耳を洗う

世俗の汚れたことを聞いた耳を洗い清める。~『史記索隠』

“ガマの油”は売れない寅さん

2007-04-07 09:10:42 | Weblog
 先ごろNHKが『男はつらいよ』全48作を放映し、楽しく鑑賞した。ワンパターンでいささか“バカバカしい”話ながら、何べんみても厭きない自分にあきれてしまう。いずれまた放映されるだろうが、多分また、テレビの前に座っていることだろう。

 “寅さん”の職業は「テキヤ」(参照:「的屋」http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9A%84%E5%B1%8B)となっている。「テキヤ」の元は「野師」あるいは「香具師」と書いて「やし」と呼ばれ、原型は奈良時代に遡るという。農耕社会で農閑期に市がたち、多くの人が生活必需品を求めて集る。その中に山野から薬草を摘んで売りにくる者たちがあり、それが香具師だとも言われている。薬草にはニオイのきついものや、香りの高い草などがあって、口上を述べながら販売した。ウイキペデアには「香具師」を「神農(薬の神様)」とも呼んでいたとあるから、「テキヤ」の発生は案外こんなところにあったのかも知れない。

 私が中学、高校時代、丁度今時分の桜の頃、花見客を相手にした「テキヤ」が現れた。印象に残っているのが“ガマの油売り"である。口上を述べながら左前腕をザックリ切った(そう見えた!)あとに“ガマの油”をつけてしばらく押さえていたが、油を拭き取ると何と、切ったはずの傷口はどこにもない。買わされた人も少なくなかったはずである。

 「ガマの油売り」:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AC%E3%83%9E%E3%81%AE%E6%B2%B9

 ところで、映画の寅さんは「テキヤ」でありながら“ガマの油売り”を決してやらない。いや、やらないのではなく、現在の薬事法で規制されていて薬としての“ガマの油”は売れなくなったのである。その原料は縄文人にも使用された形跡があるという古代日本固有の薬「陀羅尼助」は、役行者(えんのぎょうぎゃ)の小角(おづの)が創業者とされているが、吉野の大峯山、當麻寺、高野山の金剛峰寺などで今でも売っている。当然のことながら、薬事法の認可を得て販売しているのである。もし“ガマの油”が薬事法の認可を得ていたとしたら、映画でも寅さんの素敵な“ガマの油売り”のこんな口上が聞けただろう。

 <さぁさぁお立会い。御用とお急ぎでないかた、ゆっくりと聞いていらっしゃい。遠出山越え笠のうち、聞かざるときは、物の白黒、出方、善悪がとんとわからない。山寺の鐘がゴン、ゴンと鳴るといえど、童子きたって撞木(しゅもく)をあてざれば、とんと鐘の音色(ねいろ)がわからない。
 さてお立会い。てまえ、ここに取りいだしたる万金膏(まんきんこう)ガマの油、ガマと申しましても、ふつうのガマとは違う。…
 このガマの油の効能は、ひびにあかぎれ、しもやけの妙薬。まだある、大の男が七転八倒する虫歯の痛みもぴったりとまる。しかし、口上だけではわからない。刃物の切れ味をとめて見せようか。
 さてお立会い。取りいだしたる夏なお寒き氷の刃(やいば)、一枚の紙が二枚、二枚が四枚、四枚が八枚、八枚が十六枚、十六枚が三十二枚、三十二枚が六十四枚、ほれ、このとおりふっと散らせば比良の暮雪は雪降りの型。これなる名刀も、ひとたびこのガマの油をつけるときは、たちまちなまくら。押しても、引いても切れはせぬ。
 さぁ、ガマの油の効能がわかったら、遠慮なく買っていきな。>

 この口上は、筑波山のふもとに生れた永井兵助という天才的な香具師の作という。