タツノヒノエ

神仏への道-神社仏閣巡りから、古代の神々との出会い

真言僧の僧侶養成機関・・・

2022-07-31 18:16:21 | 神社仏閣 神仏 御神霊 ウカノミタマ女神 ニギハヤヒノミコト 

書くネタが無くなってきたので、

菩提寺さんに教えてもらったことを書きます。

今は、古義真言宗も新義真言宗も、それぞれの拠点となる大寺院で専門の道場があるそうです。

ちょっと前までは、和歌山県の高野山が、古義真言宗では、密教僧の養成のための専門道場だったみたいです。

「卒業式で、管長からのお話を全員で聞くのですが、六時間正座してました」

これは、高野山ではなく、御室 (おむろ・・・真言宗御室派総本山・仁和寺) で得度した僧侶から聞いた話です。(私なら、六時間も正座させられるのなら、トンズラしますが)

高野山では、

今でも3つの研修道場があり、「専修学院」「高野山大学 (密教学科) 」「真別処 (円通律寺) 」があります。

ほぼ、お寺生まれの人は、

「専修学院」で修行するとか。

加行 (けぎょう) と言う、絶対通らないといけないカリキュラムの研修では、

加行中は、外界とは行事で外に出るとき以外は、一切遮断されるのだとか。

100日とか、50日50日とか、上三つのコースによって違いはあるのか知りませんが、「携帯の電池を取って渡して加行に入る」と言ってました。テレビも加行中は観れないとか。

昔、岡山の真言宗寺院で聞いたのですが、

「男ばかりのところで、加行中は外界とも接する機会がないため、すごい殺伐とした雰囲気にはなりました」と言ってました。

「卒業写真を見ると、とんがった目をした自分の姿がありました (笑) 」と言ってました。

加行中かどうかはわかりませんが、

厳格なルールがある中で、

「外でこっそり遊んで来た生徒は、寮監にバレて追い出されるケースもありました」とか。

「バレるんですか?」と聞くと、

「(寮監には) 匂いでわかるみたいです」と。

「追い出されたら、行には戻れないです」とも言ってました。

私は、真言宗の檀信徒とは言え、

「供養法」にしろ、「護摩作法」にしろ、「開眼作法」にしろ、密教の作法には

覚えることが、ものすごく多いので、よく覚えられるな~と、毎度感心します。

ただ・・・ある寺院の護摩供で・・・役僧さんが、

「大金剛輪陀羅尼」(だいこんごうりんだらに・・・智山派では、だいこんごうりんたらんじ~と発音してます)

を、間違えて唱えていました。

そろそろ・・・書くネタがつきかけてしまいました。

幽霊話なら、いくらでも実体験しているので書けますが、それ書いたら読者の方が怖がるから・・・書かないようにします。ただ、芸能人のオカルト話なんて、嘘八百ですよ。

ではまた。

・・・・・

 

 

 


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高野山「覚海僧正」天狗伝説・・・

2022-07-31 17:54:36 | 神社仏閣 神仏 御神霊 ウカノミタマ女神 ニギハヤヒノミコト 

菩提寺さんから教えてもらいました。

高野山にも、天狗伝説があるとは前述しています。

最強の護法天狗「高林坊」は、高野明神の化身ではないかと言われ、

他にも、覚海僧正。

金剛三昧院の、毘張尊師 (びちょうそんじ) 。

中でも、「覚海僧正」。

ウィキより、

覚海(かくかい、康治元年(1142年)- 貞応2年8月17日1223年9月13日))は、平安時代後期から鎌倉時代前期にかけての真言宗。房号は南勝房または南証房。和泉法橋とも称される。但馬国養父郡の出身。

醍醐寺定海のもとで出家して灌頂も受けたが、師定海の没後は故郷但馬国にもどり与光寺に住した。その後、高野山に上り寛秀に師事して灌頂を受け、華王院を開創して講学につとめた。この間、山城国随心院親巌近江国石山寺朗澄からも灌頂を受けた。1217年建保5年)高野山検校に任じられ、金峰山との堺相論に奔走した。

仏法の護持のため天狗(狗名:横川覚海坊)になり、中門の扉を翼にして天に飛び去ったという伝説が高野山内に残っている。この伝説を基に、谷崎潤一郎が『覚海上人天狗になる事』という短編を執筆した。また、高野豆腐の由来を覚海に求める伝承も存在するが、確証は無い」

ご宝号は、

「南無満山護法善神」(なむまんざんごほうぜんじん)

前述してますように、「天狗」さんの御神霊は、見たことがありません。

ただ、霊山や霊地、神仏習合の「気」が強い寺社・・・特に密教系寺院では、「天狗さんの神気」は、「びしびし」感じます。

①「力強い神気」②「怖い気」③「ヤバい気」いずれも感じました。

②と③、場所も覚えていますが、差しさわりがあるため記すことはできません。

③は、神像・仏像ともに、「違うモノが入っている」と、すぐわかりました。

相当ヤバイ感じでした。近くの御堂に、「ほんわり」した神気が出ている御堂があったので、某大寺院でそのことを告げると、

「ああ、そこはうちや。(ほんわりした、神気の出ている御堂) 」とのこと。

で、その近くにある、ヤバイ気が出ているお堂や像のことを聞くと、

「あそこが、前話した、わしらお寺仲間の間でも、あそこはヤバイぞと言うてるとこや」と。

私はカンがある方なので、一発でわかります。

「良いところ」「ヤバいところ」「普通のところ」と、わかります。

天狗さんには、神仏に仕える・護る「護法天狗」さんと、

人々に障りを成す「外法天狗」さんとあります。

どちらでもない、天狗さんもいるかも知れませんが、

「護法さん」は、頼もしい。少々荒っぽいけど頼もしい。

「外法さん」は、近寄らない方がいいです。

高野山の「覚海僧正」は護法さんです。

護法さんたち、大小の天狗を従えるのが、

奈良県吉野の「蔵王権現」(日本独自の仏神ですが、古代日本の「神」です) さんです。

最強で、別格の「天狗さん」は、

法起坊です。「役行者 (えんのぎょうじゃ) 」のことだといいます

「蔵王権現」は、大小天狗を従える「神 (仏神) 」。最強別格の大天狗は、「役行者 (役小角) 」。この、日本最強の神仏が、ふたたび相まみえることがあれば、日本は輝きを取り戻すかも知れませんね。(役行者は、唐に飛んで行ったと言うことになっています)

蔵王権現・・・おん ばさら くしゃ あらんじゃ うん そわか。

役行者・・・南無神変大菩薩なむ じんべん だいぼさつ

(蔵王権現と、役行者については前述してますので、よければ読んでみてください)

ではまた。

・・・・・


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街角ピアノ 弘前・・・

2022-07-31 08:04:27 | 神社仏閣 神仏 御神霊 ウカノミタマ女神 ニギハヤヒノミコト 

おはようございます (◎_◎;)

先ほど、BSのNHKで「街角ピアノ」観てました。

一番うまい人が・・・

「一番観客が」少なかった (◎_◎;)

・・・東北は「秋田美人」が有名でありますが、

「出雲」から遠く離れた、「東北」地方・・・

よく、「そば」「ずーずー弁」と、

古代出雲族のつながりが言われます。

古代大和朝廷は、

九州の、邪馬台国 (日向・・・天津神) が、

大和入りして、建国し、

古代出雲族も、大和朝廷と深いつながりを持った傍ら、

一部は大和と対立し、

北へ北へと移住していった「説」もあります。

私が2018年、関西の真言宗寺院で拝謁した、生の御神霊、「ウカノミタマ女神 (ミカシキヤヒメ) 」と「ニギハヤヒノミコト」は、

何度も記述したように、「出雲」「天津神」両方の説がある中、

私が拝謁した御姿は、

「北部九州」の「天津神」(天孫族) の御姿でした。

一重切れ長の美しい瞳だけでなく、

お顔の輪郭が、なめらかで、きれいなお顔立ちでした。

今の九州人は、人の移動が関係し、少し変わったかも知れませんが、40年くらい前は、「一重切れ長」の美人さんは、たまにいました。

出雲・東北美人は、

少しお顔立ちが違うように私には見えます。

いずれにしろ、大阪の石切神社の「祈りの詞」には、

「天津神ー国津神ー」とありますので、

事実上、天津神と国津神を統一した神 (ニギハヤヒノミコト) であることに間違いはないのでしょう。

原田常治 著「古代日本正史」では、

出雲王「スサノオ」が、オオドシ (ニギハヤヒノミコト) と共に、九州の邪馬台国を攻め落として統一、ヒミコを現地妻にして、オオドシを大和に派遣して大和王朝が成立したとなっていますが、

最近の私は、順序が逆かなと思うようになりました。

スサノオの一族も、元が九州で、そして、古代出雲を統一し、

大和入りしたニギハヤヒノミコトが王となった。

ミカシキヤヒメのトミ (トビ) 一族も、

河内じゃなく、九州にあったのではないかと思うようになりました。

ですから、河内・大和で結婚したのではなく、もともと九州で結婚していたのかなと。

(邪馬台国は、九州説 のまま変わらずです。大和説は無理ありすぎ)

あくまで私論です。

・・・・・


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