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ヒルネボウ

笑ってもいいかなあ? 笑うしかないとも。
本ブログは、一部の人にとって、愉快な表現が含まれています。

芽落花ノート 56 修整された渚

2025-08-09 00:08:58 | 

   萌芽落花ノート

   56 修整された渚

殺戮の予定された渚よりも黒い憧憬が落ちている

潮よりも苦い血潮が夕焼けの砂に垂れている

僕は赤い雲よりも軽く殺す

愛するために殺すのではない

殺すために愛する 幼い海鳥を

 

殺戮の予定された渚よりも黒い悔恨が落ちている

今始まったばかりの楽章よりも別れに近い夕風が吹く

僕らは散歩する 別れのために

僕らは黒くする 猛禽類の嘴のように

滑走路の傷跡のように 類人猿の未来のように

 

踵のない靴に見合う雨よりも優しい愛撫がある

僕はカフェの窓に落ちてくる九月の処女よりも軽く

マッチを擦る

殉教の故人を思い出すために

 

それほどに黒い渚がある

黒よりも黒い黒がある

 

殺戮の予定された渚よりも黒い黒がある

(56終)


萌芽落花ノート    55 銀幕の寓話   三 ありふれた落下

2025-08-05 23:51:49 | 

   萌芽落花ノート

   55 銀幕の寓話

     三 ありふれた落下

片羽に火が点いていることは知っていた。彼女は、徐々に疑い始める。

「私の翼は人工物なの?」

その疑いに酔ったふりをして、本当にうっとりとして、ゆるゆると落下し始めた。いつか、こうなるような気がしていたのだ。待ち望んでさえいた。

墜ちながら、肩に微かな痛みを覚えた。やっと肉の感じが戻ったようだ。やがてこの感じが疼きに変わるのだろう。待ち遠しい。

縮緬のような海面に小さな影を発見する。過不足のない記号だ。波間から飛び魚が熱っぽい視線を送ってくる。ふんと鼻で笑ってやるが、嘲りは極端に減少している。

「あそこ? いや、あそこだ。違う。もっと遠くよ」

いつからか、「明日になれば」とだけ唱えて、何度も唱えて、この空を翔けてきた。でも、もういいんだ。明日は来ない。顰め面は無用だ。付け睫毛は無用だ。

運命とか、稀有な情緒とか、就中、無線とか、もう要らない概念だ。

海の青い頬にキスしてあげようか。

「顔色、悪いよ。うふふ」

ところが、風の、墜ちながら受ける風と海風の乱流によって生じた擦過傷は、酷い記憶を蘇らせた。つまり、風習を蘇らせた。

「欲しかったのは、海ではない。この海ではない。別の海でもない。もっと青い……空? 空だわ。抜けるように青い空。高い、高い空」

気付くのが遅かった。彼女はもう上昇できないのだ。片羽は消失した。

「海の青は、空の青の反映でしかなかったのに、私は騙されていた。海に騙されていた。知っていたのに。騙されていると知っていたのに、騙されている自分が好きだった」

鏡が好きだった。自分を美しく見せてくれる鏡が好きだった。

空さえも鏡だったのだ。

彼女は空の高みという真空を抱えた紙風船を潰せなかった。しかし、海を割ることはできた。

古代の荘厳が開いた。

彼女は海に沈んだ。彼女は魚にはなれなかった。珊瑚にもなれなかった。彼女は、浮き上がり、片羽の水鳥になっていた。飛べない鳥になっていた。

化粧する彼女の瞳に向かって、爪に貼り付いた青い棘がじりじりと迫り来る。

何の前触れもなく、フィルムが燃えた。

(55終)

 


萌芽落花ノート  55 銀幕の寓話  二 爆弾紙風船

2025-08-03 21:44:41 | 

   萌芽落花ノート

   55 銀幕の寓話

     二 爆弾紙風船

「ある種の自由は狂気の異相である」とは、まことにまことしやかなまことであるのかもしれない。

「確かに、ラブラブの狂喜乱舞は凶器に似て、あるかなしかの爪染草だが、それを言うなら、こんな話から始めねばならない」と、私の古い友人、というか死んだ友人、というか、私が生まれる前に死んだ見知らぬ鉄人が、匿名で次のように送信してきた。

ある日、ある老嬢が「私は人生のあらゆる苦難に軽々と耐えて来た」と軽々しく宣言した瞬間、どこかで爆弾紙風船が破裂したとさ。

 赤と白と鉛色の段だら縞の紙切れが舞い散る中、誰かが「ごめんなさい」と歌い始めた。「踏ん付けちゃった」

この儚い出来事は、謝罪が趣味の女秘書がまだ斬られる前に「御婆様からよく聞かされていました」と、しつこく繰り返し損ねた昔話に似ていたのかもしれない。

証拠はない。

この昔話は女系一族の族譜に該当する。

証拠はない。

母も聞いた。叔母も聞いた。祖母も聞いた。先祖伝来なのだとさ。

なんとなればだ、彼女たちこそ爆弾紙風船の異相としてのみ名を知られていたからだ。

段だらの人生。段だらの交際。段だらの家事。段だらのこじつけ。この段だらだらけの世の中で、段だらでなくて、どうして生きていられよう。

閑話休題。

林の中の木漏れ日のような痩古たる傾向ではなく、ある狭軌の線上の衰退が銀幕への指向を偽装するときのように、彼女は紙風船を愛していたとさ。

だからかもしれないが、対象を喪失してもなお持続する愛が導火線となった。自分で踏ん付けたんじゃない。

いや、同じことか。

船頭が川面を鏡に使うのに似ている。

とはいえ、彼女の髪が銀色に変わる前に銀幕が彼女を取りこんだことは、歴史的事実として噂されていたのだった。

要するに、ノーブラってこと? 

言ってしまえば、毒の米で雀の一羽や三羽が死のうと、国際連合は動かない。

だから、なぜ、彼女が紙吹雪を浴びながら涙ぐんでいたのか、もう、分かる人には分かるよね。

分からない人にいくら説明したって無駄なんだな。

童女のように無心に戯れるからこそ、玩具には価値がある。無心だからこそ、大切な紙風船を踏ん付けてしまう。何の不思議もない。

よく言うよ。彼女は、わざと踏ん付けたんだよ。映像が残っている。上映しようか。

止めて。止めて。止めて。もう、意地悪なんだから! 

暗転。

彼女は喪失感の喪失を深々と味わいたくて、傍らのシガレット・ケースを引き寄せた。

そして、点火。

バム! 

さて、こんな話をしてくれた親友は、彼女が彼の二番目の妻になり損ねた女優だとは、ついに明かしてくれなかった。

親友とは腫瘍の異相である。

(55二終)

 

 

 


萌芽落花ノート 55 銀幕の寓話  一 青い棘

2025-08-02 17:35:17 | 

        萌芽落花ノート

   55 銀幕の寓話

     一 青い棘

鬼より怖いと噂されるドモヤスが「どどっ」と吃って秘書を斬った。

時価ウン千万円という噂の宝石〈青い棘〉を盗もうと決めた夜のことだ。悪事を働こうとすると躊躇う。だから、その女々しい気分を切り捨てるために、もっと悪いことを先にしでかす。だから、秘書を斬った。

秘書の机の上で銀色のシガレット・ケースがオルゴールのように厭味ったらしく開いたせいでもある。

オルゴールの可能性も計画に入れておかねばならない。それと、いつも乗る私鉄の駅の数もある。鈍行の停車駅から急行の停車駅を引いて、身の上心配ある故山上と掛けて、にんまり。千円から特急券の料金を引いた数と等しいのである。釣銭が三百六十五円とは洒落ている。では、たまには帰省してみようかなどと、あらぬ方向に思念が怯えた兎のように走った。

加えて、足長のかつての恋人というか片思いの彼女の処女性を疑ってみる。現在はトマト・ジュースのマリーと呼ばれ、立派な娼婦として活躍中だ。彼女に、「早速逢いたし」と電報を打つために歯医者を訪れ、前歯を三本抜いてもらった。

どうやって、そこへ? 

魔法瓶の底に長いこと仕舞ってあった紅色の軽気球に飛び乗って、である。

風が滝のように下る夕暮れだったから、気球は断然勇ましく出立できたのだ。八十日間かそこら、下宿のあたりを一周の後、うまうまと〈青い棘〉の奪取に成功したと、新聞は、そう報道した。

その間、ドモヤスはアパートの一室から突っかけを履いて、古びたジーパンのポケットに両手をぐさっと差し込み、口笛吹き吹き、廊下を歩いて便所で小便を垂れて戻っただけなのだ。

嘘のような嘘の話が嘘のように歩き回る。そんな噂を、君ら、信じるか? 

犯罪は常にバーゲン・セールの夜明けのように、あるいはLサイズのコンドームを常用する短小男のように、あるいは、ええっと、何だっけ、ありふれた比喩だが、買ったばかりのネクタイのように、春風に靡くものなのだ。

そんなことも知らないで、生きて来たの、今日まで? 

独り言。

易しくそっと撫でさすれば、秋空だって落ちてくるのさ。

独り言。

そんなことも知らないで…… 

ドモヤスの企みは極めて難解だったので、思いもよらぬほど、すらすらと事は運び、我ながら照れ臭くて、成功を疑いたくなったほどだから、耐えかねて、水銀のような呻き声を上げながら、ついに吃り方を忘れてしまった。

ドモヤスは、〈暁の饒舌少年〉と改名し、鋼鉄の吃音でリズムを刻みながら、ヘビー・ペッティングに苛立つ処女たちを、さらに苛立たせて稼ぎまくった。

人生の明るい裏街道を垣間見てしまった少女は、今更マリーとは名乗れず、ヤス、ただのヤスの前で別人のふりをした。足元で蝦蟇が唸る。

知って知らぬふりのヤスは、おどおどしながら、「君、どこから、どこへ?」と尋ねてみる。実は、この偽装工作こそ当局を過剰なまでの混乱に陥らせた第二の原因だった。ヤスの左手は満員電車の中で老女の和服の胸に突っ込まれている。この老女は完璧な処女であったばかりか、海に潜っても陰毛一筋さえ濡らさない小笠藁流マクベス夫人だったので、「まあ、きれえ」と微笑んでしまった。

肉襦袢が何色だったか、確かめる暇もなく、ヤスは慌てて感情的に環状線に乗り換え、ぐるぐると旋回し続けた。孤独と絶望の終わりのない退屈。

そんなこんなで、吃音が蘇り、気がつくと、青い棘が…… 

前歯が二本だけ、青く光っていた。

彼に何ができようか。

「お医者様、ありがとう。今度からは、痛くしないでね」

こんなことしか言えない。

「これで何でもおいしく戴けそうです」

こんなことしか言えない。

独り言では吃らない彼も、外階段を上りながら息切れしてしまい、生きる限界を知ったつもりになれた。あくまで、つもり。

完全犯罪は誰の目にも明らかであったのにもかかわらず、官憲はちっとも動かず、ドモヤスは野放しなのだ。

独身女性が何日も着古した下着を白旗のように干し続ける夜、ドモヤスは殺意を殺しながら、よたよたと出歩いているのに、偉そうに、近頃では麻薬的犯罪の香りを垂れ流す民放各局のワイド・ショーで、ひ弱な僕たちのために人生相談を担当している。

(55一終)