第五十五番「南光坊」・・・何度もお参りしています。
毘沙門天王像に関する何かを勧進されていたので二度くらい寄付した記憶があります。
隣に、高野山今治別院と、別宮大山祇神社があります。別宮さんは、「神気が、ほとばしっている」と言うより、「神気が内に籠っている」感じを受けました。
ウィキより、伽藍画像もウィキより、
「南光坊(なんこうぼう)は、愛媛県今治市別宮町にある真言宗御室派の寺院。四国八十八箇所第55番札所であり、本尊は大通智勝如来(だいつうちしょうにょらい)で、同霊場で唯一[1][2]。
本尊ご真言:『おん あびらうんけん ばざら だどばん (なむ だいつうちしょうぶつ)』
ご詠歌:このところ三島に夢のさめぬれば 別宮(べつぐう)とても同じ垂迹(すいじゃく)
明治初頭、神仏分離令にしたがう形で、大山積神の本地仏として別宮の本殿に奉安してあった本地大通智勝如来(だいつうちしょうにょらい)および二脇士と十六王子が南光坊の薬師堂に移され、55番札所の本尊は、大山積神(大山積大明神)から大通智勝如来となり、当寺は別宮から札所を受け継ぎ分離独立した。また、本式は遍路なれば大三島へ渡る[4]とされていたが、四国八十八ヶ所の札所は全て寺院のみとなったので四国八十八ヶ所巡拝として大三島に渡る遍路はいなくなった。なお、大三島の本宮の本地大通智勝如来は東円坊に移され現存しているのでそちらへの参拝はできる。
第二次世界大戦では激しい空襲(今治空襲)に晒され、昭和20年(1945年)8月、金毘羅堂と大師堂以外の本堂・本尊・庫裡什物等伽藍の多くを焼失した。
大師堂:本尊は弘法大師像。第二次世界大戦時の空襲での戦禍を免れた。伝えられるところによれば、数多の焼夷弾が境内に落とされたが、そのいずれもがこの堂の屋根を滑り落ち、堂内にいた避難者の全員が無事であったという。」
今日は、大きなクロアゲハが現れました。庭に水撒いていると、蜂さんも寄ってきました。会社では、羽虫のコッチがペルー産半切りミカンを食べていました。
トンビのニューと相方のエビ姫、ニュニュ、ハシブトガラスのリキたち、ハシボソガラスのテツ、あー太郎、コテツ、ヒヨドリのヒヨ、ウグイス、スズメ軍団、ツバメ軍団、ホトトギス、メジロちゃんもなんとか暑い中、元気でした。
外の羽虫のコッチも朝夕は姿を見せます。ユスリカたちは、車のドア開けると必ず嬉々として入ってきますので、手であおいで外に逃がします。
アマガエルは、夜になると元気出ます。
暑さにやられたのか・・・うちの仏間の外で、甲虫が亡くなっていました。素人の簡易回向をしました。
ではまた。
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