タツノヒノエ

神仏への道-神社仏閣巡りから、古代の神々との出会い

番外編②「土佐神社」「大山祇神社」「王至森寺」・・・

2022-07-19 17:09:13 | 神社仏閣 神仏 御神霊 ウカノミタマ女神 ニギハヤヒノミコト 

南ヨーロッパの山火事、消えるどころか拡大しています (◎_◎;)

ロシア vs  ウクライナ どちらも相手の兵器庫を、多大な火力使って攻撃し、命中した兵器庫が爆発するので、

「ど・ものすごく環境に悪い」です。

ロシアの場合は、70%が民間施設に命中。 ロシアは軍事拠点しか狙っていないと主張するので、それが真実ならば・・・

ロシア製のミサイルは、「命中率が3割」と言うことですネ (◎_◎;) 

・・・四国88ヶ所遍奉納経帳には何ページか、白紙があり、お四国霊場以外の御朱印をいただいておりますので、紹介します。②

〇「土佐神社」・・・平成14年1月26日に御朱印いただいております。

四国88ヶ所三十番「善楽寺」が、昔は土佐神社の別当寺でした。

御祭神の、アジスキタカヒコネノカミは、ヤタガラス「タケツヌミノミコト」と同一神と言う「説」もあります。諸説ありますが、京都市の「下鴨神社」の崇敬会員である私は、「少し違う感じ」を受けました。あくまで私論です。

ただ、土佐神社・・・いかにも、ご神域と言う感じで「威厳」がありますよ。

ウィキより、伽藍画像もウィキより、

土佐神社(とさじんじゃ)は、高知県高知市一宮(いっく)しなねにある神社式内社(大社)、土佐国一宮旧社格国幣中社で、現在は神社本庁別表神社

祭神は次の2柱[3]

  • 味鋤高彦根神(あじすきたかひこねのかみ)
    神名を『古事記』では「阿遅鉏高日子根神」、『日本書紀』では「味耜高彦根神」とする。特に『古事記』では大国主命多紀理毘賣命の間の子とし、別称を「迦毛大御神(かものおおみかみ)」とする[2]都佐国造の祖神とされる[4]
  • 一言主神(ひとことぬしのかみ)
    神名を『古事記』では「葛城之一言主大神」、『日本書紀』では「一事主神」とする。両書でいずれも雄略天皇段に登場する神で、特に『古事記』では悪事・善事も一言で言い放つ託宣の神とするが、系譜は不詳。
    この一言主神は大和葛城地方(現・奈良県御所市周辺)において巫覡を事とした集団に関わる神といわれ、事代主命と同神とする説もある[1]。なお『先代旧事本紀』では、素戔烏尊の子とする[2]

中世における祭神の本地仏阿弥陀如来[5]。後述のように、古くから祭神として味鋤高彦根説・一言主説が存在するが、現在は上記のように両説を採り祭神2柱としている。

〇「別宮大山祇神社」・・・愛媛県今治市の別宮さんの方です。

平成13年5月13日に御朱印いただいております。四国88ヶ所55番「南光坊」の隣。

たった今、「ぴいー」「ぴいー」と、トンビの甘え鳴きが聞こえたので見ると、後ろに「ニュー」「エビ尾」か「エビ姫」が佇み、そして、別のトンビ二羽が舞い、ツバメたちが合流してました。

阿奈波神社清高稲荷神社荒神社

別宮大山祇神社(べっくおおやまづみじんじゃ)は、愛媛県今治市にある神社伊予国一宮大山祇神社の別宮。旧社格県社新四国曼荼羅霊場40番札所。

今治市中心部、国道317号に面して鎮座する。本宮である瀬戸内海大三島に鎮座する日本総鎮守・大山祇神社の別宮である。

往時には本宮と並ぶほどの威容を誇っていたと伝えられている[1]戦国時代造営の拝殿は、愛媛県の有形文化財に指定されている。

天正の兵火による災禍以降は、四国八十八箇所の札所である当社の別当寺として南光坊が納経を担当し、その時の納経帳には「日本總鎮守 大山積大明神 別當南光坊」[2]と書かれていた。しかし、明治初年に神仏分離で南光坊と分かれ札所も移ったが、現在でも境内は隣接しており、当社と南光坊の両所参りは習わしである」

〇「王至森寺」・・・新四国曼荼羅霊場の札所です。Ozimorizi0ɨ.jpg大師堂法性権現本殿と拝殿

王至森寺(おしもりじ)は、愛媛県西条市にある真言宗御室派の寺院。山号と院号は法性山多聞院、本尊は大日如来新四国曼荼羅霊場の第三十一番札所である。

御詠歌:ありがたや たつあらなみを しづめつつ み船導く 森のともしび」

・・・確か、お勤めの帰りか行く前かに住職が、御朱印してくれた記憶があります。

親切な住職でした。

ではまた。

・・・・・


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