第六十番「横峰寺」・・・何度かお参りしています。
歩き遍路泣かせです。
私はマイカー遍路でしたので大丈夫でした。
霊山・石鎚山信仰の一つの拠点だったと聞きます。
やはり、境内は「お四国の霊場」と言うより、「石鎚山系の霊地」と言う雰囲気です。
ウィキより、伽藍画像もウィキより、
「横峰寺(よこみねじ)は、愛媛県西条市小松町にある真言宗御室派の寺院。山号は石鈇山(いしづちざん)、院号は福智院(ふくちいん)と号す。本尊は大日如来で、四国八十八箇所60番札所、石鎚山の西遥拝所。
本尊真言:おん あびらうんけん ばざらだどばん
ご詠歌:たて横に峰や山辺(やまべ)に寺建てて あまねく人を救ふものかな
納経印:当寺本尊、奥の院 星ヶ森・石鈇大権現、四国 (東予) 七福神・大黒天
標高745m付近にあり伊予国では最高所で関所寺[1]、八十八箇所の中で雲辺寺に次いで2番目(本堂の位置で比較)の高さ。本堂の本尊は金剛界大日如来坐像、向って右脇仏は石仙菩薩(しゃくせんぼさつ)、同左脇仏は蔵王権現で、いずれも秘仏であるが、脇陣に安置される右大臣と左大臣像が拝観できる。明治の神仏分離以前は蔵王権現を祀り、その後一時期は石鎚神社の横峰社となった名残りで、本堂の前には一対の狛犬がいる。
湯波と虎杖と白滝の三カ所のいずれかからの険しい遍路道を登るしか行きつけなかったため、麓に前札所のある三つの札所[2]の一つであったが、1984年(昭和59年)当寺より約1.5kmの所まで林道が開通し、あと約30分緩やかな道を歩くのみとなった。その後、さらに林道は伸びて今では約0.5km歩くだけになっている[3]。
四国八十八景63番に「霊峰石鎚の真正面~史跡横峰寺道から名勝星ヶ森へ~」で選定されている。
明治初年の神仏分離令によって、当寺は廃寺となり石鎚神社(当時は石鉄神社)の西遥拝所横峰社となることとなった。神社とされた境内には仏教の物は排除されたので、本尊の大日如来像などは、仁王門から少し下がったとこから入った所に堂が建てられ納められ、横峰寺の名でははばかれるので、横峰寺が「おうみねじ」と読めることから同じ音である大峰寺と名付られた。そして、60番札所は麓の清楽寺に移され、230余戸の檀家は香園寺へと移された。明治8年(1875年)に正式に廃寺となる。しかし、明治10年には遠くて祭祀に支障が出ているとのことで檀家総代より横峰寺の再建願いが出され、明治13年(1880年)にようやく檀信徒の協力により大峰寺の名前で復興し、1885年(明治18年)には札所が返納される[10]。そして、1909年(明治42年)に元の横峰寺の名に戻される」
今日は、自宅の「羽虫のコッチ」も久しぶりに姿を現しました。
コッチ用に置いている、ペルー産半切りミカンそばに佇んでいました。
会社のコッチは今日は見かけませんでした。
色々な羽虫がいる中、コッチは、ホバリングみたいに空中で静止することもできますし、「く~るく~る」と舞いながら近づいてきて、一瞬で「しゅんっ」と飛び去ることもできます。また、コッチとは別種の「小コッチ (2ミリくらい) 」と私が呼ぶ羽虫がトイレの水道の上に留まっていて、流した直後気づき、私が手でかばったのですが、流れ出る水量に流されそうになりましたが、回りながら飛び、水のない所に着地し難を逃れていました。その後、ティッシュにつかまらせ、外に逃がしました。
ではまた。
・・・・・