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高倉健さんの5年目の命日に、『鉄道員』が特別上映

2019年11月11日 05時31分18秒 | 高倉健

もう5年も経ってしまいました。

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広末涼子、高倉健さんが泣くシーンで「スタッフさんも泣いていた」

広末涼子、高倉健さんが泣くシーンで「スタッフさんも泣いていた」

1999年の公開から20年。健さんの思い出話に花を咲かせた左から小林、大竹、広末、木村氏、原作者の浅田次郎氏=東京・銀座(撮影・田村亮介)

(サンケイスポーツ)

 2014年に悪性リンパ腫で死去した俳優、高倉健さん(享年83)5回目の命日を迎えた10日東京・丸の内TOEIで主演映画「鉄道員(ぽっぽや)」の特別上映会が開かれた。

 1999年公開の同作を撮影した木村大作氏(80)は司会を務め、「(監督の)降旗さんも亡くなったが、女々しい話はやめて朗らかにやりたい」とあいさつ。

 高倉さん演じる乙松の妻、静枝役の大竹しのぶ(62)が「たくさんの人が健さん、作品に会いに来てくださり、うれしい」と感激すると、娘、雪子役の広末涼子(39)は「健さんが泣くシーンの撮影でスタッフさんも声を殺して泣いていた」と懐かしんだ。

 乙松の同僚、杉浦役の小林稔侍(78)は、ロケ地の北海道・南富良野町のセットを旅番組で訪問したことを振り返り、「高倉さんの祭壇まで駅の中に作ってくれて、映画同様、愛情を持って町の人たちが保存してくれた」と感謝。配給の東映は、この日の売り上げの一部をセットの維持費として同町へ寄付する。

広末涼子、高倉健さんが泣くシーンで「スタッフさんも泣いていた」

高倉健さん 没後5年…命日に「鉄道員」上映 大竹しのぶが広末涼子が追悼秘話

 広末涼子(右)と撮影現場での高倉健さんの思い出を話す大竹しのぶ

(デイリースポーツ)

 2014年に悪性リンパ腫のため83歳で亡くなった俳優・高倉健さんの命日となる10日、東京・丸の内TOEIで主演映画「鉄道員(ぽっぽや)」(99年公開)の特別上映が行われた。同作のロケ地となった北海道・南富良野町の駅セットが同町の支えにより今なお保存されており、この日の収益の一部を維持費として寄付する。健さんと共演した大竹しのぶ(62)や広末涼子(39)、小林稔侍(78)、撮影を担当したカメラマンの木村大作氏(80)が思い出話に花を咲かせた。

 客席には、健さん世代のみならず、20〜30代も多く見られた。健さんが骨太に体現したローカル線の駅長・乙松の一人娘を演じた広末は、劇場を見回し「意外とみなさんお若くて、世代を超えて生き続けているなと思いました。色あせない映画ってこういうことなんですね」と笑顔だった。

 99年に公開された同作は、日本アカデミー賞では健さんが最優秀主演男優賞を受賞したのを始め、9冠を達成した。上映から20年を経た今も南富良野町にある駅のセットは、撮影当時のまま保存され、健さんの聖地として小道具や衣装などが展示されている。訃報の際には駅長の机が献花台となった。

 同作スタッフの有志が感謝の意を込め、一部収益を保存費用として南富良野町に寄付する今回の上映会。おのおのが健さんの秘話を披露した。

 広末は、撮影初日に電話番号を交換し、以後も交流が続いたという。一人娘がうっすらと消え、主人公が涙を流す有名なクライマックスシーンについて広末は「撮影部も照明部も健さんと一緒に泣いていて、あとにも先にもそんな現場は見た事がない。みんな健さんが好きなんだなって思いました」と、高倉組の空気感をしみじみ回顧した。

 妻役の大竹は、撮影の合間に、イヤホンをしながら空を見上げている健さんに「『何をしているの?』と聞いたら、イヤホン(の片方)を私の耳に入れてくれたの。カッコイイ!ってますます好きになった」とロマンチックな思い出を振り返っていた。

広末涼子、高倉健さんが泣くシーンで「スタッフさんも泣いていた」

広末涼子「鉄道員」撮影時の高倉健さんの心遣いに感謝「あの言葉がなかったら…」

「鉄道員(ぽっぽや)」特別上映会に登場した(左から)小林稔侍、大竹しのぶ、広末涼子、木村大作氏

(スポニチアネックス)

 俳優・高倉健さん(享年83)の5回目の命日に当たる10日、都内で1999年の主演作「鉄道員(ぽっぽや)」の特別上映会が行われ、劇中で主人公の乙松の娘・雪子を演じた女優・広末涼子(39)が登場し、舞台あいさつを行った。

 イベントは、当初、広末と同じくゲストとして登壇する予定だった同映画の撮影を担当した木村大作氏(80)が軽妙なトーク力を買われ、急きょ司会に回るというハプニングでスタート。

 その木村氏から「あなたは(北海道での)撮影初日の前日からロケ地入りして、じっと現場を見てましたよね。若いのにすごく真面目な方だなあと思った」と話を向けられると、広末は「実は私、あの映画の撮影はセットでの4日間だけで、北海道のロケ現場での撮影はなかったんです。でも健さんが『見においで』と言って下さったおかげで、現場にうかがえました。もしあの言葉がなかったら、みなさんの撮影風景を見学したり、現地の寒さを体感したり、『鉄道員』の作品世界を理解したりできなかったと思うので、健さんには本当に感謝しています」と、撮影時の秘話を披露した。

 さらに、現実にはすでに亡くなっていて幽霊として現れている雪子が、乙松の前で姿を消しながら別れるシーンでの思い出も語り、「健さんは雪子との別れを惜しんで涙を流すんですが、ふと見ると撮影部さんも音声部さんも、みなさん一緒に声を殺して泣いてらっしゃるんです。後にも先にも、そんな現場に出会ったことはありません。スタッフのみなさん本当に、健さんのことが大好きだったんだなあって」と、誰からも愛された名優の人柄を振り返った。

 20年前の映画にもかかわらず、同上映会には年配客だけでなく若い層も多く詰めかける大盛況ぶり。客席の様子を見て広末は「色あせない映画、世代を超えて生き続けていく映画とはこういう作品のことを言うんだなと、改めて感動しています」と感慨深げだった。

 舞台あいさつには同作の主要キャストである女優の大竹しのぶ(62)と俳優の小林稔侍(78)も登壇。さらには、舞台袖で見学していた原作者の浅田次郎氏(67)までが招き入れられた。

 公開から20年を経た今もなお、同作の撮影が行われた北海道南富良野町には、JR根室本線幾寅駅(劇中では「幌舞駅」)が撮影当時のまま存在している。2016年8月の台風の影響で列車の運行はストップしてしまったが、駅舎や駅前のロケセットは健在。駅舎の一角には、小道具や衣装、ポスター、スチール写真等の展示品が飾られ、多くのファンが訪れる場所となっているという。

 そんな“聖地”を20年にわたり大切に保存している南富良野町の人々への感謝を込め、同上映会の入場料金の一部は、ロケセットの維持費として寄付されることになっている。
 
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そのほとんどの場面を覚えている『鉄道員』。でも、また観てみます。泣くのは、必至なのですが。
 
高倉健さんに、合掌。

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