたしたちは杭につけられたキリストを宣べ伝えるのです。
これは、ユダヤ人にとってはつまずきのもとであり、諸国民にとっては愚かなことです。
しかし、召された者にとっては、ユダヤ人にもギリシャ人にも、神の力また神の知恵なるキリストなのです。
神の愚かな事柄は人間より賢く、神の弱い事柄は人間より強いからです。
聖書(コリント第一 1:18~1:25)








十字架(苦しみの杭)のことばは、滅びに至る人々には愚かであっても、救いを受ける私たちには、神の力です。
それは、こう書いてあるからです。「わたしは知恵ある者の知恵を滅ぼし、賢い者の賢さをむなしくする」。
知者はどこにいるのですか。学者はどこにいるのですか。この世の議論家はどこにいるのですか。
神は、この世の知恵を愚かなものにされたではありませんか
事実、この世が自分の知恵によって神を知ることがないのは、神の知恵によるのです。
それゆえ、神はみこころによって、宣教のことばの愚かさを通して、信じる者を救おうと定められたのです。
ユダヤ人はしるしを要求し、ギリシヤ人は知恵を追求します。
しかし、私たちは十字架(苦しみの杭)につけられたキリストを宣べ伝えるのです。ユダヤ人にとってはつまずき、異邦人にとっては愚かでしょうが、
しかし、ユダヤ人であってもギリシヤ人であっても、召された者にとっては、キリストは神の力、神の知恵なのです。
なぜなら、神の愚かさは人よりも賢く、神の弱さは人よりも強いからです。
聖書(コリント第一 1:18~1:25)










十字架(苦しみの杭)の言葉は滅びつつある者には愚かですが、
救われつつあるわたしたちには、神の力です。
なぜなら、「わたしは知者の知恵を滅ぼし、賢者の賢さを捨てる」と書かれているからです。
知者はどこにいるのですか? 聖書学者はどこにいるのですか? この時代の論者はどこにいるのですか?
 
神はこの世の知恵を愚かにされたではありませんか?
この世が自らの知恵によって神を知ることがなかったのは、神の知恵によります。
そこで神は、その宣べ伝えることの愚かさを通して、信じる者を救うことを喜ばれたのです。
確かにユダヤ人はしるしを求め、ギリシャ人は知恵を追い求めます。
しかし、わたしたちは十字架(苦しみの杭)につけられたキリストを宣べ伝えます。それはユダヤ人にはつまずきの石であり、
異邦人には愚かでありますが、召されている者には、ユダヤ人にもギリシャ人にも、キリストは神の力、また神の知恵です。
なぜなら、神の愚かさは人よりも賢く、神の弱さは人よりも強いからです。

聖書(コリント第一 1:18~1:25)




  






幸せへの道 Ⅱ・・・聖書

2017年03月31日 | 日記

 

「幸せへの道 Ⅱ」


「役立つアドバイスを求めて」

サリは,近所の夫婦マオンとエルナがいつも幸せそうにしていることに気づいていました。
それで,「今度,秘訣を聞いてみようかしら」とタムに言います。
そして,奥さんのエルナに会った時,尋ねてみました。

そうね。わたしたちにも同じような問題や心配があるのよ」とエルナは言います。
でも,少し前に一冊の本を見つけたの。その本にはわたしたち家族に役立つアドバイスが載っていて,安心できる幸せな生活への道も教えてくれているのよ。
それで,ストレスや心配があっても幸せでいられるの」。

サリは興味をそそられました。
エルナはその本についてもう少し詳しく説明します。
中近東で書かれたとても古い本なんだけど,宗教を問わず,すべての人のための本なの。2,000以上の言語に翻訳されているので,世界中のほとんどの人が読めるのよ」。
さらに,その本が教育者たちによってよく引用されること,多くの国の法律の基礎になっていることも話しました。

その本をぜひ見てみたいと思ったサリは,その日のうちにエルナの家に行きました。
そしてその本から,役に立つアドバイスを見せてもらいました。次のような言葉です。



【子育て】

少年をその行くべき道にしたがって育て上げよ。彼は年老いても,それから離れないであろう」。
(箴言22:6)

父親たち,子供を怒らせてはなりません。主(神)がしつけ諭されるように,育てなさい』。
(エフェソス・エペソ 6:4)




【仕事とお金】

盗む者はもう盗んではなりません。むしろ,骨折って働き,自分の手で良い業を行ない,窮乏している人に分け与えることができるようにしなさい」。
(エフェソス・エペソ 4:28)

働きたくない者は食べるな」。
(第二テサロニケ3:10)



【薬物とお酒】

肉と霊のあらゆる汚れから自分を清めようではありませんか
(コリント第二 7:1)

ぶどう酒はあざける者であり,酔わせる酒は騒がしい。それによって迷い出る者はみな知恵がない」。
(箴言 20:1)





【道徳】

結婚はすべての人に尊ばれるべきであり,夫婦の関係は汚してはなりません。神は、みだらな者や姦淫する者を裁かれるのです」。
(ヘブライ 13:4)

淫行を避けなさい
(テサロニケ第一 4:3)

わたしはあなたがたに言う。だれでも,情欲をいだいて女を見る者は,心の中ですでに姦淫をしたのである」。
(マタイ 5:28)




【家族の中での敬意】

あなたの父と母を敬いなさい」。
(エフェソス・エペソ 6:2)

父に聞き従え,生みの親である父に。母が年老いても侮ってはならない」。
(箴言 23:22)

自分を愛するように妻を愛しなさい。一方,妻は夫に対して深い敬意を持つべきです」。
(エフェソス・エペソ5:33)
 
 
 
 
 
           
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

幸せへの道 Ⅰ・・・聖書

2017年03月30日 | 日記

 

「幸せへの道」


「だれもがアドバイスを必要としている」

タムは不安でした。心配の種が山ほどあります。
家族を養うための安定した仕事を探していますが,なかなか見つかりません。
子どもたちに良い教育を受けさせたい,幸せな人生を送ってほしいと願っていますが,とても無理なようです。
せめて健康で働き続けたいと思います。食費と家賃は稼がなければなりません。
自分の身に何かあったら家族はどうなるのかと,不安です。

妻のサリも不安です。最近,夫婦の間がぎくしゃくしています。
夫はいつも疲れきって仕事から帰って来ます。
子どものしつけを手伝ってほしいのに,夫には時間がありません。
つい夫と言い争ってしまい,悲しくなります。そんな親の姿は子どもに見せたくありません。
もし子どもが重い病気になったら,治療費はどうしたらよいのでしょう。
考えるだけで気が重くなります。

近所の雰囲気もずいぶん変わりました。忙しさのせいで,みんな助け合いの気持ちを失ってしまったようです。
友人や親戚も同じような問題を抱え,将来に不安を感じています。
安らかな気持ちの人などいないように思えます。こういう問題を全部解決できたらどんなにいいだろう,
そうすれば幸せに暮らせるのに,とサリはよく考えます。
夫婦二人とも一生懸命に努力していますが,すべては手の届かないところにあるように感じられます。

ある日,二人は自分たちの不安について話し合いました。

ねえ,サリ,安心できる幸せな生活への道があればいいなあって思わない?

わたしもそう思ってたの。すべての問題を解決する方法,道みたいなものが見つかったらいいのにって」。

でも,宗教や人生哲学はたくさんあって,どれが幸せに行き着く道なのか分からないよね。全部調べるわけにはいかないし。
 それに,どれも問題を解決するとは言うけど,実際には解決できていないから,試してみても無駄なんだろうね」。

サリも同感です。でも,家族のために何かを見つけたい,何か方法があるはずだ,と思いました。

あなたも,この二人と同じような不安を感じておられるかもしれません。二人の直面している問題は,世界中の人々に共通の問題と言えるでしょう。
人はだれしも,健康を,そして心の安らぎや家族の幸せを願っています。
しかし,そうした願いはかなうのでしょうか。安らぎと幸せに至る道を見つけることができますか。