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ヒルネボウ

笑ってもいいかなあ? 笑うしかないとも。
本ブログは、一部の人にとって、愉快な表現が含まれています。

腐った林檎の匂いのする異星人 3 サイキサイクル ②

2020-07-22 14:46:26 | 小説

   腐った林檎の匂いのする異星人

         3 サイキサイクル ②

 

時を越えたみたいだ。いつの間にか、階段を上り終えていた。

見下ろすと、やけに高い。めまいがしそう。普通だと、途中に踊り場がある。急な狭い階段を、手すりに頼らず、それを避けるようにして上ったのだろう。壁に肩を擦り付けていたような気がする。でも、壁の記憶はない。想像はできる。夢のようでもある。途切れがち。

店内は吹き抜けで、二階は天井からぶら下がったみたいになっている。確かなことはわからない。上るとき、ちゃんと見ていなかった。

扉の前で息を整えた。叩いたら、ガタガタと反動がひどかった。中から反応はない。ノブは空回り。よく見ると、ドアでなく、引戸だ。

戸を後ろ手で閉めていた。開けたときの記憶が、ぼやっとしている。半畳もない上り口に、何足か、靴が置いてある。客が何人も来ているみたいだが、だったら、どうなのか。楽か。苦か。

昼間なのにカーテンが閉めてある。狭い和室。物があちこちにある。それらのどれもが壁にくっついていない。中央に丸い物がある。それがサイキだろう。彼は僕が来たのを知っているはずだ。知っていて、わざと振り向かない。そっと近づいた。近づかれていることを知っているはずだ。頭にヘッドホンが挟まっている。それを外してやった。彼はゆっくりと振り向き、「やあ」と言った。僕も「やあ」と言った。ヘッドホンを自分の耳に当てた。バンドは顎の下。

影の残骸のようなものが部屋の隅に漂っている。そちらを見たくなくて、目を瞑った。だんだん、自分が自分ではないような気がしてくる。誰かの真似をしているみたいだ。誰かに教わった通りにやっているみたいだ。今いる場所とは少し違う場所にいるみたいだ。実際よりも数秒先にいるみたいでもある。

ヘッドホンからは何も聞こえてこない。いや、耳を澄ますと、耳鳴りのような微かにうねる音が聞こえてきた。ジャングルの音だろう。南米のジャングル。そこに何かがいて、蝶か何かがいて、羽を閉じている。地味な色。その虫は毒々しい赤い花びらに留まっている。爪のような花びらが並ぶ。食虫植物か。あっ、蝶が羽を広げた。危険を感じたのか。輝く青。

音が消えた。ヘッドホンを奪われたのだ。少し遅れて蝶が飛び去った。

サイキの顔が迫っていた。彼はニタアッと笑った。

サイキが部屋を出た。僕は不必要に長い時間をかけて部屋を出た。

等身大の福助が、本物の、つまり、本物の人形の福助が、階段の下に鎮座していた。

サイキにどことなく似ている初老の男が、明日の午後に自転車を取りに来るようにと告げた。その人がサイキの親爺だと思ったあの人なのか、どうか、はっきりしない。

「ヨーコさんの知り合いだって?」

「はあ」

「どういう?」

「母の、ええっと」

逃げた。店の外でサイキが呼んでいるというふうを装う。

毒茸はなかった。

外で、彼は軽くジャンプをしていた。僕が出てきたらしいと感じ、走り出した。追うしかない。

彼は、曲がり角の自動販売機の前でもジャンプをしていた。買うのかと思ったが、買わない。買わせたいのか。缶コーヒーの同じものを二本買って、一本を差し出した。彼はそれをよく見もせず、さっと奪い、先に開けて、グビグビ、飲み始めた。僕も飲んだ。なぜか焦ってしまい、噎せそうになった。妙に甘かった。眠くなった。

自販機の前で、通る車を見ていた。他に見る物がなかった。サイキの顔を見たくなかった。いや、見るべきではないように感じていた。

うちのクラスには「困ったときのサイキいじり」というマナーがある。だが、二人きりだと、いじりはできない。

白い犬が寄って来た。犬は置いてあった缶コーヒーに鼻を近づけ、倒した。中身が数滴出て、それを舐めた。サイキは犬にいやらしいことをした。犬は僕の方を向いて口を半開きにした。目はギョロギョロ。自分の意思とは無関係に動くようだ。

二人で河原を歩いた。犬が離れて付いて来ていたが、いつの間にか、いなくなった。僕はヨーコさんの話をした。ヨーコという名は出さない。

あの人は椅子に浅く掛けて転寝を始めた。僕は畳の上に坐っていた。あの人の脚が徐々に開いた。白いミニのワンピース。病院の人みたい。その裾が徐々にずり上がる。パンティは見えない。見たくはない。でも、まだ見えていないということを確かめたかった。

「死ね」と、サイキが吐き捨てるように言った。

聞こえないふりをして、「お兄さん、いる?」と聞いてみた。彼は黙って首を振った。「いない」という意味だろうか。「いるけど、兄の話はしたくない」という意味にも取れる。

数秒後、「みんな、死ね」と、彼が叫んだ。聞こえないふりは無理だった。「死ね」と、僕は小さな声で言った。疑問とも取れるような言い方。「おまえもな」と、彼が遠くを見たまま言った。「おまえ」が誰なのか、わからない。

「異星人、知ってる?」

「ふん」と、彼は乾いた息を漏らした。ちょっと間があって、二度首を縦に振り、それから思い出したように大きく一度だけ横に振った。丈の高い草を払うような仕草。実際、そこらに芒が生えていたが、間近にはなかった。

あまり広くない川の真ん中に土が溜まっていて、それは赤かった。赤土よりも赤い。そこに白い鰐がいた。鰐は立っていた。脚で立つのではなく、尻尾で。誰かが鰐を羽交い絞めにして立たせているみたいだ。鰐は苦しんでいるが、抵抗できない。淡い影のような人体が鰐の背骨を折った。キャーという叫び声が響き渡った。その叫び声が鰐のものなのか、どうか、わからない。影の声かもしれない。工場のサイレンのようでもある。サイキの声のようでもある。僕の頭の中の声かもしれない。キーンの進化。いや、正体。そんな反省をしていたら、鰐は消えていた。影は残ったが、ぼやけて薄れて見えなくなった。

サイキにも鰐が見えていたようだ。影も見えていたろうか。

二人は立ちあがった。

自販機の前に戻り、彼は「学校、どうしようかな」と呟いた。独り言のように聞こえなくもなかったので、独り言だと思うことにした。

軽く会釈して、僕はサイキサイクルとは反対の方向へ歩き出した。家のある方向とも違う。

何か言わなければならないような気がして、数歩戻った。

「パンクね」

「うん」

「あれ、異星人の吹き矢」

「ふん」

「知ってた?」

「よくある話」

悟ったような表情を僕の目の中に残し、サイキは離れていった。

小さくなっていく背中に僕はピストルを向けた。指で作ったピストル。

パン! 

倒れなかった。指先から上がる硝煙をわざとらしく吹きやる。青い蝶が飛んできて、夕空を向いた指に留まり、何かを教えたそうに羽を開閉してから飛び去った。

サイキは数日で死ぬはずだ、絶対。だって、異星人がくれたピストルなんだ。

ヨーコさんはパンティを穿いていなかった。

(終)


腐った林檎の匂いのする異星人と一緒 3 サイキサイクル ①

2020-07-21 09:18:56 | 小説

腐った林檎の匂いのする異星人と一緒

3 サイキサイクル ①

 

パンクしたからだよ。近かったし、偶然ね。

ハワイのチョコ、あんなもん、うまいかね。届けろって、ヨーコさんちに。うるさいんだよ、ばばあ。いいから、行けって。日曜だろ。暇だろ? 

行ったら上ってけって言う。断ったよ、でも、上がってけって、まだ言うから、上った。で、チョコ、食べてけって。いえ。コーヒーが出た。アイス。喉、乾いてたから飲んだ。妙に甘かった。眠くなった。チョコは、結局、食べなかったと思う。

ヨーコさん、独身でね、三十過ぎてるけど。ばばあの後輩なんだって。高校のじゃなくて。何だか、わからない。聞くと怒る。

ああ、ハワイだ。ああ、懐かしいなあ。ヨーコさんは、チョコを口に入れ、顔を顰めた。うまくなさそう。わざとか。そして、微笑。ありがとう。僕、別に。へえ、君、自分のこと、僕って言うんだ。

パンクした自転車を押して歩きながら考えた。

ヨーコさん、会うなり、くだらないことを言った。しばらく見ないうちに大きくなったね。この前、こんなだったのに。親指と人差し指を五センチぐらい、開いて見せた。笑えってか。笑ったら、どうなってたろう。爪の色が赤かった。変な赤。それを笑ったと勘違いされたか。なわけないか。でもないか。考えたくない。

何にも考えたくないなんて考えながら歩いてたら、知らないうちにサイキんちの近くに来てた。

しまった。

ウドンコが言ったんだよ、行けって。行ってこい。ちょっと見てこい。ああ、理由なんか、聞かなくていいぞ。どうして学校に来ないんだなんて、絶対、言っちゃ駄目だからな。人を傷つける言葉だからな。おや? なぜ自分がって顔してるな。知りたいか。知りたいって顔してるな。じゃあ、教えてやろう。サイキは、ユーの一つ前だからだよ、何がって、出席番号。何で出席番号がって思ったけど、聞きたそうな顔をすると面倒になりそうだから、顔を見られないように机を見た。落書がしてある。青い色。

UDONKO

FOOL

OBJECT

略してUFOだけど、objectがよくわからない。だから、笑いたいのに思いきって笑えない。喉に何かが詰まった感じ。無理して笑ったら、どうなってたろう。おしまいだろうな。何が? 何となく、そう、おしまいって感じ。

よし。ウドンコが勝ち誇ったようにびしっと物差しで教壇を叩き、教室を見渡した。きっとみんなも俯いていたろう。誰だって行きたかない。本当はウドンコが行くべきなんだ、担任なんだから。

坂道を上って一息ついて顔を上げたら、大きな看板が見えた。

サイキサイクル

ありゃりゃ、見ちゃったよ。見えなきゃよかったのに。見えなきゃ、見つかりませんでしたって、言いわけできた。でも、見えたんだから、しょうがない。嘘のつけないタイプだもんな。クラスでは、そういうタイプでやってきた。今更変えられない。

ああ、そうだ。パンクしてんだ。出席番号が次だから遊びに来ましたなんて、通用しないよな、普通。

背筋をぴんと伸ばす! 

カーチ先生に何度言われても、サイキは俯いたままだった。それじゃ、身長、測れないでしょう。ねえ、君? こっちを向いた。「はい」と答えたら、サイキに聞かれてしまう。後ろのサカゲにも聞かれる。だから、口だけ「はい」の形を作ってカーチ先生に見せようとしたら、カーチ先生はサイキの背をぐいぐい押すのに忙しかった。ちょっとひどいかもしれない。でも、お仕事だもんな、保健の先生の。

笑い声がした。誰が笑ってるんだろう、こんな場面で。サイキだ。よっぽどくすぐったいか。そのときが最初かな。最初で最後、サイキの笑い声を聞いたのは。

近所じゃないか。ウドンコが少し声を荒げた。僕が何をしたってんだ。殴ってきやがった。実は殴るふり。よけたら、笑いやがる。おれは暴力教師じゃないぞ。いつものギャグだが、たまに当たることもある。よけようと思えばよけられそうだ。でも、よけたら、おしまいだろう。何がって、よくわからないけど、とにかく、おしまい。

近所ったって、それは直線距離で、地図の上のこと。テリトリーじゃない。口にしない不満が聞こえたみたいで、ウドンコが襟首を掴んだ。眼鏡が外れて落ちた。金縁。床の上の眼鏡を眺めていたら、「拾え」だと。びくっ。拾おうとしたら、コーダさんが拾ってすっと渡してくれた。その前から、あいつは彼女を見ていたらしい。受け取って、大丈夫か、確かめてやがる。その間、安らいだ。逆にコーダさんはおどおど。そして、僕をちらっと見た。責めているのか、僕を? ああ、恋が終わった。背中を見た瞬間に始まった恋。純白のブラウスをくっきりと盛り上げて、ほのかに透けて見えていたブラジャーの線。

恐怖に竦むコーダ姫の背中に腕を回して抱え、怪獣ウドンゴラスの前から颯爽と飛び去った僕は、急降下。キーン。

「夫婦喧嘩でもしたのお?」

サキハラが笑いながら声を上げた。救ってくれようとしたか。サキハラは、ばれない程度に髪を染めている。ばれない程度だから、本当はばれているのに、ほっとかれている。母親が市会議員だからか。

ウドンコは妙に嬉しそうに、「ひゃっ、ひゃっ」と笑った。救われたのは、あいつか。

「テリトリーなんて言ったら、火に油を注ぐ結果になったろうな」というのがタカタの説。あだ名は気象予報士。「ウドンコ、英語、駄目なんだよ」

ダイミョウジによると、「おまえ、あんとき、笑ったろう。だからだよ」とのこと。笑ってない。いや、「あんとき」って、どんとき。

笑ってもいないのに笑ったように見えるから、僕はヨーコさんにからかわれたのかもしれない。イソガケみたいな下等動物にも蹴られるのだろう。わけもなく蹴ってくる。

ウドンコは、眼鏡を掛けながら、廊下に首を出し、「こらあ、何やってんだ!」と叫んだ。廊下には誰もいないはずだ。「こらこら」と、わざとらしい。出て行った。照れ隠しだな。サキハラが怖いらしい。あれで涙脆くて、たまに甘い話をするもんだから、一部の女子は「わりといい人」なんて言い合ってやがる。自分のことを「わりといい人」に見せかけるためだ。女は嘘つきだらけ。

ウドンコは辻褄の合わない甘い話をする。自己陶酔。げえっ、だよ。大統領になったら、真っ先にあいつをギロチンにかけてやる。ギロチンにかけたいやつらは、他にもいる。二番目はノオボセ。三番目はリリー。いや、あいつはガス室送りだな。喉をかきむしれ。音大は出たけれど歌手になれなかった。最期の歌を笑って聞いてやる。誰でも彼でも、教師は片っ端から死刑! 

学校という学校に爆弾を落とす。バッコーン、ガッコーン、ボッコーン。

廊下の突き当たりに、何人か、ぼさっと立ってるみたいだ。そして、やつらは、殴られそうだ。しかし、そんなやつらはいない。だから、誰も殴られない。

サイキサイクルの看板が段々大きくなる。こっちは動かないで、向こうから近付いて来るみたいだ。どうしよう。どうしよう。どうしよう。引き付けられているみたいだ。行かないと、殴られる。さっさと行って帰ればいいんだけど、上がれって言われるかもしれない。

学校という名の牢屋。授業という名の拷問。教師は調教師。生徒は猿。僕は猿。僕は猿。僕は猿。猿でいたくない。けど、人間になりたくもない。キーン。ボッコン。ダダダダ。ダダダダ。くそ。二十五歳まで我慢しろと誰かが書いていた。死ぬのは二十五歳の誕生日の朝にしろ。それまで、どうにかして生きてみろ。くそ。あと何年だ? 計算できない。キキキー。計算しようとすると、歯をむき出して威嚇する猿の顔が浮かぶ。ダダダダ。誰でもいいから、猿でもいいから、殺したい。自分でもいい。くそ。くそ。くそばばあ。

キーン。

空から鋭い音が降ってきた。飛行機の姿は見えない。

「ああ。いらっしゃい」

水色のつなぎのおっさんがぬっと立ち上がった。屈んで自転車のペダルを弄ってたらしい。あいつの親爺か。

「僕」と言いかけて笑われそうな気がした。「パンク」

「どこで?」

何で、そんなこと、聞くかな。

「あのお、サイキ君」

「えっ?」

「同じくクラス」

「ああ。お友達?」

「はい」と言ってしまえば簡単なんだろうけど、言いづらい。作り笑いをした。すると、おっさん、満面に笑み。そのにこにこに、どう応じればいいのか。でも、迷う必要はなかった。

「おおい。お友達だよ」

店の奥に向かって叫んでいる。

「おおい」

声が少し小さくなる。

カツン、コツン。コンクリの床に当たる下駄か何かの音。それが近付いて来る。下駄じゃなかった。つっかけ。大きな男が現われた。作業着の上を脱いで、腰に袖を巻いて結んでいる。

「何だ、おまえ」

僕はまた笑っているのだろうか。作り笑いが張り付いてしまったのかもしれない。だったら、危ない。巨体は明るみに出ている。首から上は、よく見えない。そこから声が降る。

「誰の手先だ」

「はっ。あの、えっと、コンドウ先生が」

「何?」

「いえ、その、たまたま、パンク」

顔が出て来た。丸顔で愛嬌がある。福助みたいだ。あいつの兄貴か。

「お客さんですか。どうぞ」

声のトーンが上がった。腰が低くなった。親爺と兄貴に両側から支えられるようにして店内に入った。

「パンクって、どこで?」

兄貴が同じことを聞く。

ギシ、ギシ。軋む音がした。暗さに目が馴れてきた。階段を誰かが下りてくる。長くも短くもない、よれよれのスカートの裾が揺れる。その下から、艶のない、太めの足が出ている。本人は急いでいるつもりだろうが、のろい。ギシ、ギシ。母親か。手すりを撫でながら、すっすっと下がる手。それが止まるたび、細い手すりがちょっとだけ撓む。昼寝でもしていたか、だるそうな目。病気かもしれない。階段を下りて、のそのそ。こっちへやってくるかと思ったが、来ない。前掛けを掴んで揉んでいる。

「あんたかい。あんたじゃないよね。違うよね」

誰に言っているのか、わからない。男二人は、聞こえないふりをしている。親爺が僕の自転車を移動させた。兄貴は天井を見ながら、「眠いんだよ」と呟く。

「上」

おばさんの手が階段の方を向いている。

「上にいるから」

視線が合わない。簡易椅子を引き寄せている。嫌な擦過音。よっこらしょっと。それから、どさっと音をたてて坐った。

「あっち」

面倒臭そうに言う。後ろを差した手を肩に載せ、首を回す。

「あっち」と、僕は復唱した。動かなければならない。ここから出たいけど、きっかけがない。「あっち」へ行くしかないか。

おばさんが顔を上げ、「お茶でも飲んでくかい」と言った。やっぱりよそを向いたまま。

「いえ」やっと答えた。

「お茶と言えばお菓子だよな」と、兄貴が笑った。誰のことを笑っているのだろう。僕はつられて笑いそうになった。こらえた。

「今度」とだけ言って店を出ようとしたら、誰かが入って来て、ぶつかりそうなった。気圧みたいなもので僕は押し返される。間が空くと、その人は僕を見て、「おっ」と言った。知り合いに会ったときみたいだ。でも、知り合いじゃない。ところが、僕の名を口にした。えっ、誰? 聞きたそうに見上げたが、その人はずんずん歩いて行って、親爺と話し始めた。空耳? 

キーン。

見えない所で、兄貴が何かを削っているらしい。ぞっとするほど、嫌な音だ。その音から逃げるように、階段へ向かった。すると、足元に黒ずんだ布がさっと投げ出された。毒茸みたい。兄貴が、いつの間にか戻っていて、その布を投げたらしい。ヤンキー坐りで薄笑い。いよいよ福助だ。その油を吸った布を避けることができず、跳び超えた。何か悪いことでもしでかしたみたいな気分。かすかな後悔。

階段の下で靴を脱ごうとしたら、おばさんが「そのまま、そのまま」と声を掛けた。「そのまま」と口だけ動かしておばさんを見たが、もうこっちを向いていない。諦めて、何かを諦めて、僕は階段を上り始めた。

(続く)


BD団歌

2020-07-16 18:28:28 | ジョーク

   BD団歌

 

ぼ ぼ ぼくらは少年 断定だ

言う気 満々 縷々 述べる

やること なすこと 正しくないのに

正しいような見方する

ぼ ぼ 僕らは少年 断定だ

(終)