耳を洗う

世俗の汚れたことを聞いた耳を洗い清める。~『史記索隠』

“理屈と膏薬はどこにでもくっつく”~最高裁逆転判決

2007-04-28 16:20:11 | Weblog
 新聞一面トップ記事に大きく『強制連行 賠償認めず』とでている。すでに昨日のニュースでわかってはいたが、判決内容を見て「やっぱりそうか」としか言いようがない最高裁の判決である。“理屈と膏薬はどこにでもくっつく”とはよく言ったもので、「社会正義に反する」と断定した原告勝訴の二審判決を破棄した最高裁は、「社会正義」に目をつぶり、「サンフランシスコ平和条約」をよりどころに“理屈”をこね回しているのである。この問題は、法のまなざしを「個」に置くか「国」に置くかなのだ。これでは、個人の人権が「国家」に収奪されて、悪事を働いた国は“遣り得”になってしまう。

 janjanの渡辺容子記者が『今週の本棚』で紹介している『ドイツは過去とどう向き合ってきたか』(熊谷徹著/高文研)を読めば、裁判以前の問題として戦争責任をめぐる国の見解と戦後補償に関し日本政府がいかに不誠実かが分かる。ドイツと日本のこの違いの根本要因はどこに起因するのだろうか。以前にも触れたことだが、この問題は結局「天皇の戦争責任」論に行きつかざるを得ないだろう。「国」の責任を問えば問うほど、あの戦争を遂行した「最高責任者」を不問にすることは条理に合わなくなるからである。

 いずれ詳しく論じてみたいが、「強制連行福岡訴訟」の口頭弁論で、強制連行問題研究の第一人者である龍谷大学田中宏教授の証人尋問から一部を引用する。

原告代理人=戦後、こういった中国人の強制連行あるいは強制労働に関する資料というのが焼却処分されたという記録はございますか。
証人(田中宏)=あります。…当時の戦時建設団本部にて焼き三日間を要したという、三日間資料をせっせと焼いたということですね。…
 恐らく、いつ焼却したのかというのが特定できてないのではっきりしたことは言えませんけど、実は戦犯追及というのは、例の花岡の有名な事件が1948年3月1日に判決が出ますね。ですから、そのころまではかなり行なわれていたと思われるわけで、48年11月に東京裁判の判決が出て、当時の皇太子の誕生日である12月23日に東条以下の死刑が執行されると、大体そこで止まるんですね。当時、岸信介なんかは第二次としてA級戦犯として裁くために身柄は拘束されてたんですけれども、東条が処刑された翌日、全部釈放されますので、大体そのころからアメリカは日本の戦犯追及はもうやらないというような方向転換が諮られたと言われるわけで、ですから、残っていると、その後ということを兼ね合わせると、48年より以前に処分されたんではないかということは推測されますね。…

 参照:「花岡事件」http://www.geocities.jp/hanaokajiken/

代理人=強制連行、あるいは強制労働そのものについては、国はどういう対応を取ってきたんですか。
証人=一つは、外務省報告書がないから詳細なことは分からないという逃げと、もう一つは、あれは労働者としてこちらに来て働いてもらったんだということで、強制ではなくて自由契約に基づくものだという形で責任の所在を否定するという、まあ、その二通りで基本的には否定してきたということだと思います。
代理人=今先生がおっしゃったような答弁を、当時のいわゆる閣議決定をしたときの商工大臣で、後に内閣総理大臣になった岸信介等も、そういった見解を国会であつかましくも述べてきたと、こういうことですね。
証人=そうですね、劉連仁が発見されたとき、ちょうど岸信介が総理大臣だったので、それは非常に話題になったですね。

 参照:「中国人戦争被害者の要求を支える会」http://www.suopei.org/index-j.html
    「戦後補償裁判(24)-劉連仁訴訟控訴審判決」http://www.jicl.jp/now/saiban/backnumber/sengo_24.html

代理人=…(中国人強制連行者自身は俘虜、あるいは捕虜といっているが)、政府はなぜ労務者と言おうとしているのか…。
証人=これはかなり重要なことだと思っているんですけれども、とにかく閣議決定のときから戦後の報告書の作成に至るまで、一貫して労務者という言葉を国は使っているんですね。…
 実は満州事変以降、中国に大量の軍隊を送りますけれども、一度も中国に宣戦布告をしてないんですね。それで、宣戦布告をすると、結局、戦時国際法が動き出しますので、そうすると捕虜の保護義務jと言うのが、いわゆるハーグ条約なんか全部機能してきますので、そこで日本では中国との間で戦争をしていないと、これは有名な陸軍省の軍務局長をやった武藤章というのが、東条と一緒に死刑になりましたけれども、彼が東京裁判の法廷で、中国とは戦争をしてないので戦時国際法は適用されないと、したがって捕虜は生じないと、よって捕虜虐待はありえないという有名な弁論をしているんですね。
 で、その関係があるので、一貫して労務者と言っておかないと、戦時国際法との関係で、宣戦布告をせずに250万くらいの正規軍を中国に送ってますので、そのことをどうクリアするかということがあるので、一貫して労務者で通したと、私はそういうように見てますね。


 さらにこの福岡訴訟では、わが国が批准していた「ILO29号(強制労働廃止)条約違反」という特異な視点から専門家を証人に立てて国の違法性を追求し、地裁では企業責任を認める原告団勝訴(国の責任は認めず)の判決を得たが、二審で逆転敗訴の判決がなされた。現在、最高裁に控訴し係争中である。

 福岡訴訟の公判記録を見れば、国がいかに責任逃れに汲々としているかが分かるであろう。この訴訟で証人に立った中国人弁護士の康健氏は、原告代理人から「時効」の問題を問われて次のように答えた。「加害者が時効ということを主張し、被害者たちの訴える権利を阻止するということは、人道に反し、人間の心を持たないやり方だと、私は思います。そして、法的にも、法律は正義であるというのが原則でありますので、それは正義に反する、法律にも反するものであると、私は思います」と述べた。残念ながら、この国に正義を求めることは「木に魚を求める」に等しいと言えるだろう。

 <戦争は政治におけるとは異なる手段をもってする政治の継続にほかならない>        ~クラウゼヴィッツ『戦争論』

 
 参照:「戦後補償主要裁判例」http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/senngohosyou.htm