「いま一番見たいなつかしのアニメは?」と訊かれたら、『ミュンヘンへの道』と即答するゴウ先生です(ギャオあたりで再放送してくれると嬉しいんですが)。
「なんじゃ、それは?」と訝る皆さんのために軽く説明します。
時は1972年。ミュンヘン・オリンピックを控えた全日本男子バレーボールは空前の人気にありました。東京オリンピックで銅メダル、メキシコ・オリンピックで銀メダルを獲得してきた全日本は、今度こそ金メダルを取るのだと内外から期待されていたのでした。
しかし、その人気は最初からあったものではありません。東洋の魔女と称えられた女子チームの人気の陰で、注目されずにいたのが男子チームだったのです。
その全日本チームを率いて男子バレーボールの一大ブームを作り上げたのが、松平康隆現日本バレーボール協会名誉会長その人でありました。
松平監督は、あれこれリサーチした結果、世界で勝つためには、日本国民すべてからの応援が必要であるという結論に達します。それはまさに人気でも実績でも上を行く全日本女子バレーボール・チームから学んだものでありました。
人気をあおるために、まず本を書きます。『負けてたまるか』。「銀も銅もいらない。金をどうしても取りたい」と書き、徹底的に松平全日本を売り込むことに力を注ぐのでした。(「五輪を語る 松平康隆氏<2> スター作りへ自らスポンサー探し」参照。)
その過程で『ミュンヘンへの道』のプロデュースに取りかかります。この番組は、1972年4月23日から同年8月20日まで毎週日曜午後7時30分から30分間TBSで全16話放送されました。各話、実写フィルムを含めたアニメで構成されていました。
内容は、全日本男子チームの監督・コーチ・選手を紹介しながら、日々ミュンヘンでの金メダルを獲得する過程を描いたものです。
ゴウ先生自身、この番組のおかげで、それまでの「根性」なしではやっていけないものだというスポーツ観がガラリと変わっってしまいました。何せ松平チームは、知恵と論理に基づく合理的・戦略的トレーニングで金メダルを勝ち取ると謳っていたのですから。
そんなわけで、毎週日曜の放映が楽しみでした。
そしてミュンヘン・オリンピック。準決勝でポーランド相手に大逆転を演じる苦しさはあったものの、自ら盛り上げた日本国民の期待に見事に応えて、松平全日本は金メダルを取ってしまうのです。凄い!としか言いようがありません。
その準決勝ならびに決勝。映りの悪い衛星生中継に、深夜・早朝とかじりついていた記憶があります。ゴウ先生、小学5年の夏のことでした。
そんな個人的英雄である松平監督の消息を聞かなくなって久しくなるなあと思っておりました。そして、いつも通り喫煙被害を調べていたら、数ヶ月前の報道に懐かしいお名前を発見したのです。
松平監督は、ゴウ先生の実の母もその病気で死んだCOPDと闘っていらしたのでした。その原因は、もちろん長年の喫煙です。
**********
1日60本 肺気腫に…
元全日本男子バレーボール監督(日本バレーボール協会名誉会長)の松平康隆さん(75)にとって、たばこは「長年の友」だった。
猫田、森田、大古(おおこ)らの選手を擁して悲願の金メダルを獲得した1972年のミュンヘンオリンピック。国民の熱い期待を背に、一つ勝てば息つく暇もなく、次の試合の作戦に頭を巡らせた。
「勝った負けたの世界。常に精神的な緊張を強いられる」
お酒が全く飲めない松平さんが、ストレスのはけ口に求めたのが、たばこだった。1日60本のチェーンスモーカー。1本吸い終わるか終わらないうちに、次のたばこに火をつける。
監督を退いて協会の役職を務めるようになっても、毎週末は全国各地のイベントで、休みは年数日という多忙な日々。片時もたばこを手放すことはなかった。
そんな松平さんが、体調の異変を感じたのは60歳を過ぎ、ミュンヘン五輪のメンバーで、思い出の地ドイツの古城巡りに出かけた時だ。坂道をすいすい歩くメンバーについて行けない。
「どうして、そんなに急ぐんだ」と追うと、メンバーは「えっ。普通に歩いてますよ」。
帰国しても、体を動かすと息切れがひどく、知り合いの医師に胸のエックス線写真を見てもらうと、衝撃的な言葉が告げられた。
「肺気腫(きしゅ)の疑いがあります。将来、酸素ボンベが必要になるかもしれません。今すぐ、たばこはやめてください」。「長年の友」は、静かに、しかし確実に松平さんの体をむしばんでいた。
肺気腫では、肺で酸素と二酸化炭素を交換する肺胞という小さな袋が壊れ、慢性的な呼吸困難に陥る。“たばこ病”の代表格だ。
一度壊れた肺は、元には戻らない。軽ければ呼吸を楽にする運動や気管支を広げる吸入薬で対処するが、重症になれば鼻から入れたチューブで酸素を補う酸素療法を行う。
東京・市ヶ谷の日本医大呼吸ケアクリニック所長(同大教授)の木田厚瑞(こうずい)さんは「残された肺の機能を生かすためにも、禁煙が治療の大前提です」と強調する。
「たばこを始めた20代のころは、健康に悪いなんて思いもしなかった」と松平さん。肺気腫と告げられたその瞬間から、すっぱりと禁煙。5年前から、自宅では酸素療法を行っている。
自宅のある東京・表参道付近は、若者が多く、たばこを吸う姿が目に留まる。
「バカだなぁ。早死にするぞ」。言葉がのど元まで出る。
COPD(慢性閉塞(へいそく)性肺疾患) 肺気腫と慢性気管支炎を合わせて、こう呼ぶ。階段を上る際に息切れしたり、せきやたんが出やすくなったりし、呼吸困難に陥る。患者の9割近くが喫煙者で、日本では40歳以上の8.5%にあたる530万人の患者がいると推定されている。
(2005年5月26日 読売新聞)
**********
母は、2年前、最期は酸素ボンベを24時間装着し、動くことも出来ずに寝たきりで死んでいきました。
その姿を見て、約半年後、ゴウ先生はタバコから縁を切りました。COPDが発症するかどうかは遺伝的要素が大きいと言われます。ゴウ先生も20年以上の喫煙をしてきた以上、タバコをやめたからといって、罹患しないとは限りません。
しかし、たとえそうなったとしても、いまの松平さんのように、「負けてたまるか」の気持ちで闘っていくつもりです。
とはいえ、最初から喫煙習慣を持たなければ、COPDで苦しむ確立は大幅に下がるわけです。
皆さん、タバコをやめましょう。そして身近な人にタバコをやめさせましょう。
「なんじゃ、それは?」と訝る皆さんのために軽く説明します。
時は1972年。ミュンヘン・オリンピックを控えた全日本男子バレーボールは空前の人気にありました。東京オリンピックで銅メダル、メキシコ・オリンピックで銀メダルを獲得してきた全日本は、今度こそ金メダルを取るのだと内外から期待されていたのでした。
しかし、その人気は最初からあったものではありません。東洋の魔女と称えられた女子チームの人気の陰で、注目されずにいたのが男子チームだったのです。
その全日本チームを率いて男子バレーボールの一大ブームを作り上げたのが、松平康隆現日本バレーボール協会名誉会長その人でありました。
松平監督は、あれこれリサーチした結果、世界で勝つためには、日本国民すべてからの応援が必要であるという結論に達します。それはまさに人気でも実績でも上を行く全日本女子バレーボール・チームから学んだものでありました。
人気をあおるために、まず本を書きます。『負けてたまるか』。「銀も銅もいらない。金をどうしても取りたい」と書き、徹底的に松平全日本を売り込むことに力を注ぐのでした。(「五輪を語る 松平康隆氏<2> スター作りへ自らスポンサー探し」参照。)
その過程で『ミュンヘンへの道』のプロデュースに取りかかります。この番組は、1972年4月23日から同年8月20日まで毎週日曜午後7時30分から30分間TBSで全16話放送されました。各話、実写フィルムを含めたアニメで構成されていました。
内容は、全日本男子チームの監督・コーチ・選手を紹介しながら、日々ミュンヘンでの金メダルを獲得する過程を描いたものです。
ゴウ先生自身、この番組のおかげで、それまでの「根性」なしではやっていけないものだというスポーツ観がガラリと変わっってしまいました。何せ松平チームは、知恵と論理に基づく合理的・戦略的トレーニングで金メダルを勝ち取ると謳っていたのですから。
そんなわけで、毎週日曜の放映が楽しみでした。
そしてミュンヘン・オリンピック。準決勝でポーランド相手に大逆転を演じる苦しさはあったものの、自ら盛り上げた日本国民の期待に見事に応えて、松平全日本は金メダルを取ってしまうのです。凄い!としか言いようがありません。
その準決勝ならびに決勝。映りの悪い衛星生中継に、深夜・早朝とかじりついていた記憶があります。ゴウ先生、小学5年の夏のことでした。
そんな個人的英雄である松平監督の消息を聞かなくなって久しくなるなあと思っておりました。そして、いつも通り喫煙被害を調べていたら、数ヶ月前の報道に懐かしいお名前を発見したのです。
松平監督は、ゴウ先生の実の母もその病気で死んだCOPDと闘っていらしたのでした。その原因は、もちろん長年の喫煙です。
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1日60本 肺気腫に…
元全日本男子バレーボール監督(日本バレーボール協会名誉会長)の松平康隆さん(75)にとって、たばこは「長年の友」だった。
猫田、森田、大古(おおこ)らの選手を擁して悲願の金メダルを獲得した1972年のミュンヘンオリンピック。国民の熱い期待を背に、一つ勝てば息つく暇もなく、次の試合の作戦に頭を巡らせた。
「勝った負けたの世界。常に精神的な緊張を強いられる」
お酒が全く飲めない松平さんが、ストレスのはけ口に求めたのが、たばこだった。1日60本のチェーンスモーカー。1本吸い終わるか終わらないうちに、次のたばこに火をつける。
監督を退いて協会の役職を務めるようになっても、毎週末は全国各地のイベントで、休みは年数日という多忙な日々。片時もたばこを手放すことはなかった。
そんな松平さんが、体調の異変を感じたのは60歳を過ぎ、ミュンヘン五輪のメンバーで、思い出の地ドイツの古城巡りに出かけた時だ。坂道をすいすい歩くメンバーについて行けない。
「どうして、そんなに急ぐんだ」と追うと、メンバーは「えっ。普通に歩いてますよ」。
帰国しても、体を動かすと息切れがひどく、知り合いの医師に胸のエックス線写真を見てもらうと、衝撃的な言葉が告げられた。
「肺気腫(きしゅ)の疑いがあります。将来、酸素ボンベが必要になるかもしれません。今すぐ、たばこはやめてください」。「長年の友」は、静かに、しかし確実に松平さんの体をむしばんでいた。
肺気腫では、肺で酸素と二酸化炭素を交換する肺胞という小さな袋が壊れ、慢性的な呼吸困難に陥る。“たばこ病”の代表格だ。
一度壊れた肺は、元には戻らない。軽ければ呼吸を楽にする運動や気管支を広げる吸入薬で対処するが、重症になれば鼻から入れたチューブで酸素を補う酸素療法を行う。
東京・市ヶ谷の日本医大呼吸ケアクリニック所長(同大教授)の木田厚瑞(こうずい)さんは「残された肺の機能を生かすためにも、禁煙が治療の大前提です」と強調する。
「たばこを始めた20代のころは、健康に悪いなんて思いもしなかった」と松平さん。肺気腫と告げられたその瞬間から、すっぱりと禁煙。5年前から、自宅では酸素療法を行っている。
自宅のある東京・表参道付近は、若者が多く、たばこを吸う姿が目に留まる。
「バカだなぁ。早死にするぞ」。言葉がのど元まで出る。
COPD(慢性閉塞(へいそく)性肺疾患) 肺気腫と慢性気管支炎を合わせて、こう呼ぶ。階段を上る際に息切れしたり、せきやたんが出やすくなったりし、呼吸困難に陥る。患者の9割近くが喫煙者で、日本では40歳以上の8.5%にあたる530万人の患者がいると推定されている。
(2005年5月26日 読売新聞)
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母は、2年前、最期は酸素ボンベを24時間装着し、動くことも出来ずに寝たきりで死んでいきました。
その姿を見て、約半年後、ゴウ先生はタバコから縁を切りました。COPDが発症するかどうかは遺伝的要素が大きいと言われます。ゴウ先生も20年以上の喫煙をしてきた以上、タバコをやめたからといって、罹患しないとは限りません。
しかし、たとえそうなったとしても、いまの松平さんのように、「負けてたまるか」の気持ちで闘っていくつもりです。
とはいえ、最初から喫煙習慣を持たなければ、COPDで苦しむ確立は大幅に下がるわけです。
皆さん、タバコをやめましょう。そして身近な人にタバコをやめさせましょう。