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聖書の音信、日々のニュース関連を書いています。

死ぬことへの極度の恐れからの自由~聖書

2020年05月18日 | 日記

3. 死ぬことへの極度の恐れからの自由。

聖書が述べるとおり,死は確かに敵です。

「そして最後の敵である死が除き去られます」。
(コリント第一 15:26)

ですから,死を恐れ,死にたくないと思うのは自然なことです。しかし,過度に恐れる必要はありません。

聖書の真理はどのように自由にするか: 聖書は死者の状態に関する真理だけでなく,復活についても教えています。
神は死者を命へとよみがえらせることを意図しておられるのです。
「記念の墓の中にいる者がみな,彼[キリスト]の声を聞いて出て来る時が来ようとしている」と,イエスは述べています。

「このことに驚いてはなりません。記念の墓の中にいる人が皆,彼の声を聞いて出てくる時が来るのです。 良いことをした人は命の復活へ,悪いことを行った人は裁きの復活へと出てきます」。
(ヨハネ 5:28,29)
「また,私はこの方たちと同じ希望を持っております。神が正しい人も正しくない人も復活させてくださるという希望です」。
(使徒 24:15)

どのように「出て来る」のでしょうか。イエスが人を復活させた幾つかの事例から分かります。どの場合も,人間として生前の姿で生き返りました。

『イエスが話しているうちに,会堂の役員の家から何人かの人が来て,「娘さんは亡くなりました。もう先生を煩わさなくてもよいのではありませんか」と言った。 
イエスはその言葉を耳にして,会堂の役員に言った。「心配は要りません。ただ信仰を抱きなさい」。イエスは,ペテロ,ヤコブ,ヤコブの兄弟ヨハネ以外は付いてこさせなかった。
 一行は会堂の役員の家に来た。イエスは,人々が騒ぎ立て,泣いたりわめいたりしているのを目にした。そして中に入って言った。「なぜ泣いて,騒いでいるのですか。子供は死んだのではなく,眠っているのです」。人々はイエスのことをあざ笑いだした。しかしイエスは人々を外に出してから,父親と母親と弟子たちと一緒に,子供のいる所に入っていった。そして子供の手を取って,
「タリタ クミ」と言った。
これは訳せば,「少女よ,さあ,起きなさい」という意味である。 すると少女はすぐに起き上がって歩き始めた。(少女は12歳だった。)その時,両親はわれを忘れて大喜びした』。
(マルコ 5:35~42。
『この後すぐ,イエスはナインという町に移動した。弟子や他の大勢の人が同行していた。町の門に近づくと,死人が運び出されてくるところだった。それはある母親の一人息子で,
しかも母親はやもめだった。町のかなり多くの人も一緒にいた。 主イエスはその母親を見ると,かわいそうに思い,
「泣くことはありません」と言った。そして,遺体を載せた台に近づいて触った。担いでいた人たちは立ち止まった。イエスは言った。「若者よ,さあ,起き上がりなさい!」すると死人は体を起こして話し始め,イエスは息子を母親に渡した。 この時,皆は畏れを抱き,
神をたたえ始めて,「偉大な預言者が私たちの間に現れた」,「神はご自分の民に注意を向けてくださった」と言った。
イエスに関するこの話はユダヤ全土と周囲の全地方に広まった」』。
(ルカ 7:11~17)
『彼(イエス)はこれらの事を言って,大声で叫ばれた,「ラザロよ、出て来なさい!」すると,死んでいた者は出て来たが,手足は布で包まれ,顔は布切れで包まれていた。イエスは彼らに言われた,「彼をほどいてやって,行かせなさい」』。
(ヨハネ 11:43,44)

これは,「復活」という言葉の持つ「立ち上がる」という意味とも調和します。
神は老齢の僕ダニエルにこうお告げになりました。
「あなたは休む[死の眠りに就く]が,日々の終わりに自分の分のために立ち上がるであろう」。

「あなたは最後まで進んでいきなさい。あなたは休みますが,日々の終わりに,報いを受けるために立ち上がります」。
(ダニエル 12:13)

ダニエルは慰められ,勇気をもって死としっかり向き合うことができたに違いありません。

イエスの使命には,間違った考えに縛られている「捕らわれ人に釈放を……宣べ伝え」ることが含まれていました。
「神(エホバ,ヤハウェ)の聖なる力が私の上にある。神が私を選び,貧しい人に良い知らせを告げるようにさせたからである。私は神から遣わされて,捕らわれている人に釈放を,目が見えない人に視力の回復を知らせ,打ちのめされた人を解放し」
(ルカ 4:18)

イエスの教えは聖書に収められていて,今も人々を自由にしています。

 

あなたも聖書の真理によって,いつまでも続く自由を得られますように。


考えたことがありますかへ続く>>>

 

 

                     


死者への恐れからの自由~聖書

2020年05月18日 | 日記

私は,エホバの証人ではありませんが,時々,
エホバの証人より配布いただいてる,「目ざめよ」誌・「ものみの塔」誌,パンフレット等より引用の記事もあります。
(どこの宗教,宗派にも属していません)
*いろんな宗教にも交わりました(立正佼成会,創価学会,キリスト教のカトリック,プロテスタント等)
その中で,聖書に忠実に教えてるのは,エホバの証人と思います。

*私が用いる聖句は,新世界訳,新共同訳,新改訳,口語訳,回復訳(新約聖書のみ)

「目ざめよ」誌 2012-12/5

 

2. 死者への恐れからの自由。
亡くなった先祖の“霊”は生きている人に影響を与える,と多くの人は信じています。
そして,“霊”を怒らせないようにいろいろな供え物をしなければならないと考えます。
供え物や盛大な儀式の支払いのために多額の借金をする人もいます。

聖書の真理はどのように自由にするか: 聖書は,死者の状態に関する真理を教えています。
イエスは死を「眠り」に例えました。

『イエスはこれらのことを述べた後,さらにこう言った。「友のラザロは眠っていますが,私は起こしに行きます」』。
『それでイエスははっきり言った。「ラザロは死にました」』。
(ヨハネ 11:11,14)
どういう意味でしょうか。
伝道の書・コヘレトの言葉 9章5節に答えがあります。
「生きている者は自分が死ぬことを知っている。しかし,死んだ者には何の意識も……ない」。
死者は,深く眠っている人のように全く意識がありません。
もう存在していないので,わたしたちに対して良いことも悪いことも行なうことができません。

でも,死者と話したという体験を語る人もいます。
これはどういうことでしょうか。やはり聖書に答えがあります。
聖書によれば,人類史の初期に一部の天使が神に反逆しました。

「神は,罪を犯した天使たちを処罰しないでおくことはせず,タルタロスに投げ込み,刑の執行のために濃い闇の鎖で縛りました」。
(ペテロ第二 2:4)

そうした邪悪な霊者たちは悪霊と呼ばれていて,人間を惑わそうとしています。

「神からの言葉は次のことを明らかにしています。後の時代にある人たちは信仰を捨て,神からのものに思える偽りの言葉や,邪悪な天使の教えに注意を向けるようになります」。
(テモテ第一 4:1)

その方法の一つが死者に成りすますことです。死者が別の姿あるいは別の領域で生きている,という嘘を広めているのです。

 

死ぬことへの極度の恐れからの自由へ続く>>>

 

 

 

                    


夏場のテイクアウト、食中毒に要注意最短10分ほどで菌が増殖

2020年05月18日 | 日記


gooニュース
https://news.goo.ne.jp/article/fukui/life/fukui-20200517145758391

一部引用

■運搬時間を考慮

 県医薬食品・衛生課によると、飲食店の営業許可を持つ店がテイクアウトの食品を提供するのは、店内で食べる場合の延長。注文を受けてから調理をし、持ち帰るのを条件としている。
事前に調理済みの弁当などを用意し販売する場合は「より衛生基準が厳しい、弁当・仕出しの営業許可が必要」(同課・岡本一剛主任)という。

 そのため、そうしたテイクアウトの食品物は「持ち帰りしてもすぐ食べるのが大前提」(同課)。家まで運搬時間を考慮し「店側も調理後にすぐ提供するなどより衛生意識を持って」と付け加える。

 ■車内温度に注意

 食中毒には、ノロウイルスのように冬場に感染例が増えるウイルス性のものと、夏場に多い、食品の取り扱いに不備があると起きる細菌性のものがある。細菌性の食中毒は、▽栄養▽水分▽温度―の3条件がそろうと発生。
危険温度は一般的に30〜40度といわれ、最短約10分で菌が増殖するという。

 県内で昨年発生した食中毒事案8件のうち、1件が細菌性という。同課は「店側は傷みにくいメニューに絞って販売してほしい。購入者も持ち帰る際の車内の温度に注意して」と呼びかける。