いのりむし日記

いのりむしの備忘録です。

Nakajima Hisae

「差別・いじめ」92.9%、「年金制度」26.4%

2012-01-22 | 世相

 学校や職場、そして地域活動などで、「人権」を冠した研修を受けたことがある人は少なくないだろう。こうした機会が増えているのは、2000年に施行された人権教育及び人権啓発の推進に関する法律によるものが大きい。人権教育・人権啓発の実施が国・地方公共団体の責務となったことは、「成果」なのか、それとも、公権力に隠微に囲い込まれただけなのか悩ましい。それはともかく、人権教育が法によりすすめられている今、人びとは「人権」をどのようにとらえているのだろうか。
 四日市市人権センターでは、2010年、市民人権意識調査を実施。その結果が公表されている。
 

 この中で注目されるのが、「次のことがらのうち、人権に関係があると思うものを全て選択してください」という設問の集計結果である。

(『四日市市民人権意識調査報告 人権は私たちみんな課題です -調査から見た市民の意識-』)

Zinnkenntyousa
 いうまでもないが、この10項目は、全て人権に関わりのあるものばかりである。
 「差別・いじめ」が、ダントツの高い数値であるのに対して、「年金制度」「選挙権」の低さを、どう考えたらよいだろうか。「差別・いじめ」を人権に関わる問題ととらえることができる人が9割を超えていることを、人権啓発・教育の成果と考えることはできる。しかし、一方で、その他の項目とのアンバランスに、現在の人権啓発・教育の課題も見えてくる。
(ちなみに回答者のうち、10項目全てと答えた人は6.5%であった。)

 以下は、教科書風に「年金と人権」を解説してみた。が、このような人権としての年金の崩壊に、今、私たちは直面している。

 年金と人権

 年金制度などの社会保障は、基本的人権の中の社会権(生存権)に関わる重要な課題です。
 社会権は、人間らしい生活を保障する施策を国に要求する権利で、ドイツのワイマール憲法(1919年)に、そのはじまりを求めることができます。ワイマール憲法で、初めて「生存権」という社会権が盛り込まれ、以後、世界に広まりました。具体的には公的扶助、社会保険、社会福祉、公衆衛生、医療などを保障する生存権や、教育を受ける権利、労働権・労働基本権などがあります。

 日本国憲法の第25条は、「生存権、国の社会的使命」を下記のように規定しています。
1 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
2 国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。

 敗戦で疲弊した当時の社会にとって、安定した生活の確立は急務でした。まず、生活保護法(1946年)、次いで児童福祉法(1947年)、身体障害者福祉法(1949年)、社会福祉事業法(1951年)などが制定されます。1950年社会保障制度審議会「社会保障制度に関する勧告」(1950年)では、日本が直面している現状を次のように指摘しました。
 

「敗戦の日本は、平和と民主主義とを看板として立ちあがろうとしているけれども、その前提としての国民の生活はそれに適すべくあまりにも窮乏であり、そのため多数の国民にとっては、この看板さえ見え難く、いわんやそれに向かって歩むことなどはとてもできそうではないのである。問題は、いかにして彼らに最低の生活を与えるかである。いわゆる人権の尊重も、いわゆるデモクラシーも、この前提がなくしては、紙の上の空語でしかない。いかにして国民に健康な生活を保障するか。いかにして最低でいいが生きて行ける道を拓くべきか、これが再興日本のあらゆる問題に先立つ基本問題である。」

 そして、社会保障制度の目的を次のように述べました。

「いわゆる社会保障制度とは、疾病、負傷、分娩、廃疾、死亡、老齢、失業、多子その他困窮の原因に対し、保険的方法又は直接公の負担において経済保障の途を講じ、生活困窮に陥った者に対しては、国家扶助によって最低限度の生活を保障するとともに、公衆衛生及び社会福祉の向上を図り、もってすべての国民が文化的社会の成員たるに値する生活を営むことができるようにすることをいうのである。」

 こうして、生活保護、児童福祉、高齢者福祉、障害者福祉などの社会福祉、健康保険、年金、労働保険などの各種社会保険、保健所、食品衛生などの公衆衛生の諸制度が整備されていきます。

 年金制度についても、1950年の勧告で、高齢者、遺族、障害者などに対する「年金保険制度も、できれば、すべての国民を対象とすることが望ましい」とされましたが、「しかしながら、経済が窮乏し保険料の負担能力が少ない現在、一般国民に対するこの種の保険は将来日本の経済が十分回復するときまでまたねばならぬ。」と指摘、国民皆年金制度の確立には、なお時間を必要としたのです。
 

 日本経済が成長期に入り国民生活も向上していく1950年代後半、国民皆保険、国民皆年金に向けて動き出します。それまで厚生年金、共済組合、船員保険等の「被用者年金」に加入していなかった自営業者や農業従事者等に、加入を義務づける新しい国民年金法が制定されたのは1959年でした。1961年には保険料の徴収が始まり、これにより国民皆年金が確立しました。
 
 ところで年金制度の課題のひとつに、外国籍住民の保障問題があります。年金制度の国籍条項が廃止されたのは1982年のことで、それまでは外国人は日本の国民年金には加入できなかったのです。人権の尊重という観点から国民年金制度への外国人の加入を求める声は以前からありましたが、国籍条項の撤廃を決めた大きなきっかけのひとつに、当時、世界規模で課題であった難民問題があります。難民の権利について国際的な取り決めとなった「難民の地位に関する条約」(1982年1月1日発効)において、「外国人である難民にも社会保障を適用しなければならない」(24条)と定められたことで、日本も外国人の社会保障に取り組むこととなったのです。
 こうして、外国籍住民にも加入が認められるようになった国民年金ですが、受給の条件を満たすことができない一部の住民の「無年金者」問題が課題として残りました。これは①1986年4月1日の時点で60歳を超えていた在日朝鮮人には老齢福祉年金が支給されない、②1982年1月1日の時点で20歳を超えていた在日朝鮮人には障害基礎年金の支給対象にならないという制度上の問題です。
 
 また、近年、日本と諸外国の間において国際的に活発な人的交流が行われ、外国に滞在する日本人も増加しています。このため年金制度等の二重加入を防止し、外国の年金制度の加入期間を取り入れ年金が受けられるようにするなど、それぞれの国と日本の二国間で調整する社会保障協定の締結がすすめられています。
 
 このように年金制度は、これまでも大きく転換してきましたが、その基本には生存権という基本的人権の理念が生きているのです。

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