タツノヒノエ

神仏への道-神社仏閣巡りから、古代の神々との出会い

普賢延命菩薩 (ふげんえんめいぼさつ) ・・・

2022-07-10 16:43:29 | 神社仏閣 神仏 御神霊 ウカノミタマ女神 ニギハヤヒノミコト 

釈迦三尊・・・一般的には、「釈迦如来」を中心に、両脇侍が、「文殊菩薩 (もんじゅぼさつ) 」「普賢菩薩 (ふげんぼさつ) 」が多いです。

その「普賢菩薩」には、「普賢延命菩薩」と言う異名もあります。

ウィキより、画像もウィキより、

普賢延命菩薩(ふげんえんめいぼさつ、Vajrāmoghasamayasattva [1])は、仏教における信仰対象である菩薩の一つ。普賢菩薩の持つ「延命」の功徳を、密教において一つの尊格として崇拝したもの[2]種子はヨク(युः 、yuḥ)」

密教経典の「金剛寿命陀羅尼経 (こんごうじゅみょうだらにきょう) 」には、普賢延命菩薩の絵が載っている経本もあり、(どの経本にも載っているわけではない) 

「無数のゾウの上に、巨大な四頭の巨ゾウが描かれ、その巨ゾウの上に大きな四天王が乗り、その上に、超・巨大な、普賢延命菩薩が描かれています。たくさんの手には、様々な武器・法具を持っています」。

ウィキより、「大安楽不空真実菩薩は悟りを生み出す智慧を持つとされ、この菩薩が制定した禅定に入れば時の限界を超越した安楽な命が生成されるとされることから「普賢延命」と呼ばれるようになった[4]

普賢延命菩薩は、普賢菩薩釈迦如来の脇侍であり、独尊としても祀られる)から派生した密教系の菩薩像であり、除災、長寿などを祈念する修法「普賢延命法」の本尊として造像される。

現世利益の菩薩と解釈された普賢延命菩薩は、10世紀から11世紀にかけて日本の宮廷社会で盛んに信仰された。 奈良県五條市常覚寺は普賢延命菩薩を本尊とする寺院であり、現在このような例はきわめて稀少である

真言 オン・バザラユセイ・ソワカ (Oṃ vajrāyuṣe svāhā) 」

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四国88ヶ所遍路34・・・

2022-07-10 07:56:31 | 神社仏閣 神仏 御神霊 ウカノミタマ女神 ニギハヤヒノミコト 

第六十二番「吉祥寺」・・・何度もお参りしています。石鎚山に行くときは、愛媛の札所はよく立ち寄っていました。

四国霊場で唯一、毘沙門天王さんが御本尊の札所です。

境内に、毘沙門天王さんのお妃、「吉祥天さん」がお祀りされていて、御尊像の下をくぐれるようになっています。毎回くぐっていました。

もう随分、御無沙汰してるので、なつかしいです。

ウィキより、伽藍画像もウィキより、

吉祥寺(きちじょうじ)は、愛媛県西条市にある真言宗東寺派寺院である。密教山(みっきょうざん)、胎蔵院(たいぞういん)と号し、四国八十八箇所霊場の第六十三番札所である。本尊毘沙門天(当寺では「毘沙聞天」と表記)。毘沙門天を本尊とするのは、四国八十八箇所では本寺のみである。

本尊真言:おん べいしら まんだや そわか

ご詠歌:身の中(うち)の悪(あ)しき悲報を打ちすてて みな吉祥(きちじょう)を 望み祈れよ

納経印:当寺本尊(四国八十八箇所63番、四国(東予)七福神)}

吉祥寺 本堂

第六十四番「前神寺」・・・何度もお参りしています。「お四国霊場」と言うより、やはり「石鎚山信仰」の雰囲気の方が、若干強く感じます。

「石鎚大権現」の「神気」が強く感じられます。

前神寺(まえがみじ)は、愛媛県西条市洲之内にある真言宗石鈇派総本山の寺院。石鈇山(いしづちさん)、金色院(こんじきいん)本尊は阿弥陀如来四国八十八箇所霊場の第六十四番札所日本七霊山の1つ、霊峰石鎚山 (1982m) の麓に位置する。

ご本尊真言:おん あみりた ていぜい からうん

ご詠歌:前は神後(うしろ)は仏(ほとけ)極楽の よろずの罪をくだくいしづち

納経印:当寺本尊、奥前神寺石鈇山蔵王大権現、四国(東予)七福神・寿老人

西日本最高峰石鎚山の7合目標高1400mにあり、発祥より千年法灯を守ってきた山岳寺院であったが、江戸時代以降の変遷により、麓の西田(標高50m付近)に本拠を移すも、その後の神仏分離令により廃寺の憂き目に遭あったが苦難の末再興し現在の隆盛に繋げている。本堂前での柴燈護摩は節分・お山開き開闢・閉闢の年三回あり、さらにお山開き開闢時には石鎚登山ロープウェイ下谷駅前でも行なわれる。

明治初年の神仏分離令により神仏混淆を禁止し権現号菩薩号が廃止、廃寺となり明治22年(1889年)前神寺の旧称に復した。奥前神寺は、今宮道の最終地点に再興され、さらに石鎚登山ロープウェイの開通(1969年開業)の翌年に山上駅の上の現在地に移転される。 昭和22年(1947年)御室派から独立、真言宗石鈇派の総本山となった。 その後、本堂は本尊とともに火災で焼失、昭和47年(1972年)本堂は再建され、本尊も新造された。その本尊は古来より秘仏」

仏教系新聞の地人記者から、石鎚山信仰の流れは、「石鎚神社」「前神寺」「極楽寺」とあり、「横峰寺」は、お四国札所の方で落ち着いているような話を聞いたことがあります。

前神寺 本堂権現堂は本堂の上大師堂

今、庭から、ニイニイゼミの「にーっ」と言う鳴き声が聞こえていました。

ではまた。

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