夏目漱石を読むという虚栄
3000 窮屈な「貧弱な思想家」
3100 死に後れ
3140 窮屈な思想家
3141 「貧窮問答歌」
Sは、次のように自己紹介している。
<私は貧弱な思想家ですけれども、自分の頭で纏(まと)め上げた考(ママ)を無暗に人に隠しやしません。隠す必要がないんだから。
(夏目漱石『こころ』上三十一)>
〈「貧弱な思想家」は、自分の思想を、「無暗に」ではないが、「必要が」あれば、「人に隠す」ものだ〉という前提があるらしい。「頭で纏(まと)め上げ」は意味不明。Sは、〈自分には「自分の頭で纏(まと)め上げた考」がある〉という妄想を抱いていたのだろう。ただし、作者が〈Sの「考」に中身はない〉という文芸的表現を試みている様子はない。「隠す必要がないんだから」は唐突。このような弁明が、なぜ、必要なのだろう。作者は読者に対して、「僕の思想が危険思想でもなんでもないと云ふこと」(森鴎外『かのように』)を暗に訴えているつもりだろう。その読者の典型は特別高等警察か。
<見劣りがしてみすぼらしいこと。必要を満たすに十分でないこと。また、そのさま。
*こゝろ(1914)〈夏目漱石〉上「私は貧弱な思想家ですけれども」
(『日本国語大辞典』「貧弱」)>
「必要を満たすに十分でない」のなら、「貧弱な思想家」は思想家失格だろう。
「思想家」の「家」は、「高尚な愛の理論家」(下三十四)などの「家」と同様、誇張による自嘲の表現か。「貧弱な」という言葉を、Sの謙遜と解釈する人は多いのだろう。だが、謙遜でなければ、どのような形容が適当だろう。私は〈窮屈〉を思いつく。「貧窮問答歌」(『万葉集』892)の貧者は「吾(あれ)をおきて 人はあらじと 誇(ほこ)ろへど」と歌う。一方、窮者は「かくばかり すべなきものか 世間(よのなか)の道」と歌う。
<叔父に欺(あざ)むかれた当時の私は、他(ひと)の頼みにならない事をつくづく感じたには相違ありませんが、他(ひと)を悪く取るだけあ(ママ)って、自分はまだ確(たしか)な気がしていました。世間はどうあろうともこの己(おれ)は立派な人間だという信念が何処かにあったのです。それがKのために美事に破壊されてしまって、自分もあの叔父と同じ人間だと意識した時、私は急にふらふらしました。他(ひと)に愛想(あいそ)を尽かした私は、自分にも愛想を尽かして動けなくなったのです。
(夏目漱石『こころ』「下 先生と遺書」五十二)>
「この己(おれ)は立派な人間だ」と誇るのなら、思想的貧者だろう。「動けなくなった」のなら、思想的窮者だろう。窮者が貧者と自己紹介すれば、むしろ高慢だろう。謙遜ではない。Sは「貧弱な思想家」というより、〈窮屈な思想家〉だろう。平たく言うと、意地っ張りだ。〈窮屈〉は「意地を通せば窮屈だ」(『草枕』)から取った。
「同じ人間」は〈「同じ」種類の「人間」〉の不当な略。どういう種類だろう。不明。
3000 窮屈な「貧弱な思想家」
3100 死に後れ
3140 窮屈な思想家
3142 空っぽの「思想問題」
P文書の語り手Pは、Sの「思想」に関して、次のように語る。
<私は思想上の問題に就いて、大いなる利益を先生から受けた事を自白する。
(夏目漱石『こころ』「上 先生と遺書」三十一)>
青年Pが抱えていた「思想上の問題」は不明。したがって、「利益」の内容も不明。「自白する」は穏やかでない。〈他人から思想上の「利益」を受けるのは罪だ〉といった前提でもあるのだろうか。ちなみに、Pの卒業論文は「教授の眼にはよく見えなかったらしい」(上三十二)というから、学問上の「利益」は受けなかったようだ。あるいは、「見えなかった」の真意は〈解らなかった〉かもしれない。だったら、いじましい。
<貴方は現代の思想問題に就いて、よく私に議論を向けた事を記憶しているでしょう。私のそれに対する態度もよく解っているでしょう。私はあなたの意見を軽蔑(けいべつ)までしなかったけれども、決して尊敬を払い得る程度にはなれなかった。あなたの考えには何等の背景もなかったし、あなたは自分の過去を有(も)つには余りに若過ぎたからです。
(夏目漱石『こころ』「下 先生と遺書」二)>
「現代」がいつから始まるのか、不明。「現代」のものに限らず、「思想問題」は、『こころ』のどこにも見当たらない。だが、作者は「現代の思想問題」を暗示したつもりかもしれない。「議論を向けた」は意味不明。読者は、「記憶して」いるつもりになるべきか。
「それ」が「現代の思想問題」なら、「態度」は意味不明。Sは、どうして、〈Pには「よく解っている」〉と思うのだろう。
「あなたの意見」は、Sの「態度」と同様、どこにも見当たらない。さっきは「貴方」で、今度は「あなた」だ。ちなみに、この混用は、P文書におけるSの発言にもみられる。たとえば、「あなたは私に会っても」(上七)と「貴方は外の方を向いて」(上七)などの例がある。Pが聞き分けたわけではなかろう。だから、作者の意図によるのだろう。その意図を、読者は察すべきか。「なれなかった」は〈なるべきなのに「なれなかった」〉と〈なりたくなかった〉の混交。つまり、義務と欲求の混交。ここだけ常体なのは、なぜか。
Pの「考え」は、私には見つけられない。「意見」と同じか。同じなら、なぜ、言葉を変えたのか。「背景」は意味不明。「背景も」の「も」は不可解。「何等の背景もなかった」と断定する根拠は不明。「なかったし」は〈「なかった」からだ「し」〉が適当。ここまでは、前の文の理由を語るものだろう。また、「あなたは自分の過去を」以下は、「あなたの考えには何等の背景もなかった」ということの、その理由を語るはずだ。そうだとしたら、「なかったし」と引っ張るのは不合理。一旦、切ろうよ。「自分の過去」は意味不明。「過去を有(も)つ」は意味不明。「余りに」ではなくて「若過ぎ」るのは何歳からか。単に〈若い〉のは何歳までだろう。SがPと同じ年齢のときも「若過ぎた」のだろうか。そして、「過去を有(も)つ」こともなかったのか。何が何やら、さっぱりわからない。
3000 窮屈な「貧弱な思想家」
3100 死に後れ
3140 窮屈な思想家
3143 「世間に向って働らき掛ける資格のない男」
思想が「貧弱」になってしまう原因は何だろう。
<われわれの祖先も、茶席においては、それが共通な話題として、また、文字通り、主人自ら奔走し、親しく手をくだし、心を尽くして席をととのえ、食品を調理し、会食に当たってはそれらのものの由来などを話しあって、お互いの真実にふれて行(ママ)く手がかりにした。そこには、いきとどいた会話のしかたがきめられていた。近代の日本人であるわれわれは、そういう伝統まで旧弊と一緒に忘れ去り、西洋の実際生活から抽象された様式だけを文化として学びとることに急であったために、われわれの話しあいが社会的なものとして発達せず、また、そういうばあいに使われることばがきわめて抽象的な概念として考えられるようになってきたために、ことばの具体性が失われ、われわれの話しあいは貧弱なものになり、会話はみすぼらしい状態に陥っていることが観察され、反省される。
(西尾実『日本人のことば』「Ⅱ 談話」)>
「それ」は、たとえば「献立」(『日本人のことば』)だ。
『こころ』における会話が「貧弱なもの」であることに気づかない人は、日本の「伝統」を知らないのだろう。また、「西洋の実際生活」を体験したこともないのだろう。体験する機会があっても、有効に活用できないのだろう。英国に滞在中のNがそうだったようだ。
<先生はまるで世間に名前を知られていない人であった。だから先生の学問や思想に就ては、先生と密切の関係を有(も)っている私より外に敬意を払うもののあるべき筈がなかった。
(夏目漱石『こころ』「上 先生と私」十一)>
この二文の因果関係は転倒しているようだ。「世間」にとってSの「学問や思想」が「まるで」価値のないものだからSは無名だったはず。Sの「学問や思想」などの業績は皆無だろう。著作がないだけでなく、演説や公開討論などもしない。
<その時先生は沈んだ調子で、「どうしても私は世間に向って働ら(ママ)き掛ける資格のない男だから仕方がありません」と云った。
(夏目漱石『こころ』「上 先生と私」十一)>
「その時」は無視。「どうしても」は宙に浮いている。「世間に向って働らき掛ける」は意味不明。だから、「資格」は意味不明で、「資格」を与えたり奪ったりする機関や人格なども想像できない。「仕方」についても同様。
Sから「資格」を剥奪したのは、「恐ろしい力」だ。ただし、語り手Sは、「資格」以前の能力について反省をしていない。能力さえあれば、Dと戦いながら「世間に向って働らき掛ける」ための「仕方」を見つけられたかもしれないのだ。
(3140終)