「サタンは残酷」
使徒ペテロはサタンを「ほえるライオン」になぞらえました。
ある参考資料によると,「ほえる」と訳されているギリシャ語には「ひどく飢えた獣のほえ声」という意味合いがあります。
サタンの残酷さを言い当てた表現です。サタンは,全世界をすでに自分の配下に置きながら,なおも獲物に飢えています。
「私たちが知っている通り,私たちは神から出ていますが,全世界は邪悪な者の支配下にあります」。
(ヨハネ第一 5:19)
サタンにとって,世界は料理の“前菜”にすぎません。
サタンが関心を向けてきた“メインディッシュ”は,油そそがれた残りの者たちとその仲間の「ほかの羊」です。
「私にはほかの羊がいますが,この囲いのものではありません。私はその羊たちも連れてこなければならず,それらも私の声を聞きます。こうして,1つの群れ,1人の羊飼いとなります」。
(ヨハネ 10:16)
「それで龍(サタン)は女に対して激怒し,彼女の子孫のうちの残っている人たち,すなわち,神のおきてを守り,イエスについて証言する務めを与えられている人たちと戦うために去っていった」。
(黙示録・啓示の書 12:17)
サタンは,神の民をむさぼり食おうと躍起になっています。1世紀から現代に至るまで,サタンがイエスの追随者たちに加えてきた数々の迫害は,その残酷さをよく物語っています。
サタンは神の目的を阻止しようとして,別の形でも残酷さを表わします。飢えたライオンには,同情のかけらもありません。
獲物を殺す前に哀れむことも,殺したあとに気がとがめることもありません。
サタンも同じです。むさぼり食おうとしている者たちに同情などしません。
例えば,イスラエル人が性の不道徳や貪欲などの罪に屈した時のことを考えてみてください。
サタンがイスラエル人を狙って待ち伏せする姿を想像できますか。
不道徳なジムリや貪欲なゲハジが身に招いた悲惨な結果について読む時,獲物を仕留めて高笑いするライオンの姿が“見える”でしょうか。
「ちょうどその時,1人のイスラエル人がミディアン人女性を兄弟たちの近くに連れてきた。それはモーセとイスラエル人の民全員の目の前であり,民は会見の天幕の入り口で泣き悲しんでいた。
祭司であるアロンの子エレアザルの子ピネハスはそれを見ると,すぐに民の中から立ち上がり,やりを手に取った。そして,そのイスラエルの男性の後を追って天幕に入り,2人を突き刺した。
そのイスラエルの男性とその女性の生殖器とを刺し通したのである。すると,イスラエル人に対する神罰はやんだ」。
(民数記 25:6~8)
「ところで,ミディアンの女性と一緒に殺されたイスラエル人男性はジムリといい,サルの子で,シメオン族の家長だった。 殺されたミディアン人女性はコズビといい,ツルの娘だった。ツルは,ミディアンで父の氏族の指導者だった」。
(民数記 25:14,15)
『真の神に遣わされた人エリシャの従者ゲハジはこう思った。「私の主人は,あのシリア人ナアマンが持ってきた物を受け取らないで,そのまま行かせた。生きている神(エホバ,ヤハウェ)に懸けて誓う。私は彼を追い掛けて何かをもらおう」。こうしてゲハジはナアマンの後を追っていった。ナアマンは誰かが追い掛けてきたのを見て,兵車から降りて迎え,「何かありましたか」と言った。
ゲハジは言った。「何もないのですが,主人に遣わされて,こう言うようにと頼まれました。『たった今,エフライムの山地から預言者の子たちの若者2人が私の所にやって来ました。どうか彼らに銀34キロ(銀一タラント)と衣服2着を与えてください』」。 ナアマンは,「どうぞ68キロ(銀二タラント)受け取ってください」と言ってしきりに勧めた。そして銀68キロ(銀二タラント)と衣服2着を2つの袋に入れて,従者2人に渡した。従者たちはそれを運び,ゲハジの先を進んだ。ゲハジはオフェルに着くと,従者たちが運んだ物を受け取って家の中に置いた。そして彼らを帰らせた後,主人の所に入ってそばに立った。エリシャは言った。「ゲハジ,どこに行っていたのですか」。ゲハジは言った。「どこにも行っていません」。エリシャは言った。「あの人が兵車から降りて,追い掛けてきたあなたを迎えたことを,私が知らないとでも思っているのですか。今は,銀を受け取ったり,衣服やオリーブ畑やブドウ園,羊や牛,男女の召し使いを受け取ったりする時でしょうか。あなたとあなたの子孫には,ナアマンの重い皮膚病(らい病)がいつまでもまとわり付きます」。ゲハジは重い皮膚病に侵されて雪のように白くなり,すぐにエリシャの前から出ていった』。
(列王記第二 5:20~27)