続・トコモカリス無法地帯

うんざりするほど長文です。

映画感想「女神の継承」

2023-06-11 01:32:34 | 映画の感想

去年の2022年の8月3日に映画を観ていたことを思い出しました。ちょうどその頃はじめっと湿度の高いアジアンホラー映画を観たい気分でした。そいで近所で上映中だったのが「女神の継承」です。タイトルだけだと女神の地位や能力を受け継ぐ中二病的な雰囲気ですが、実物はそんなファンタジー色ありません。タイを舞台にしたモキュメンタリー・ホラー映画です。モキュメンタリーてのはドキュメンタリー風演出した造り物のことね。あくまで、本当にあった〇〇な話テイストで話が進むし、撮影スタッフも予定外のアクシデントに巻き込まれて撮っている設定なので、状況を的確に解説してくれる役割のキャラがいません。ただ起こった出来事を記録映像に残したという体裁なので、鑑賞後も「結局あれはどういうことだったんだ」といくつも、不明点が残り、観客ごとに解釈が分かれる内容です。そのため自分なりにネタバレ全開のつもりで感想を書きますけど、その解釈が正しいのか全く自信はありません。

 

1.これエクソシストじゃん

タイの地方都市では「バヤン」というローカルな女神様が信仰されていました。タイの習俗を取材に来ていたドキュメンタリー撮影チームが、バヤンの力を得ているらしい祈祷師ニムさんにインタビューしていますが、彼女はそんな大したことするわけじゃないと淡々とした答え。実際ちょっとした困り事に占いで答えたりするくらいの様子です。

見るからに只者ではない雰囲気をまとう祈祷師イムさん。

その頃、イムさんの姪のミンさんが体調不良で困っていました。月経が止まらないとか、泥酔して職場で寝たりとか、子供を押しのけて幼児スペースで遊んでいたりとか、本人に自覚の無い行動が、友人のスマホ動画や監視カメラに残っています。最初は周囲の親族もこれは「女神の継承」と考えていました。イムさんの家系は代々バヤンの祈祷師で、その力を得る時に体調不良を起こすそうで。でもミンさんが次の祈祷師を受け継ぐのを周囲は歓迎してない様子。本来なら現在の祈祷師はイムさんではなく、姉のノイさんがなるハズでしたが、本人が嫌がりキリスト教に改宗、それで妹のイムさんが代わりに祈祷師を受け継いだ経過がありました。こういうバヤンに非協力的な環境が後々ジワジワ効いて来ます。

まだまともだった頃のミンさん。後々でヒドい人相へ変貌していきます。

一方でミンさんの体調不良や不審な行動は、どんどん悪化していきました。本人の自覚無いまま、幼児退行・泥酔・男とっかえひっかえで職場でセックス、まるで何かに取り憑かれているような酷い行動があちこちで目撃されています。

これはおかしい、バヤンの力を受け継ぐにしては素行が悪すぎる、違うものが取り次いてるんじゃないかと、ニムさんが悪魔祓いを始めます。悪魔祓いだけではなく原因は何かあれこれ情報探索も進めます。最近死んだミンの兄マックが祟ってるのでは……違うらしい。ニムさんは怪しげな儀式を続けながら、謎を解いていきます。ただ、ここまで観てた時点での感想は「これ舞台をタイに置き換えただけのエクソシストじゃん」でした。悪魔に取り憑かれた少女と、頼られた祈祷師が頑張る話。今ごろになって焼き直す内容だろうか。

 


2.絶望的な負けフラグ

ミンの具合は悪化の一途を辿ります。そして失踪してしまいました。そんな最中に女神バヤン像の首が折られる大事件が起きました。イムさん大号泣。精神的に弱ったのか、イムさんは、知り合いの祈祷師サンティに助力をお願いしました。サンティは派手な演出過多の胡散臭い祈祷師ですが、実力は本物だそうで。タッグを組んで悪魔祓いに挑むらしいです。このへんもエクソシストじゃんと思ったのさ。あれも敵が手強いからカラス神父とメリン神父が組むじゃない。

一方で失踪していたミンは発見されて以降、完全に正気を失っており危険人物と化していました。部屋に閉じ込めて監視カメラで撮られた映像では、もはや狂人どころか妖怪のような不気味な動きを繰り返しています。ここは映画「パラノーマル・アクティビティ」で効果的だった定点カメラで観測する手法が、非常に効果的に働いています。民家内に得体の知れない者を閉じ込めておけるのか、得体の知れない者が何をやらかすのか、薄気味悪い記録画像を見せられている感じが楽しいです。実際、室内に閉じ込められているミンはろくなことしません。可愛がっていた飼い犬を鍋で煮たりな。

それで一刻も早く、サンティとニムの祈祷師タッグチームで2倍力悪魔祓いを始めて欲しいところですが、恐怖の負けフラグ発生。

ニムさんが死にました。
ニムさんは自宅のベッドで冷たくなっていました。

え、どうすんの?ここまで一応の仮説を立て解説役を努めつつ、悪魔祓いも進めていたニムさんが途中退場したら、以降は誰が解説してくれるの?何もわからないまま悪魔に取り憑かれたミンに振り回されて、映画がお終いになっちまうよ。いや、もう既にストーリーが破綻している。主体的に行動する主人公が早々に退場したのに、交代する新主人公を担える人材がいません。より悪化していく状況に流されていく哀れな犠牲者達を、眺めていることしか出来ないのでは?

残された登場人物を整理します。
ミン:悪魔に取り憑かれた女性。現在は災いを振りまく女妖怪と化している。
ノイ:ミンの母親。女神バヤンを嫌ってキリスト教徒になった。凡人。
マニット:ニムとノイの兄。面倒見は良いが凡人。
サンティ:ニムに助力を頼まれた祈祷師。弟子が何人もおり実力は高いらしい。

左から、伯父のマニット、悪魔に憑依された女ミン、母親のノイ。

もうサンティおじさんしか頼りに出来ません。おじさん、これどうすればいいんですか?
曰く、ミンには父方親類が代々悪事をやらかしており、被害者達が大量の悪霊となってミンに取り憑いているそうです。
この映画がモキュメンタリーじゃなければ、家系にまつわる忌まわしい因縁を描く脚本もあったのでしょうが、これは取材してたらたまたま悪魔憑き女が撮れただけの話なので、サンティさんの解説もイマイチしっくりきません。その唐突感も含めてモキュメンタリーのリアリティ演出なんだろうけど。

 


3.これエクソシストじゃないじゃん

完全にオカルト怪人と化したミンへ、サンティが悪魔祓いを始めます。ただここから後の細かい内容記述はしません。じっくり時間をかけて狂気に囚われていくミンの過程を描いたの対して、ぽっと出のサンティおじさんが対抗できるのか。できるわけありません。

一度はバヤンを拒絶したノイおばさんが娘のため、依代になる決心をしましたが無駄でした。兄のマニットはミンに嫁と子供を殺され、自分も死にました。サンティおじさんの悪魔祓いは通用しませんでした。弟子達もみな死にました。ノイおばさんもミンに焼き殺されてしまい、ミンに取り憑いた悪魔か悪霊かわからない者が完全勝利です。キリスト教圏以外ではエクソシストは通用せず、立ち向かった者達は皆殺しにされました。これはエクソシストじゃないな。エクソシストみたいな救いは無い。信仰心も親子愛も無力でした。

なんだこれ、これで終わりかよ。
気分がどんよりしたところで、映画にもう1場面差し込まれます。
生前のイムさんへのインタビュー場面。時系列的には亡くなる直前でしょうか。
イムさんが「自分の中にバヤンを感じたことなど無い」と泣いています。

え、女神バヤンの存在が揺らぐと、この映画の解釈があれこれ崩れてしまうのですが。

呆然としたままエンディング・スタッフロールを眺めながら、頭が混乱したまま映画を観終えました。

この映画で明確な事実として残るのは、ミンが超常的な邪悪存在に憑依されていたこと、それだけです。
バヤンの祈祷師だった筈のニムがバヤンの力を感じていなかったのなら、ニムの祈祷師能力は何を由来にしていたのか。
そもそもバヤンの力は存在したのか、継承されていたのかすら怪しくなる。
この映画では明らかに画面内で超常現象を描いているのに、現世と超常世界を橋渡し解説する霊能者が途中退場してしまうため、後半は眼前にひたすら不条理な惨劇が映されるのに、解釈をこじつける因果関係も曖昧なまま放り出されます。自分がその場に居合わせたらどうすれば良かったのか、まったくヒントを与えてくれません。
ただ人外の目に見えない存在がいることだけを伝えて終わりです。映画の始めにタイには精霊(ピー)がたくさんいるとナレーションがあり、その精霊の扱いをミスした顛末がこの結果と解釈しました。劇中でサンティが強力な悪霊の集合体とも言ってましたが、ボロ負けしてるので相手の正体を見抜いていたとは考えにくく、その見立ても違ってたのではと疑っています。
こうした「最後に前提条件を崩す」構成のため、正しい解釈を決めることが出来ません。ぶっちゃけ、お前が思うならそうなんだろうな、お前の中では。しかありません。


映画感想「シン・仮面ライダー」

2023-06-04 00:48:01 | 映画の感想

少し前に「シン・仮面ライダー」を観てきました。公開封切直後にはSNSでは微妙な煮えきらない反応でした。ネタバレを見ないように注意しながらも、聞こえてきたのは観た人によって0点か100点にクッキリ評価が分かれる内容とのこと。正直、自分はたいして仮面ライダーへ興味もないし、怪人フィギュアを発売する口実の宣伝番組くらいにしか考えていません。なので初代・仮面ライダーにも思い入れないし、そもそもロクに見たこともない。今回も幼い頃に見た仮面ライダーにもう一度会える、なんて期待はゼロで、昭和のライダーをどうアレンジするのか変更具合のほうに興味がありました。


1.これは正義と怒りの物語ではない

昭和特撮ではヒーローの「許さん!」という物言いか多かった気がします。あれ子供ながらに苦手なセリフで、改造人間や超能力でものすごい暴力性能持った人が他人を「許さん」と断ずるのすげー傲慢だなと思ってました。今作では敵も味方も「許さん」動機で動いてる登場人物はいません。主成分は哀しみや目標と手段の噛み合わない救済意識のすれ違いです。
主人公の本郷猛もTV版とは全く別人で、体力知力ともに高スペックなのにコミュ障ゆえ無職引きこもりという、いかにも現代的な人物設定に変更されています。劇中の彼は終始自信なさげな曇り顔で、感情をあまり表に出しません。他人へ感情を向けるのすら憚るような、実に気の弱い繊細な人物として描かれています。とてもじゃないが昭和調に「許さん!」などと吠えることなど出来そうになく、実際に彼は戦闘員をブチ殺しまくった後に動揺するし、最後まで「正義」も口にしません。昭和に産まれた子供達は、その後に「失われた30年」を生きてきたため、実感として「悪を許さない正義」など信じていません。なんなら自分達が散々に「許さん」と叩かれ責められた側です。ここに50年前の本郷猛がそのまま現れても、時代錯誤の生きた化石にしか見えないでしょう。だから自分達と同じ30年を生きた人間が仮面ライダーになったなら、今作のような頼りない人物になるのも当然だと思います。ただし、外見が頼りないから中身もひ弱とはならず、強力な力を得てもそれに溺れずに自制でき、危険な場面でも打って出る胆力もあり、やはり仮面ライダーにふさわしい強メンタルはそこかしこで伺えます。

今作が旧TV版と最も異なるのはショッカーの性質です。旧TV版では安直に「世界征服を企む悪の秘密結社」でした。あれから50年経ち、子供たちはとうに大人となり、世界征服などまったく割にあわないことを理解できています。独裁権力者が強権的に財産を収奪してもすぐに枯渇します。征服した世界を支配する組織にも運営・経営コストがかかります。世界征服=世界全部が自分の物=世界全部の世話をする、です。だから汚れた大人になると昭和の「世界征服の野望」が雑なお題目であり、リアリティのない組織だったことに気づくのです。

そこで令和のショッカーは大胆に理念変更しました。活動目的は「絶望を乗り越える力を与える」というもので、運営も高度なAIが行っています。つまり福祉組織なんですね。しかも通常の福祉では救済が届かない、深い絶望を抱える者を救済するため、対象個人に専用化した特殊能力を与えてオーグ(いわゆる怪人)に改造してしまう。その結果、社会不適合を起こしている者が人外の力を、自己の欲求のために振るう事態が頻発することに。
地獄への道は善意で舗装されている、を地で行く組織になっちまいましたね。人間が福祉と行政ではカバーしきれない、実際やろうとしたら担当者の胃にストレスで穴があく理不尽な現代の歪みを、血の通っていないAIでカバーすると、当初の目的に沿いながらも盛大にはみ出した致命的な行き違いが起きた例です。

なので一部怪人を除き、仮面ライダーは「悪を許さぬ正義の怒り」で戦うのではなく、これ以上巻き込まれる犠牲者が出る前に力づくで倒す、お節介な親切心で戦ってます。相手によっては救済の意味もあります。今作の大ボス・蝶オーグも目的は人類の救済だしな。手段は全人類のプラーナ(魂)を集めて一つにするという強引極まる方法だが、それによって争いのない平和な世界が作れると本気で考えているらしいです。それ知ってるよ「人類補完計画」ってんだよ。動機は救済でもすげー迷惑だからやめて欲しい計画です。
この映画は、敵にも味方にも悲しい過去があり、互いに憎くも怒りもないけど戦う事になってしまう、そんなやりきれない物語です。私はこのショッカー新解釈や、現代世相を反映したような人物達の性格描写に納得したし、素晴らしいアレンジだと思いました。大満足です。けれど、昔の仮面ライダーに思い入れ強くて、昭和の劇場版のように怪人軍団と大決戦みたいなアクション要素を期待してた人には刺さらないでしょう。

 


2.命を捧げるに足る主人

今作では本郷猛があまりアクティブに動く主人公ではないため、手綱を握って指導する人物が必要です。それが緑川ルリ子さん。ライダーに改造した緑川博士の娘さんですが、TV版にいたっけ?コミュ障で引きこもりだった本郷猛へ、キビキビと指示を出し「言ったでしょ、私は用意周到なの」と次々に事態を解決していきます。彼女も生身の人間じゃないけど、情報コントロール型の能力なので戦闘は銃火器頼みだし、オーグ達相手の格闘戦は無理なのでそこは仮面ライダーが代わりに戦います。つまり、物語の中盤くらいまで、作戦立案から実践までほぼ全て彼女が担い、生身で捌くには危険過ぎる対オーグ戦だけを仮面ライダーが担当しており、各オーグ殲滅作戦の8割方はルリ子さんの手柄です。本郷猛は普段オロオロしてるんだけど、彼女の言う通りに従っていたらしっかり勝てるので深く信頼してる様子です。


決め台詞「言ったでしょ、私は用意周到なの」は伊達じゃなく、序盤~中盤のルリ子さんは諸葛孔明ばりの天才的作戦参謀で、間違ったことを一つも言いません。観客と本郷猛へ与えられてる情報量がほぼ同じなため、妙に自信なさげにオドオドしている態度も含め、彼への感情移入度が高いほどルリ子さんへの信頼度も急上昇していきます。そのルリ子さんも序盤こそ完璧クールビューティーキャラですが、だんだん普通の女性らしき感情面の揺らぎも現れて来るので、女性的可愛らしさを感じてますます彼女が好きになりました……なんてことはまったくありません。私は序盤の天才作戦参謀時点で好感度がカンストしていたので、以降のルリ子さんが不機嫌になったり嘆いたりといった感情的仕草を完全に他人事として見ていました。
そんな部分が無くても、彼女は完璧です。戦う改造人間として命を捧げるに足る主人です。あなたが戦えと言えば戦います。あなたが引けと言えば撤退します。自爆しろといえば?するだろうさ。賢い彼女が今後の展開を見据えて最善の方法として選んだ策に疑問など持ちません。困難な目的のために最適解を示してくれるリーダーキャラが個人的に大好きです。たぶん私は根深いところがドMで、崇高な目的と高潔な主人に憧れがあるんだよ。そういう高貴なもののために殉ずる美を尊ぶ感性がある。忠犬のように命を賭けてお仕えしたい欲がある。ただし、その対象には徹頭徹尾高貴高潔であることを要求するので、少しでも幻滅すると主人の手を噛み千切るバカ犬だけどな。SMプレイでも言うじゃない。Mの望む通りに責めてあげないと即ハラスメントで訴えられるからSMのSはサービスのSだって。

 


3.あんたが2号で本当に良かった

中盤まで順調にショッカーのオーグ達を倒していく本郷猛とルリ子さんですが、最後に残った蝶オーグは手強いので一筋縄では行きません。一旦出向いたところで登場するバッタオーグ2号。本郷猛に施した改造手術よりも技術が進歩しており、ポーズ取るだけで変身できます。旧1号はベルトに風受けないと変身できないのが不便です。同じバッタオーグ対決はドラゴンボール的に空中でバシバシ叩き合う戦いでした。あれ近隣の建築物を壊さないから周辺環境に優しい戦法なんだとか。ほんとかよ。そして本郷猛の足が折られてしまい勝負あり。2号の勝利です。

でもここでまたルリ子さんがファインプレーを魅せて、2号の洗脳を解きます。
変身前からの言動からも伺えるが、2号の中身は正々堂々フェアプレイを好む性格らしく他オーグ達のような攻撃的な言動もありません。残念ながらルリ子さんの活躍はここまでで、彼女は新型のKK(カメレオン+カマキリ)オーグに殺されてしまいます。そのKKオーグも洗脳の溶けたバッタオーグ2号に即倒されるので仇はすぐ取れるのだが、見ている私の関心はそこじゃありません。この先ルリ子さん無しでどうやって戦えばいいの?正直、本郷猛では今後のショッカーとの戦いを任せるにも余りに不安。主にメンタルや作戦立案能力的な意味で。バッタオーグ2号は単独行動が好みらしくすぐに去ってしまったし。

頼りない先輩ライダーと気ままな後輩ライダー、チームどころかコンビも成り立たないんじゃ、と心配になりました。

杞憂でした。そもそも先輩後輩とか意識する必要もありませんでした。再び大ボス蝶オーグの元へ向かう本郷猛が量産型バッタオーグに苦戦する中、2号が駆けつけてくれます。
量産型は基本能力値は仮面ライダーより低いらしいんだが、人数が多いうえに乗るバイクは同じだしおまけに銃火器を使うので、1人で戦うのキツイんだよね。

そしてバッタオーグ2号こと一文字隼人が、自ら首に赤いマフラーを巻いて仮面ライダー2号になってくれます。出番は後半からだし、過去の掘り下げも無いのだが、一文字隼人にも現代的なアレンジが加わっており、良い意味で彼は後輩ぽくない。普段から自信なさげに見える本郷に対し、一文字は堂々としており思っていることをハッキリ口に出す。しかし口調は常に落ち着いており、激昂したり言葉を荒げる場面は無い。これは一文字隼人という人物が理性的で落ち着いた人格であり、もしかすると本郷よりも年長者の可能性もある。つまり、本郷猛が不向きなリーダーシップを発揮せずとも、一文字隼人が自発的に行動するのに任せて良いわけです。本郷猛だけ見てるとルリ子さん無しで大丈夫かなと心配でしたが、最初から完成された仮面ライダーの一文字隼人が加わるなら、即席ダブルライダーでも十分に能力発揮できるように思えました。
これから大ボスと決戦に行くんだけど大丈夫?心の準備はお済みですか?と思って観ていたけど
「ありがとう一文字くん」
「くんじゃない!ここは呼び捨てだ」
心配要らなかったですね。とっくに覚悟完了してましたね。
あんたが仮面ライダー2号で本当に良かった。

 

では決戦。大ボス蝶オーグがお待ちです。
この仮面ライダー0号こと蝶オーグ、属性盛り過ぎに思えます。名前のイチローは「キカイダー01」の主人公?蝶モチーフの変身は「イナズマン」から?
戦闘開始は互いに生身状態から至近距離に近づいて、変身ポーズを取ってから始まります。1画面に3人が入った状態で3人が同時に変身ポーズを取る、冷静に見れば近すぎ・変身ポーズとか笑いどころになりそうな絵面なのに、私が連想したのは能楽でした。舞台の上で三者三様な舞と仮面。背景がどこか和風かつシンプルなセットだったせいもあると思いますが、50年続いた「仮面ライダー」とはもはや伝統芸能であり、今観ているのはバリバリの様式美の極地に思えました。
そして、古典芸能様式美の変身の舞が終わると、昭和東映TV番組のような殴り合いシーンに突入します。カメラフレーム内で派手に両手両足を振り、右へ左へ飛んで回って走って殴り合う、これも様式美です。

そうこうしてる間に2号の両腕の関節が極められました。外す間もなくへし折られる両腕。マズい、2号はもう戦えない。1号だけで倒せるのか。だが蝶オーグだってボロボロだ、だいぶ弱ってる。そこへ1号が「一文字!」「おう!」
蝶オーグの頭へ2号が渾身のヘッドバットを打ち込み、両者のヘルメットが割れました。
メットが無けりゃ蝶オーグの変な強化効果は消えます。ここで1号が蝶オーグのプラーナを放出させるギミックを作動させます。ヘルメット内に残されたルリ子さんの記録に教えてもらった戦法です。最後までルリ子さん頼りだったな、おめーは。しかしこの技は本郷のプラーナも大きく消耗するようで、一文字へ後を託し本郷も消滅してしまいました。

ここまで壮絶な戦闘場面が続いていましたが、その動機に正義や怒りは入っていません。蝶オーグ・イチローも本郷もルリ子さんも相手を救うために行動していました。そして、現状で最大最強の相手だった蝶オーグ・イチローに対し、ルリ子さんという支えを失った、性能スペック的には不利なバッタオーグ1号が、救済という最上成果をあげられた、ここで物語が区切られるのが妥当でしょう。本郷猛がここで死に、彼の物語が終了したのもちょうど良い位置だったと思います。

最初から思ってたけど、本郷猛と緑川ルリ子さんは一蓮托生で、どちらかが欠けたなら一方も長くは持たないように見えていました。劇中で2人は恋愛関係になることなく、どういう関係かの質問にも「信頼」だ、と答えています。私が感じた関係性は該当する言葉が見つかりません。脳と心臓は恋愛するでしょうか?信頼しあっているでしょうか?当たり前に互いが機能し、片方が潰えたらもう片方もやがて止まる、それだけの関係では?

 

 


そしてエピローグ。生き残った一文字はこれからも仮面ライダーとしてショッカーと戦い続ける決意を固めました。新しいヘルメットには「+1」が刻印され、込められた本郷の意思も共に戦い続けるようです。そしてこれまで思わせぶりにチラチラと画面内に登場していた政府関係者も協力すると約束してくれました。名前はそれぞれ役職の高そうな方が「タチバナ」銃火器を持った実行部隊らしき方が「タキ」だって。これでようやくショッカーと戦う役者が揃った気がします。
仮面ライダー2号こと一文字隼人、おやっさんこと立花藤兵衛、FBI捜査官の滝和也、昭和仮面ライダーのレギュラー達が顔を合わせ、従来の仮面ライダー世界に収束していくのでしょう。この映画は主人公がぐいぐい動く展開ではないせいか、終盤まで雰囲気が重いのだけどラストはすげー爽やかに終わるのよ。なぜかグウの音も出ないほどハッピーエンドに感じるのよ。劇中描写的に、仮面ライダーが世間に認知される前に起きた、誰にも知られていない2人の戦いの物語としてキレイにまとまってるせいだと思います。ここまで書けば歴然ですけど「シン・仮面ライダー」に対する私の評価は100点です。

 

仮面ライダーに限らず、昭和の懐かしいTV番組が平成後期~令和にかけていくつもリメイクされてるけれど、どれも滑って当時の視聴者層に見向きもされていない現状で、この映画は一つの方向性を確立したと思います。私が観た昭和特撮TV番組リメイク映画で面白かったのは、この「シン・仮面ライダー」と「電人ザボーガー」だけです。両者の方向性は真逆だけど、元ネタに対するリスペクトは非常に強く感じました。

50年前の子供向けTV番組をそのままリメイクしても陳腐にならざるを得ません。そこを「電人ザボーガー」では陳腐であることを否定せず、馬鹿馬鹿しい内容を大真面目に作りました。しかもそこに不純物を極力混ぜず、元ネタにある素材をふんだんに使いながらも忠実に再現することで、どっからどう見てもザボーガー以外の何者でもない懐かしTV番組のお祭り映画として完成しました。全編ギャグ満載だけど、そのギャグは当時のものを今の視点でみたらギャグに見えるだけであり、実際本編はギャグ描写を大真面目にやるので、見どころ山盛りのうえに所々やたら格好良かったりと、振り切った傑作になっています。

一方、今回の「シン・仮面ライダー」は元ネタから抽出する要素を初期部分に絞り、50年の時差で陳腐化する設定を現代社会に照らして組み直し、現代で起こりうるショッカーの脅威とそれに立ち向かう者の小さな戦いに凝縮しました。ここに現代の客層を意識した「ウケる」要素を取り込まず、元ネタにある設定材料を活かす方向で精緻に物語を再構築したのが良かったと思います。例え本郷猛の性格が今風なリアリティを持たせたとしても、初期仮面ライダー的な世界に放り込めば、やはり仮面ライダーとしてショッカーと戦わざるを得ません。その戦いの過程や戦闘ギミックを50年間の蓄積から盛り込めばいいわけで、仮面ライダーの設定だけを使い、仮面ライダーとして戦った今作は「シン・仮面ライダー」にふさわしい内容でした。しかしこれは50年の差により、旧TVシリーズの世界が再現できなくなった証明でもあり、昔の仮面ライダーの展開そのままに視覚効果を現代技術で強化した劇場版を観たい人には合わないのも当然でしょう。だからこの映画の評価は0点か100点と言われるほどに大きく乖離するのだと思います。


映画感想「オオカミ狩り」2023年の大量流血映画

2023-05-28 19:48:58 | 映画の感想

GWの血塗れ映画ハシゴ2本目「オオカミ狩り」を観ました。過激なバイオレンス描写でR15指定受けてます。大勢の韓国人犯罪者と監視の警官を船に詰めて、フィリピンから韓国まで輸送する途中で壮絶な殺し合いが起きる、というあらすじなんだが、その単純なバイオレンス映画なのに上映時間2時間以上あります。アクション映画にしちゃ長くないですか?しかし、胸焼けするほどバイオレンス描写を通り越した、残酷ゴア場面が満喫できるのは間違いないとの前評判です。期待しましょう。


1.残忍で狡猾な犯罪者チームVS残念で迂闊な警察チーム

舞台の準備と伏線を撒くパートです。でかい貨物船に連行されていく犯罪者達と荒っぽい警察官達に加えて医者が顔見せしていきます。ここで観客へ主要人物を覚えてもらう場面ですが、重要人物とモブの映し方が上手い。登場人物はほとんどおっさんばかりが50人以上ぞろぞろと出てくるけど、キーパーソンには目立つ言動させて強く印象付けしてくれるおかげで、大人数の殺し合い場面でも誰が何の意図で動いているのか、視点が迷子になることはありませんでした。

主要人物1.ジョンドウ


全身に蛇の入墨をいれた常軌を逸した残虐性を持つ男。頻繁にナイフを人の首に刺す。おっさん揃いのなかでアイドル顔のお兄さんだが、三白眼の迫力で圧倒的な悪役振りを披露してくれます。


主要人物2.ドイル


もう一人のアイドル顔お兄さん。ジョンドウ曰く「久しぶりだなナイフ使いのドイル、10年前からぜんぜん変わってないな」とのことですが、これが後半の大きな伏線でした。前半はあまり行動しません。


主要人物3.婦人警官ダヨン


婦人警官2人いるけど優秀な方の婦人警官。船内の異変にいち早く気づいたり、勘が良く行動力もある。警察側の主人公ポジション。

犯罪者を収容した監獄船が出港した頃に、船の航行を管理する管制室が謎の集団に乗っ取られたりするけど、まだ大きな動きはありません。
一方で船内では、ジョンドウが小さな針金を吐き出しこっそりと手錠の鍵を外していました。さらに船の乗組員にも内通者が居り、銃火器を持ち込んで操縦室を制圧してしまいます。そこから始まる大虐殺タイム。犯罪者達は乗組員を銃で脅して従わせるとか面倒なことはしません。片っ端から殺してしまいます。通信機器や救命装置も壊してしまいます。え、誰が操縦すんの?遭難するよ?漂流するよ?大丈夫?と心配になるくらい、彼らは後先考えず片っ端から人を殺します。船のスタッフに監視の刑事もバンバン殺し始めます。そのたびに派手に血飛沫が飛び散ります。銃で撃ったり、ナイフで何度も刺したり、特に多いのが喉をナイフで一突きする殺し方。一瞬で仕留めるので、刃物が人体に刺さっていく直接的な場面はありませんが、喉からナイフグリップを生やしたおっさん達が大量出血しながら倒れるシーンは頻発します。とはいえデカい船なので、犯罪者達が武器調達して反乱を起こしても、監視担当に付いていた刑事を始末しただけで、まだ控えの刑事達が残っています。少しづつ犯罪者側に有利な状況へ傾いていくのが前半の流れです。

これらと無関係に、医者が船底で隠されている謎のミイラへ投薬しています。ミイラ周辺にいる怪しい男たちは上で暴れているジョンドウ達とは無関係らしく、この船には犯罪者の移送以外にも何かの計画が仕込まれている様子です。

暴れまわるジョンドウ始め犯罪者集団に対し、いち早く異変に気づいたダヨン達警察チームも対抗して戦い始めました。紆余曲折あり、彼らは機関室で総員が銃火器を構えて睨み合う膠着状態に陥ります。誰かが引き金を引けば全員が一斉射撃を始めて何人生き残れるのかわからない至近距離での睨み合い。普通のアクション映画ならこれは最終決戦に持ってくる山場です。全員が最大火力を撃ち合うクライマックス手前の場面ですが、まだ映画上映時間の半分くらいほどしか経っていません。画面には誰も動けない緊張感が漲っています。

 


2.怪人乱入

全員が至近距離で銃火器を突き付け合う膠着状態に、突然乱入してきた奴がいます。その場にいる全員が「誰?」と戸惑っている間に、そいつは手近な者から惨殺し始めました。警察も犯罪者も相手構わず見境なしに片っ端から殺してしまう乱入者に向けて、両者が銃や刃物で反撃しますがまるで歯が立たず、死体が増えるだけでした。やがて何の予告もなく突然現れて大虐殺を始めた奴の容姿がハッキリ見えてきます。目はまぶたを縫い留められた異様な形相、歩く足音はやけに重く金属質な響きがあります。そして人体を素手でグシャグシャに破壊する馬鹿げた怪力と、銃で撃たれてもまったく怯まない頑丈な身体、これは怪人だ。宣伝にあった「怪人」がようやく登場です。あまりにやりたい放題の大暴れに、凶悪残虐ジョンドウ兄さんが絡みに行きました。前半に暴虐の限りを尽くし相手構わず大殺戮を働いたジョンドウ兄さんからすれば、後からしゃしゃり出てきた怪人にデカい顔されるのは面白くないでしょう。いつものようにオラ付きながら煽りますが、逆にボッコボコに叩きのめされました。今までの犯罪者や警察ならここで死んで終わりでしたが、怪人の凶暴性はさらに上なので、ボコられてダウンしているジョンドウ兄貴を機関室の機器に引っ掛けて立たせると、更に追い打ちを叩き込みます。服がはだけて全身の入墨丸出しになったジョンドウ兄貴は、三白眼の不敵な笑いを浮かべていましたが、怪人はその笑顔めがけてハンマー連打。何度も何度もハンマーを振り下ろし、ジョンドウの頭部は無くなってしまいました。画面でも血塗れなった胴の上には何も無いんだ。これは前半に大暴れしたジョンドウが粉々に破壊されて、後半はさらに凶暴性の高い怪人が引き続き大暴れする主役交代劇です。そしてジャンルも変更です。今までは出血量多めながらクライムアクションの延長でしたが、ここからはガチのモンスタースラッシャーです。

新主人公の怪人は素手で人体破壊できるうえに銃が効かないため、正面からずんずん歩いてきて、手当たり次第に人間を殺してしまいます。なぜ殺すのかはコイツが何も喋らないのでわかりません。
ここで前半は影の薄かった主要人物2のドイルが動き出します。ドイルさん強いんだ。怪人相手に対等に渡り合う超人的な戦闘力を発揮します。この人いったい何者?
乗員を一人残らず惨殺するのが目的なのか、怪人は人間離れした動きで船内を移動し殺戮を続けます。しかし、その間に数の絞られた主要人物達が集まり、この輸送船に仕込まれた謎を解いていきます。

怪人が着ていた囚人服がとても古い時期のものだと判明したり、船底でミイラを保管していた部屋へ向かうと、怪しげだったスタッフの男達は惨殺されており、ミイラが消えていたりと、状況証拠が増えていきます。怪人の正体は船底の部屋で保管されていたミイラが、人間の血を吸収して蘇ったものです。人間の血はジョンドウ達が散々殺した死体から排水溝などを通り、船底の部屋に流れ落ちていました。やっぱりジョンドウ達が殺されたのは自業自得だったな。

さらに、現場に残っていた資料から怪人の正体がわかりました。太平洋戦争中に日本軍が人体実験で作り出した改造人間でした。狼の遺伝子とかけあわせて改造人間を作ったけれど、彼は精神に異常をきたしてしまったらしく、常時激怒状態のうえに全身が改造手術のせいで痛みに苛まれてるそうで、理性が働かず無差別暴力怪人と化してしまいました。

この改造手術場面がいかにも韓国人の考えた日本軍イメージで、昭和特撮の悪の組織そのままです。しかし役者は韓国人なので日本語イントネーションがおかしい。手術を「チュジュチュ」と発音するので、外国人が日本人役を演ずるのはなかなかに難しいようです。
それはさておき、怪物の正体である「旧日本軍の改造人間」は一人ではなく、他に2人居ることが資料からわかります。そして改造人間の特徴として、胴体中央を縦に走る大きな縫合痕と、左肩に番号の焼印が押してあることです。つまりシャツなどがはだけると一目でバレます。

それで新しくもう一人の改造人間の正体がバレました。ナイフ使いのドイルも改造人間でした。改造人間は年を取らないそうで、戦時中の怪人がそのまま暴れてるのも、ドイルの外見が10年前から変化しないのも、不老体質のせいです。

ならばドイルも戦時中から生きてるの?といえば違います。彼は現在進行系で行われている改造人間製作事業の被害者です。韓国では戦時中に日本軍が行った研究を引き継ぎ、現在でも身寄りの無い人間をかき集めては、人体改造実験を繰り返しています。それを指示しているのは、戦争を生き延び年を取らないまま社会的な高い地位に上り詰めた、別の改造人間だったりします。悪の大ボス的に指示を出している場面が映りますが、彼の胴体と肩には縫合痕と焼き印がガッツリ出ているからね。

そうこうしている間にも、船内の怪人は犯罪者チームの生き残り達を執拗に殺し続けています。警察が外部に救援を求めようにも、船の操縦室は破壊されて通信機器が使えません。犯罪者達が前半で真っ先に大事な装置を壊してまわってたからな。状況は絶望的です。

 


3.どうしてそんなに強いのですか?

ところが、連絡手段の無い洋上で遭難している船へヘリコプターが降りてきました。異常を察知して救助に来たのかと言えばさにあらず。彼らは前半パートで航行管制室を占拠した謎の集団に所属する戦闘チームでした。船の動きを監視していたら、通信機器破壊のせいでレーダーから消失し移動経路を追えなくなったため、周辺区域の航行データから位置を割り出し、制御から外れた船を鎮圧しに武装盛り盛りで駆けつけて来たわけです。
怪人から必死に逃げて来た、生き残り達が保護をお願いしても彼らの反応は冷たいものでした。冷たいどころか邪魔だとばかりに婦人警官ダヨンを射殺してしまいます。これには驚きました。ここまで危機に立ち向かい続け、劇中で最も頑張っていた主人公ポジションのキャラがあっけなく退場。てっきりダヨンが最後まで生き残ると予測していたので、観ていて混乱してしまいました。

そのまま鎮圧特殊部隊は生き残りを掃討しつつ怪人を探します。そしてついに怪人と遭遇。怪人の戦力を知ったうえで乗り込んで来ている連中なので、怪人相手でも引けを取らない強さです。というより、彼らも改造人間です。怪人のように精神に異常をきたしておらず、集団行動が取れる超人部隊です。到着前に変な薬をドーピングしてる場面あったし。このチームの所属する集団は、既に改造人間を製造し実用的に運用するノウハウを確立してると思われます。そして旧型改造人間の怪人は徐々に押されていき、ついに戦闘チームに倒されてしまいました。仕留めたのはチームを指揮するリーダーのおじさんです。

実はこのおじさんが、この映画最大の謎です。
途中でコンクリートの壁を素手で砕いたり、常人ではない描写こそあるけれど、改造人間ではありません。胴体に縫合痕も見えません。それなのに特に武装もせず普段着にナイフだけの格好で怪人を倒してしまいました。つまり周囲の全身防具+銃火器武装+ドーピング済の改造人間達より、素で圧倒的に強い。メチャクチャ強い。手がつけられないほどに強い。劇中最強キャラです。しかし劇中で強さに関する説明や根拠描写が皆無です。どうしてそんなに強いのですか?

怪人を倒した特殊部隊は、次に口封じのため生き残りの抹殺を始めます。せっかくここまで生き延びた、お人好しぽい医者や、犯罪者だけど温厚な老人なども死んでしまいます。彼らは殺伐とした物語内でコメディ部分の担当でもあり、この人達なら何とか生き残るのではとも予測していたのにまたハズレました。今作では登場人物が頑張っても(比較的)善人でも容赦なく死にます。物語進行のキャラクターへの突き放し具合が、なかなかお目にかかれないレベルで冷めています。精神の有り様と肉体ダメージになんの関連性は無く、銃で撃たれると善人悪人問わず皆死にます。

誰も彼も死んでしまい、残っているのはドイルだけです。そしてドイルは怪人の死に怒っているようでした。残虐狂暴な殺人鬼でしたが彼はそもそも非人道的人体実験の犠牲者であり、今まで何十年と眠っていたのを起こされて、いつものように暴れていたら邪魔だとばかりに殺処分されてしまったわけです。自身が狂暴殺人鬼ではないにしろ、ナイフ使いのドイルと呼ばれるくらいには、暴力稼業に染まっていた自身から見ると、怪人は自分の境遇とよく似ていました。

だから、ドイルは特殊部隊へ戦いを挑みます。どのみちコイツらを倒さないと自分が殺されてしまいます。完全武装の特殊部隊達を圧倒的な速度のナイフ捌きで次々と片付け、リーダーへ迫るドイルですが、このリーダーが強い。めちゃくちゃに強い。さらにこのリーダーのおっさんはかつて任務として、ドイルの家族を始末していたことが判明しました。そもそもドイルが家族の復讐として戦い、逮捕されていたのもコイツのせいでした。激怒したドイルのナイフ捌きがさらに速く苛烈になっても、リーダーは平然と対処してきます。ここのナイフコンバット場面は、殺陣の速さとカメラアングルの巧さもあり、かなりの迫力があります。互いに逆手に持ったナイフを至近距離で振りまくるうえ、舞台が船内通路や狭い船室なため、一手ミスると大怪我する高速戦闘アクションが展開されました。そして両者は目まぐるしく戦場を変えながら、最後には2人とも甲板から海へドボン。
こうして船内に動く者は一人もいなくなりました。

最後は何処かの浜辺へ海から上がって来るドイルの姿。戦いには勝ったのでしょうか。そして続編を匂わす「ドイルの息子」の存在を映して映画は終わりました。

この映画のオオカミとは狼の能力を組み込まれた改造人間達のことでした。つまり「オオカミ狩り」とは、怪人やドイルを始末しようとする謎の組織と特殊部隊チームとの戦いでした。もちろん前半に暴れ狂った犯罪者集団をオオカミと揶揄する意味もあるのでしょうが。

それはともかく、2時間以上の上映時間はアクション映画として、かなり長い部類になります。しかし2時間内に並のアクション映画3本分の展開を詰め込んでいるため、鑑賞中に中だるみや冗長さをまったく感じませんでした。過激な暴力描写は多いけれど、ほとんどが一瞬で息の根を止めるスピード感のある暴力シーンであり、犠牲者を執拗に痛めつける粘着質な暴力シーンは少なく、画面上の出血量に対し意外なくらい見やすい映画でした。過激な暴力描写に注目されがちですが、観客への情報提示も上手で、主要人物の印象付けで注目するべきキャラと状況情報が理解しやすく、伏線回収もきっちり済ませる手堅い造りでした。混迷した反乱劇から三つ巴の戦いへ収束していく展開を情報過不足なしに、観客の集中力をを2時間維持させる構成はかなりハイレベルに思えます。

また、あれだけ登場人物がいながら1人しか生き残らない展開は新鮮でした。欧米映画や邦画だと婦人警官ダヨンは生き残っていたと思うので、女子供でも容赦なく死ぬのは甘っちょろい道徳観ルールへ忖度しない真剣な映画製作姿勢に感じて、個人的にはたいへん好印象です。だからホラーやモンスターパニック映画はもっと女子供がバリバリ死ぬ展開やってください。弱い者に手加減する脅威なんて興醒めすんだよ。

 

この日は「哭悲」「オオカミ狩り」を連続ハシゴ鑑賞したわけですが、双方とも前評判どおりの大量流血映画でした。「哭悲」では凶暴化ウィルスに感染発症した残虐暴徒の群れが大暴れしていましたが、一方の「オオカミ狩り」ではウィルスなんぞに頼らなくても素で獰猛狂暴な犯罪者集団が、手慣れた様子でバンバン人を殺していくので、もしも両者が衝突したならば・・・多分、オオカミ狩りの犯罪者チームが勝つ気がします。凶暴性が同レベルでも手際の良さが段違いというか、ジョンドウ兄貴はナイフ捌きだけじゃなく知恵もまわるので、あの犯罪者集団を哭悲パンデミックに放り込んでもいつも通りに片っ端からぶち殺して、なんなら感染発症しても元からあんな感じだから平常運行のまま勝っちまいそうでさ。


映画感想「哭悲」2022年の大量流血映画

2023-05-27 03:31:56 | 映画の感想

GW中に近場の映画館で面白そうなプログラムで上映していました。去年に内容の惨劇具合で評判になった「哭悲」と、今年の過激な流血バイオレンス映画No.1候補にエントリーしている「オオカミ狩り」どちらも、アジア発の徹底したゴア描写が売りの映画です。それが同日に観れるプログラムでした。上映時間を調べると「哭悲」の上映終了直後に「オオカミ狩り」が始まるタイミングです。いいじゃない。はしごして4時間どっぷり大流血映画を楽しむことにしました。世間だと「ダンジョンズアンドドラゴンズ」や「スーパーマリオブラザーズ」が評判よくて、友人家族と映画をはしごするGWの過ごし方もあるでしょうが、私には愉快で楽しいファミリー向けホームドラマを一緒に楽しむ仲間が居ませんし、自分以外に血塗れ映画を4時間も喜んで観る人間に心当たりがなかったので、自分一人で観ました。

まず1本目「哭悲」
宣伝文句が「史上最も狂暴で邪悪」「内蔵を抉られる衝撃」「二度と見たくない傑作」と、なかなかに仰々しいです。でも内容に対してそれほど大きく喧伝してるわけじゃないんですね。史上最もかどうか知らないが登場人物はどいつもこいつも狂暴な殺人鬼ばかりですし、内蔵を抉る殺傷場面もありますし。それで二度と見たくない件についても同意します。観るのは1回でいいと思いました。ちなみに台湾の映画で、日本とも香港とも違う素朴さの残る街並みの中、惨劇が起こりまくる画面の雰囲気は独特な湿度の高い陰惨さがありました。
そんな映画の感想を3つのポイントから書いていきます。

 

1.ゾンビ+サイコスリラー=変態殺人鬼の集団発生

この映画はいわゆるゾンビパニック映画の亜種です。バイオハザード以降のウィルス感染した患者が凶暴化して人間を襲うタイプのゾンビ映画と同じフォーマットですが、哭悲のウィルスは人間をゾンビ化ではなく単純に凶暴化させます。食欲で襲っているわけではなく、攻撃衝動を抑えきれなくなる症状なので、知能が落ちることもなく、感染者達はそこらへんにある刃物を手にし、見事なチームワーク連携を組みながら非感染者を襲います。このウィルスは空気感染力するうえに、感染者達が凶器を振り回して見境なく他の人間を襲うので、血液感染しまくる機会にも事欠きません。
このウィルスの厄介なところは、感染から発症までが異常に早く、先程まで被害者だったのが傷口に血が入ると、わずか数秒で狂暴な殺人鬼に変貌してしまうところで、まったく時間の猶予がありません。さらに発症後には攻撃衝動や性欲が異常に促進され、理性が効かなくなるのに知性は下がらないため、感染前からやべー奴はタガが外れて手が付けられない凶暴性を発揮します。
ここまでがゾンビ的な危険度。

この映画のメイン悪役のおっさんは、パンデミックが起きる前から女主人公に粘着質な絡み方を続け、拒絶されるとブルブル震えながらブツブツ独り言で怒る、人格的に困ったおっさんです。それがウィルス感染すると、殺人レイプにいっさい躊躇しない狂暴変態おじさんにクラスチェンジしてしまいました。そして女主人公をレイプしようと執拗に追いかけてきます。
これが変態ストーカーによるサイコスリラー成分。

ゾンビよりも数段賢く、チームプレイの上手い感染者から、数秒で発症するウィルスがどんどん広まっていき、対策がまったく取れないまま状況は悪化の一途を辿ります。市街地に流れる緊急放送ではイキリ立った感染者が暴言を吐きまくり、臨時ニュースの国営放送内で大統領が護衛の兵士に惨殺されます。もはや街には正気な奴など誰もいません。

 

2.危機に立ち向かえない登場人物たち

この映画には主人公が2人います。OL勤めの女主人公「カイティン」と、その彼氏の男主人公「ジュンジョー」の2人。物語を要約すると、暴徒パニックが起きた街で狂人から逃げ回る彼女と、それを助けに向かう彼氏の話です。けれど主人公達にはあまり共感できませんでした。


女主人公は今どき珍しい、泣いて逃げ回り助けを求めるばかりの弱い女性。80年代からホラーアクション映画の女性は皆戦うヒロイン化が進み、自ら積極的に危機に立ち向かう姿を見慣れてるせいか、今作のカイティンさんは泣いてばかりで自助努力が足りない気がします。最後に1回だけ戦うけど、他はずっと泣いてばかりです。


一方で男主人公は助けに行くとは言うものの、行動がモタついてなかなか話に絡んできません。寄り道しているのか、通りすがりの狂人達にちょっかい出して、逆に殺されそうになり逃げ出したりと、本筋に影響しないような動きがちらほら見えます。彼女を助けに集団殺人鬼がウロウロしてる市街地を突破しなきゃいけないのに、武器は拾った草刈りカマ、防具は何もなしの軽装、乗り物はスクーターと、甚だ心もとない軽装備で行っちゃうんだ。それで到着した頃にはとっくに感染発症していたという、まったく頼りにならない彼氏でした。

この映画はゾンビパニックと殺人鬼スラッシャー系映画の定番演出がそこかしこに見えるのだが、特に顕著なのがうっかりミスは必ず死亡フラグに直結する点。後ろがガラ空きならば後ろから殴られて殺されるし、つま先が出過ぎていればそこを攻撃されるし、落ちた斧を放置しとくと敵が拾って後から襲ってくるんだよ。そういった小さなミスが命取りになって、味方の人員や対抗手段がみるみる減っていきます。総じて登場人物全員が迂闊な行動を取るので共感して一緒に怖がるよりも、状況判断の甘さにイラッと感じる場面のほうが多いくらいでした。ドジな人達が勝手に自滅していった側面もあります。

基本的に「立ち向かう」意志を持った登場人物がいないため、ただ怯えて泣いているだけの人達がそのまま惨殺されていくのは自己責任ではないかと思えてなりません。殺人暴徒から運良く隠れた男がいるんだけど、そいつは隠れながらただ耳を塞いで怯えるだけなんだよ。それで後から別の暴徒に見つかり引きずり出されて惨殺されるんだけど、時間的な猶予はけっこうあった筈なのです。なだれ込んで来た暴徒達が殺戮しまくったあとに乱交モードに入ったあたりから、斧なり鉄パイプなりの武器で1人づつ背後から仕留めて行くやり方もあっただろうに。ゾンビゲームの攻略はそうするもんですが、その男はしないので相応の惨たらしい死に方をしました。

ちなみに最も気持ち悪い宿敵だったレイプ殺人鬼化したサラリーマンおじさんは、女主人公から頭が無くなるまで消化器殴打をくらって死にました。ここでメインウエポンの斧を落としたので、主人公が拾っておけば後に起こる悲劇も防げたハズなのに。

 

3.最後まで救いのない物語

終盤に女主人公はウォン博士という閉鎖区域に立てこもった研究者に助けられます。ウォン博士は現状のパニック発生前からウィルスの研究を続けており、危険性を社会に発信していたのに誰も真剣に聞くことなく、悪い予測は的中してしまいました。やっと現状に立ち向かう意志を持ったキャラクターの登場です。

彼がウィルスの性質やパニックへの対策など全部まとめて説明してくれました。女主人公が発症しないのは抗体をもってるおかげらしく、それを元にワクチンを作れるかもしれません。外部に救助連絡は伝えた、もうすぐ屋上にヘリコプターが迎えにくるから脱出だ、博士と女主人公が閉鎖した研究室から出たところで早速襲撃を受けます。ストーカーおじさんをブチ殺した時に落とした斧を拾った奴がいます。またこのパターンだ。迂闊なドジが死亡フラグ。曲がり角からわずかに踏み出していたつま先を斧で叩き切られて博士がダウンします。全身防毒服で覆っていても、刃物で切られたら意味ないんだ。博士ウィルス感染。そこにすっかり感染しきった男主人公も到着し、役に立つ味方はどこにもいません。いや、博士は死ぬ直前まで必死に正気を保っていた。もう逃げるヒロインしか残っていませんが、彼女がヘリの待つ屋上へのドアを通って姿を消した直後に機関銃の銃声が鳴ったので、彼女も死んだようです。

 

それではエンディング。スタッフロールを眺めながら内容を思い出すと、この「哭悲」ではゾンビ映画からもう一歩悪趣味度合いを進めて、暴徒が一般人を殺すだけではなく、残虐にいたぶり拷問強姦の果てに殺すという、胸糞悪い要素を増やしているので、事前情報を仕入れた時点では若干気後れもあり、鑑賞には覚悟を決めて観ました。しかし実際の場面は画面外での動きや音での演出が主であり、宣伝で煽るほどの直接的な残虐シーンは多くありません。流血量は半端なく多いし、一部はもろにグッサリ刺さる場面もあるけど、それらが意外と抵抗なく見れたのは、被害者達に対してぜんぜん共感できなかったのが大きい理由です。ひどい目に遭ってるけど可哀想とか助かって欲しいとかちっとも思えず、話の通じない狂人集団相手なんだから、隙あらば自分から殺しに行く積極性がないと敵の数ばかりが増えてジリ貧です。今まで観てきたゾンビ映画では、こんなに立ち向かわない人達は居なかったので、哭悲では誰にも共感できず応援する気にもならず、半分過ぎたころにはすっかり感覚が麻痺して、流血殺傷シーンに慣れてしまいました。だから宣伝文句の「二度と見たくない傑作」は半分該当します。二度見る楽しみを見い出せませんでした。誰視点で見ればいいの?カイティン?私はああいう泣いてばかりの女性は嫌いです。

2022年の最大流血量映画だったらしい「哭悲」を観終わりました。それで約10分後から2023年の最大流血量映画候補の「オオカミ狩り」が始まります。次の映画ではドジな死亡フラグは控えめでお願いしたいところです。登場人物の皆さんは危険と真剣に向き合ってください。真面目に抵抗してください。


映画感想「N号棟」

2022-06-12 21:21:34 | 映画の感想

映画「N号棟」を観てきました。しかしたいへんに期待外れの内容だったので、ここに感想を書き捨ててしまおうと思います。もちろんネタバレ全開です。

これミッドサマーじゃん。ミッドサマーみたいな話を邦画でやろうとしたけど、変なカルト集団の話だけでは客への訴求力が足りないと考えたのか、前宣伝はかなり盛っています。
その事前宣伝と紹介文句では「2000年、実際に起きた…幽霊団地事件~云々~が、その裏で本当は何が起きていたのか?」等長々と書いてあり、劇中に起こりそうな奇怪な事件を匂わせていますが、本編では幽霊要素も実話要素も極小フレーバー扱いでしかありません。ぶっちゃけ物語内容にほとんど関係しません。廃団地現場に行くと早々に怪しい住人達と遭遇し、そのまま妙に馴れ馴れしく画一的に親切な集団に取り囲まれ、あとはなし崩しに彼らのペースに振り回され続け、最後には取り込まれて死ぬ話。ミッドサマーじゃん。終盤に全員が同調して大声で泣き叫ぶのも同じ。ミッドサマーじゃん。

初っ端からケチつけるのは他作品に似過ぎているから、だけが理由じゃないけれど、少なくとも話題作だった「ミッドサマー」を先に見ていたら、本編の内容予測は早くに出来てしまうし、その予想を超えるオチでもないので、ここは個人的な低評価要素の一つです。

私が大きく不満を感じた期待外れの主な理由は、事前紹介の品書きと本編内容の食い違いです。この映画に興味を持って公式サイトに見に行けば
「2000年、実際に起きた…幽霊団地事件」
の前振り文がデカデカと真っ先に目に入ってきます。そこで私が期待したのは、

・幽霊団地と呼ばれる程に頻発したらしい過去の超常現象の謎
・それが解決できないまま、廃団地と化すまでに住人を襲い続けた怪奇エピソード
・現在の視点から情報を統括した調査による異常事態の謎と原因の究明

つまり日常世界とは違う超常現象が起こる異常事態の法則を調べ上げ、恐怖の原因を突き止め、それらを解除、もしくは回避手段の発見へ至る、未知の危険へ対処法を探る展開でした。サイトにも「考察型体験ホラー」と書いてあるのだから、深く緻密な構造で作られてると期待するじゃない。しかし、そんな展開はぜんぜんありませんでした。私の期待は一つも応えられませんでした。

少しばかりの超常現象は起きるけれども、それより周囲に居並ぶ不気味な人達をどうにかする方が先決です。この映画で最大の欠点は「超常現象よりも狂った人間が怖い」物理的な恐怖優先なことです。そんなん知ってるよ。音や影の遠まわしな雰囲気で不安を煽るお化けより、包囲圧迫してくるキチガイカルト集団の方が、直接物理攻撃で襲ってくるから単純に危険度は高いんだよ。でもそれは現代日本舞台じゃ警察に通報して解決する話なので、興味をそそる謎と不思議には繋がら無いんだ。サイコホラーも恐怖ジャンルの一種には違いないけど、幽霊団地と超常現象の謎にはかすりもしない、迷惑人間に困らされるだけのリアクション芸なんだ。

だからというか、映画序盤で主人公たちが廃団地に乗り込んだはずなのに即住人と遭遇、あとは怪しげな住人がわらわらと出てくる時点で、無人の廃墟が時間経過によって醸し出す独特の薄気味悪さなどすぐに消失してしまいました。そして団地住民たちの妙に統一された生活用品と白衣装は、明らかに閉鎖的なカルト宗教を思い起こさせる出で立ちで、ぶっちゃけオウム真理教くさいです。あの激ヤバカルトを彷彿とさせる集団などと、まともに会話しても真意など掴めません。カルトの勧誘は大抵わかりにくい言い回しで翻弄し、獲物を捕える時だけ危険な素が出るものですが、既にオウム事件も風化しつつあるからか若い主人公達は優柔不断に相手のペースに飲まれて、ビビりっぱなしのくせに危機管理意識などまるで無く、唯唯諾諾と相手の言い分を聞いて行き、たった一晩で3人中2人が籠絡されてしまいます。いや、こういう真の目的を伏せたままにこやかに近付いて来る、カルト宗教やマルチ商法の集団にアウェーで立ち向かうのは実際かなり不利で難しく、恐怖には違いないが、そういう生々しい対人トラブルの恐怖を求めて観に行った映画じゃないんだよ。幽霊・心霊・超常現象、完全に人外の怪奇要素を摂取したくて観に行ったんだよ。

わりと早いタイミングで、これは「人が怖い」系映画だと気づいてしまったので、あとは尺稼ぎにしか感じませんでした。それでもまだ事件の根本原因には怪奇現象が係わってるかもしれないから、希望を捨て切ってもいませんでした。しかし終盤に主人公が逃げ込んだ先の部屋で椅子に座った謎のミイラを発見します。このオチはサイコじゃん。ヒッチコックの。いくらなんでもネタが古過ぎるだろ。令和の映画なのに20世紀の古典映画と同じもん出すのかよ。制作の感性古過ぎるだろ。こんなの一周回って新しいなんて解釈すらできません。もう五周くらい回って味がしないネタだよ。そしてミイラ発見した直後にカルト親分が登場して教義解説を始めます。せっかくミイラという怪奇アイテムが出たのに即狂人演説フェイズに入り、謎のポルターガイスト現象は狂人の背後で騒ぐ賑やかし役でしかありませんでした。観たいものは観れず、知りたいことは知れず、期待していない奴らばかりが前面に出てきて、へたくそな新人勧誘場面ばかりが続く展開に、見ている最中ながら気分は盛り下がる一方でした。久々に掴んじまった「これじゃない感」こんな映画に誰がした。

個人的に感じた制作側のやらかしは、内容と不一致な虚偽宣伝だけに限りません。元々の内容が「廃墟に行ったらカルト集団に遭った」だけの1行で済む極薄のため、前半では主人公達の過剰に軽薄な会話が多く、現場に到着してからも軽薄会話が続き、それらは些細な物音に大げさに驚く場面の前振りになるのですが、あまりに何度も驚く場面が頻出するため、物語が動き出す前に気分が冷めてしまいました。ホラー映画の大きな音で驚かす手法は「そもそも大きな音は強い刺激だが恐怖ではない」と、これも古いやり方と揶揄される風潮が20年くらい前には既にありましたが、この映画では未だに多用しています。全体的に感性が古い映画です。古いだけならまだしも使用法が稚拙です。序盤からあまりに多用するもんだから、中盤に差し掛かった頃には見ていて疲れてしまいました。仕組みはわかるけど、急な大きい音声てのは単純に神経へ負担がかかるので、何度も鳴らされると疲れるのさ。だから序盤の虚仮おどしに乱発したせいで、本筋が始まった頃には耳が麻痺して聞き流すモードになっており効果が大幅に減少していました。

そして演者の驚愕演技も大袈裟過ぎました。怖い場面でも他人が余りにビビる姿を見ると、逆にこちらが冷静になってしまう相対効果が悪い方向に出ています。自分のギャグに自分でウケて笑う人の話は聞き手が冷めてしまうとも言われますが、これも同様の自分のホラー描写に自分でビビる人に見えます。いわゆる自画自賛タイプ。つまり何も起きてないうちから音演出と過剰演技を乱発したせいで、本筋に入った頃にはすっかり慣れて飽きて冷めていたわけです。見せ方がワンパターンなんだよ。

なので前半部分に食べたくもない調理法のホラー要素を食わされてしまい、後半に入っても味付けが変わらず、せめて口直しのデザートを欲しつつも、映画は終了まで好みの味付けに変わることなく進んでしまいました。

そもそも開始冒頭で画面に「タナトフォビア」と文字が出ます。日本語に直すと「死恐怖症」
主人公はこのタナトフォビアであり、死ぬのが怖くて夜も眠れないほど常に怯えて生活していますが、私にはタナトフォビアの素養が皆無なため、主人公の恐怖がさっぱり理解も共感もできませんでした。死ぬのが怖いんだって。じゃあ不老不死になりたいのか?というほど突き詰めた執着も見えず、なんとなくふんわりと死ぬのが怖いファッション・タナトフォビアぽいです。自分一人だけが何時までも死ねない終わらない不老不死生活の方が怖くないですか?私は怖いです。なので見ていて主人公にまったく感情移入できませんでした。

というか、この映画の描く恐怖描写は普遍性に欠けています。ビビるべき時には鈍く、平常時はパニクってばかりの彼らが遭遇している恐怖は、まわりくどい干渉をしてくる狂気集団のせいばかりではなく、もちろんほぼ無害な怪奇現象のせいでもなく、彼ら自身の愚鈍さに由来する結果であり、常人の意志判断力と危機管理意識があれば容易に回避できる事態であり、一般的恐怖と看做すにはいささか危険度が低すぎると思います。逆に言うと、主人公達はこの映画舞台のような「元幽霊団地と呼ばれた廃墟」という特殊環境を除き、日常内でも同様のカルト宗教やマルチ商法の勧誘に遭遇した場合でも、やはり取り込まれて身の破滅を迎えていただろう人達です。目先の不安へ向き合わず、不審人物相手に断ることも出来ず、判断と行動を先延ばしてばかりの人物に相応の最期を迎えただけの話です。

これ一番怖いのは主人公達のゆるい頭じゃないのか。環境のせいにしちゃいけないわ。だって主人公達は明らかに怪しい外敵には弱腰で唯唯諾諾と流されるだけなのに、仲間内だと互いに煽ったり貶したり盛ったりとやりたい放題言いたい放題なんだよ。外敵に弱いくせに内部のマウント取り合いは熱心なんだよ。だめじゃん、自業自得やん、こんなの。ホラー映画の序盤で無残に死ぬタイプのいけ好かない若者が最後まで出番引っ張るんだよ。誰視点で観ればいいのさ。ムカつく若者を死なせる犯人側視点もカルト集団の時点で難しいです。少なくともぼっちの私には難しい。カルト仲間と一緒に友情・努力・勝利を目指す物語になっちまうじゃないか。そういうの摂取したい時は素直にジャンプ漫画でも読みます。ホラー映画に求めていません。

ここまでボロクソに貶しましたが、当然優れた点もあります。廃墟舞台のホラー映画に付き物の「画面が暗過ぎて何が起こっているのか見えない」問題がありません。夜間POV視点の画面がぶれて見づらい場面はありますが、それもあえて見づらいPOVとして撮っており、不安と不気味さの前フリに使うためわざと画面を乱す演出です。どちらかと言えば画面より台詞で恐怖を煽っていくスタイルであり、人物間のやりとりは過不足なく、観ていて状況理解しやすい良く練られた内容でした。最初から狂気の集団による物理型サイコホラーとして宣伝していれば、自分もそれに合わせた気構えで観れたはずです。世間には不意打ちのような予想外の展開を喜ぶ客層が居るのも知ってますけど、少なくとも自分は違い、戸惑いから気分を立て直すのに時間がかかるタイプなのでこの映画は合いませんでした。

もう終盤に差し掛かろうかというあたりで、ようやく主人公が能動的に動き始めます。仲間はカルト側に取り込まれてしまい、もう誰も頼れなくなったため、深夜に自分一人だけでも脱出を試みます。しかしステルスミッション開始かと思いきや、照明を手に持ったまま明るい広場方向へ向かって行きます。夜の闇に身を隠して移動するどころか、敵陣ですげー目立つ行動を取ります。しかも寄り道しやがる。少し離れた場所に小さい別棟があり、そこへ用もないのに入っていました。そこでは医療施設のような設備があり怪しい男が遺体を分解作業している様子でした。また突然のジャンル変更、バイオハザード等のSFホラー系へ。もうこれ幽霊と全然関係ないよね。廃墟である必要もないよね。そしてアクション開始、主人公は遺体損壊男と戦って勝ちました。しかし増援に囲まれカルト集団に再度囚われてしまいました。脱出するんじゃなかったのか。なぜ寄り道したのか。なぜ戦っちゃったのか。主人公の行動が全然理解できない。

そして映画は主人公がカルト側に取り込まれ、元仲間を殺し、自分で自分の腹を刺してカルトリーダーおばさんに褒められながら死んでいきました。それから外出すると、入院中の母も死なせ、団地廃墟に住みつくお化けの仲間入りして終わります。最後の場面で真っ赤な服を着て廃墟の一室に佇む主人公はまともな人間には見えません。そもそも廃墟の住人達も死人の群れだったのでしょう。劇中はっきりと言及しないし、昼間っから皆でわいわい騒いで暮らしてるから錯覚するけど、生活インフラの無い廃墟で集団生活のインフラが維持できてるわけがないです。あれは死人の生活ごっこであり、供された食べ物も死人の食べ物でしょう。やたら陽気に食べて食べてと推してくる中身の見えないコップに、主人公達が口をつけるまで全員が凝視して様子を窺がってるのは、ヨモツヘグイだからだと思いました。ヨモツヘグイてのは死者の食事を生者が食べると生きて帰ることが出来なくなる呪いの一種です。

だから物語をまとめると、大学生3人が曰く付き廃墟へ向かい現地に巣食う死者の群れに取り込まれてしまった話、となります。大まかな本筋だけを抜き取ると、なんとも気味悪くおぞましい話なのに、死者のとるアプローチ方法が死人であることを隠し、馴れ馴れしいカルト・マルチ商法のような勧誘を仕掛けてくるため、気味悪さの質が違ってしまいました。最終的には心霊現象に行きつきますが、そこへ至る過程は全部カルト集団との対人トラブルとして描かれており、超常現象怪奇ホラーを期待して見に行くと、実際の内容は狂人サイコサスペンスをお出しされてしまい大きく肩すかしを喰らいます。最初の宣伝は良かったし、撮影方法も上手かった。画面的な問題はまったく無いけど、本編の物語展開だけがネックとなり終始違和感をぬぐえず、物語に乗り切れなかった映画です。

つまり脚本が悪い。

スタッフロールが流れ始めても、すぐには席を立たずに画面を見ていました。戦犯たる脚本担当者が誰なのか確認するためです。しかしなかなか出てきやしねえ。ひょっとしてもう見過ごしてしまったのでは、と疑問が出かかったあたりで、スタッフロール最後に「監督・脚本:後藤庸介」とありました。監督も兼任かよ。こんな映画に誰がしたのかわかりました。この人物が最高に雰囲気ある心霊ホラー設定を、狂人トラブル物語で潰してしまった張本人です。脚本・監督を占めてるてことは、映画も最初から徹頭徹尾この内容で製作してたわけで、宣伝文句に騙された私が浅はかでした。私は考察型と相性悪いんだ。今後に邦画ホラーを観る時には製作スタッフを確認します。この人の名前があったら宣伝文句と内容に乖離があるので、その映画には注意します。

これが明らかに稚拙なアイドル頼りのしょぼいホラー邦画だったら、こんなに不満も感じなかったんだよ。最初から「隔離地域で狂気カルトに襲われる映画」を期待して観に行けば、むしろ高評価だったかもしれない。観客に見せる情報量整理は巧みに構成されてるから、過不足無く物語が頭に入り理解できる。考察型にありがちな散漫な伏線未満バラ撒きは殆どないから、設定も物語も良くまとまってる。途中で期待ジャンル違いに気づいて、脳内の鑑賞態勢変更しながらでも話について行けたからな。だから結論は「ジャンル違いの不幸な出会い」です。私が劇場代金払って期待していた内容は、怪奇現象の因果解明であって、対人トラブルの悲劇じゃなかったからです。


映画3本観る 連続児童殺人サイコキラー系作品

2016-04-05 03:30:34 | 映画の感想
DVD借りてきて映画を連続して観ました。

3本観て、どれもが連続児童殺人を題材にしたサスペンス映画なのですが、3本とも事件以外へ話が逸れていくため、サイコキラー対警察の執念、という構図を見られず気分がスッキリしません。連続殺人事件の捜査はこんなにつらい的な、足の引っ張り合い、表向きの解決、思い込みだけで対立、など別に事件を児童殺害というとりわけ陰惨なネタに使わなくても良いのではと、トータル7時間くらいずっと疑問でした。ギャングやマフィアの抗争で良いよね、これ。

「チャイルド44」
「マーシュランド」
「オオカミは嘘をつく」
以上3点。

サイコキラーを追いつめるハンター的期待で観ると失敗でした。しかし映画単体としては良作で、
「マーシュランド」
は映像が綺麗、緊張感の続く雰囲気、観客に伏線を伝える手堅く簡潔な描写、情報は全て見せた上での含みを持たせたラストなど、評判の良さも納得の出来。
「オオカミは嘘をつく」
は完全に作り手にしてやられたトリック作品。正直ラストのオチは読めてました。読めてましたけど、それは私がこの映画の仕掛けを見破ったのではなく、多くの「この手」の映画を観てパターンから類推して、それが当たったというだけの話です。だからオチだけ読めても途中経過は全部予想外。話がどこまで転がっていき、どうやって畳むのかまったく想像付きませんでした。決して行き当たりばったりや唐突な展開では無いのです。前フリは劇中にしっかり描かれていて、でも普通そっちには転がさない方向で話が進みます。この「結果は判明しているが、経過がまったく予想できない」という経験は初めてかもしれません。いや、最後の場面での真相だって「ほら、期待通りのラストに繋がったぞ、予想が当たって良かったな」と作り手がこちらの想像に、あえて合わせてくれたのでは、という疑いすらあります。
というのも、話の脱線や、監禁拷問という題材の派手さに見落とされやすいと思われる、状況変化による人物の心情描写が物凄く上手い。話が転がるほどに人物間での主導権も次々変わるのです。とても自然にわかり易く。
題材が連続児童殺害事件に報復監禁拷問と血なまぐさいテーマですが、本編はつい笑ってしまうコミカル場面も頻出します。いわゆるギャップ芸、画面見ながら、何度も「そっちかよ」「そうじゃねえよ」「おまえかよ」とツッコミ入れてしまうこと多数。
たいへん面白い映画でした。


三身合体

2015-05-11 04:13:29 | 映画の感想
昔のゲームで、いや、今もあるけど女神転生てゲームで、悪魔3体を合体させる三身合体というのがありました。強力な「魔神」を作るには必須で、素材も優秀なのを使う必要があります。

ゲーム由来の言葉で、現在では「3つ合わせたら予想外な結果が出た」と言う意味で使われることが多いようです。
私にも当てはまる事例がありました。

好きなもの3つ。3つ揃って検索したらどうなったかという話。


・ルトガー・ハウアー
個性派俳優さんです。どんな善人役でも酷薄な殺人犯に見えるのは「ヒッチャー」で殺人鬼ジョン・ライダー役が嵌りすぎてたためで、世間的にはブレードランナーの戦闘レプリカント役が有名ですが、私には殺人ヒッチハイカーの人。

日常にすいっと入り込んで来て、隣の席から何気なく殺意を向けてくるすごい怖い人。怖い人役で世界一だと思ってる俳優さん。善人役もいっぱい演じてるけど、悪役より怖く見えるので使いにくい俳優だとも思います。顔の造りが鋭角的で、眉も唇も薄くて、笑顔でも爬虫類のような冷たさを感じる実に悪役顔。「ブラインドフューリー」でも「サルートオブザジャガー」でもいいよ、一目見れば筋肉量も凶器も特殊メイクも使わずに、怖さを出せる人が居るとわかります。「ホーボー・ウィズ・ショットガン」でもバンバンショットガン撃ってましたが、丈の長い上着にショットガンがこんなに似合う人、他に居ません。

大ファンですけど会いたいと思わないし、きっと目線を合わせるのも無理です。 私がジョンライダーにびびり過ぎてるだけで、むしろ人情味ある悪役とは言い切れない、複雑なキャラを演じることが多い俳優さんですが、本気で悪役演じたら半端じゃなかったので、こんな評価にしてます。

・サム・ペキンパー
バイオレンス映画の巨匠と言われる偉い人。スローモーションで血が飛び散る銃撃戦場面をよく撮ってて、どうしようもないならず者達が撃ち合いながら数を減らす「ワイルドバンチ」や「戦争のはらわた」とか、かっこよくない嫌な暴力の上手い映画監督。どうせみんな死んじゃうんだろ、やっちゃえやっちゃえと、感情移入せず意地悪な視点で見ると楽しい映画を撮った人です。
この欄は他に置き換えても成り立ちます。私の好みの話ですから。
・ラロ・シフリン
作曲家。「燃えよドラゴン」「ミッションインポッシブル」などの派手な音楽を書いた人。作品ごとにやる気のムラが多くて、出来不出来の差が大きいとも聞きますが、私は「マグナムフォース」のイントロ大好きです。開始25秒からの低音の重なりのわざとらしさが古臭くて素晴らしくかっこ良いです。今はこんな直球でスタートダッシュかけてくる曲ありません。

・ロバート・ラドラム
サスペンス系謀略小説の大御所。ジェイスン・ボーンの生みの親。並みのサスペンス作家の3倍の濃さがあるとか評判を聞きましたが、いつも前半で力尽きて後半で失速する作風も持ち味の一つなのでしょうか。「暗殺者」も「マタレーズ暗殺集団」も初っ端の詰み状態スタートから、じわじわと体勢を巻き返していく前半の緊迫感と盛り上がりは凄まじいのですが、状況が安定すると気が抜けるのか、ぞんざいな展開でがっかりします。

貶したような記述もありますが、基本的にはどなたも好きなジャンルで上位に来るので、ファンだと自称します。
そしてそれら好きなもの三つを、三身合体させて何が生まれるかと言うと。

「越中詩郎」

プロレスラー?ヒップアタック?
どうしてこんなことになったのかというと。
主演:ルトガー・ハウアー
監督:サム・ペキンパー
音楽:ラロ・シフリン
原作:ロバート・ラドラム
の条件で検索して出てくる映画があって、タイトルは「バイオレント・サタデー」
元は「オスターマンの週末」というラドラム作品の中では地味な小説。3組の友人夫婦6人がCIAの計略で殺しあうという、数年前から流行ってるデスゲーム系漫画の先鋒みたいな話です。一般人が主役なので日常品を使ってあれこれ工夫して殺しあいます。その映画のテーマ曲が越中詩郎の入場テーマに使われてます。

映画バイオレントサタデーを観るより先に、越中詩郎の入場テーマで知っていたので、検索した動画を見たら、予測外なところから馴染みの曲が流れて動揺したのです。

検索条件全部横文字なのに、日本人のおっさんが出てくる不条理感。

若い頃のルトガー・ハウアーの蛇か猛禽じみた鋭い捕食者顔を期待して検索したら、越中詩郎の丸顔に行き当たった私の受けた衝撃が伝わるでしょうか。


所属エリアが違うのでやりませんけど「ワグナス!ワグナス!」とコラージュが作れそうなショックを受けました。わかっていたろうにのう。


ジョージ・ミラー

2014-02-27 01:57:35 | 映画の感想
ジョージ・ミラーという映画監督さんがいます。代表作はマッドマックス。
わりと荒んだ幼少期を送った私のメンタルに多大な影響を及ぼした方で、脅威を感じたら手段選ばずやれ、という価値観の根本を教わってしまった気がします。モヒカンヒャッハー大暴れな2が世界的に有名ですが、1作目の怖い暴走族を終盤で一気に轢き殺す内容もけっこうえげつなくて、本来公用車であるはずのパトカーを勝手に無茶苦茶な改造したあげく、さらに勝手に持ち出して私怨にまかせて轢殺しまくるという、結局すごい暴力を駆使したほうが勝つという身も蓋もない真理を教えてくれました。フォードファルコンGT351キュービックインチV8インターセプター。本当かどうか知りませんが当時の宣伝文句には600馬力のモンスターマシンとあって、たかが人間轢き殺すのにそこまでパワーはいらんだろと思います。実際の相手はカワサキの大型バイクなんですがそれでも第二次大戦のティーガーⅠが650馬力なんだからパワーでかすぎ。架空車両の設定にケチ付けるのも野暮ですが、つまるところ凄いスピードで凄いパワーをぶつけたら人間相手なら絶対勝てる理論を映像化したわけです。別にこれが最初というわけではないのですが、終盤の暴走族ボスのトゥーカッターを追い詰める場面、バイクのカウルが風圧でぐらぐら揺れる速度で走るのをぴったり真後ろに着けて追いかけるインターセプターの異様な迫力は子供心に大変なショックを受けました。初めて意識した「殺意」の映像。しょせんフィクションと言ってしまいたいのですが、あの撮影は一手ミスすると死人が出ます。CGも特撮技術も予算もないスタッフが勢いで撮った映像。ジョージ・ミラーさんは映画撮る前は救急医療現場で働いてたそうで、実際の交通事故被害を山ほど見て参考にしたそうです。そら怖いわ。
そんなモノ見ながら育った私は普段から安全運転を心がけていてスピード違反切符切られた経験は1度だけです。
それはともかく、1ですごいスピードでクラッシュ、2でモヒカンの群れが次々クラッシュ、3でもクラッシュしてたけど前2作程ではないので除外。結論を言うとジョージ・ミラーという人は凄い暴力的な映画を撮って限界まで行っちゃった人。私の中ではそういうポジション。バイオレンス映画ならサム・ペキンパーとかウォルター・ヒルとか深作欣二とかいるけど、あの辺はまだ人間関係を描いてます。利害関係やらで対立してく過程があって最終的に衝突するわけです。マッドマックスってそれがありません。見知らぬ他人にいきなり襲い掛かる凶暴な暴走族と、それに躊躇無く反撃して殺害する人々。多分互いに名前なんてろくに知らないけど初っ端から始まる奪い合いと殺し合い。そして2時間近い上映時間の間、どっかんどっかん車がぶつかって人がゴミのように吹っ飛んでく。ゾンビとか殺人鬼って人間の暴力の延長なのですが、これは別種のものでクルマという最初から人体が喰らったらひとたまりもない出力を振り回す映画です。なんという暴力。

といわけでジョージ・ミラー監督から成長初期の私は「問答無用の暴力の有効性」というものを学んでしまって、わりと暴力に抵抗の無い歪な人格に育ちました。私が書いたり動かしたりする人物像が態度と言動にちぐはぐさが出るのはそのせいです。相手に対して好き嫌いとか憤怒や憎悪とかの感情が無くても殴り倒せちゃう変な人。周囲に理解されないだろうし、それを求める気も無いので穏やかに他人と距離をとりながら暮らしてますけど、私を怨んでる人は「あいつ狂ってる」と思っているでしょう。


でも超暴力映画な話だけならわざわざテキスト書いたりしません。

ジョージ・ミラー監督が暴力の限界ぶっちぎってどこに行っちゃったかという話です。
「ベイブ」って映画があります。1995年製作の子ブタが牧羊豚になる話。ちょっと馬鹿っぽいけど素直な性格の子ブタがみんなに丁寧に挨拶しまくって牧羊犬大会で優勝する話。暴力要素0。
「みんなならんでくだちゃい」「うん、わかったー」
あれ、どっかで見たような構図。うちにも丸くてちっこくて肌色なのが居ます。トコモンて子ブタっぽいですよね。ちなみに私がトコモンをかまうようになったのが1999年。子ブタ萌えなんて4年前にすでにジョージミラー監督が通った道だったのです。暴力志向が行き過ぎて限界突破しちゃうと可愛いモノに向かうらしいです。もう殺し殺されのバイオレンスなんてうんざりですよ。クラッシュシーンなんてどれも同じです。私の所有する映画DVDは4本だけですが「マッドマックス」「マッドマックス2」「ブレイブハート」「スターシップトルーパーズ」どれもこれも人の手足が千切れ飛ぶ場面満載です。もう腹いっぱいだわ。
だから私もジョージ・ミラー監督にならって可愛いモノに走りました。こうやって思い返すと面識も無いけれどまるで人生のお師匠様です。黙々と彼の軌跡を辿ってるだけです。

バイオレンス期を抜けた私は丸くて馬鹿っぽい顔のトコモンと戯れるのが優先事項になりました。暴力なんて警察と軍隊に任せとけばいいんだよ。
ちなみに私に軍隊を任せるとまずトコモン訓練を始めます。
「いいか!おまえらはブタだ!口でくそたれた後にでちゅと言え!わかったか!」
「はいでちゅ」
「よーし、上出来だ!」
「はいでちゅ」
「なんだお前は!まん丸だな!お前の名前は今日からまんまるだ!」
「はいでちゅ」
「まずはランニングからだ!ぐずぐずするな!」
「はいでちゅ」
たったー、たったー。(トコモンは意外と脚が速いです)
「待て!待てというのに!」
教官の私が置いていかれるのです。奴らはフルメタルジャケットも楽勝です。
とっこーとことことことこもーん♪
とっこーとことことことこもーん♪(あの歌)
「おまえら、まだ走るのか?もう走らなくてもいいぞ」
「はいでちゅ」

すっかり腑抜けた私のことはさておき、ジョージ・ミラー監督はまたマッドマックスの新作を撮る予定だそうです。それじゃ私もそろそろバイオレンスに戻るかなー、とはなりません。暴力志向は8年程前に実装石という奴ら相手に散々ぶちまけました。なんの自慢にもならないけれど、私は実装石を虐待させたら世界ランキングの上位10人に入ると思います。本当に自慢にならないな。生活するうえでまったく役立たないスキルです。実装石というのは昔ふたばちゃんねるで流行ったネットキャラですが、あまりに無作法な界隈だったので忌避対象扱いにされた残念なネタです。その残念扱いになった原因は虐待ネタという誰が聞いても眉をひそめるジャンルに染まったためです。そんな反社会的テーマの中で私は堂々と「好きで書いてます」とmixiでもブログでもツイッターでも公言し、個人保管庫というホームページまで作る虐待派の極北だと思うのですが、ここまでやってしまうと誰もが呆れてしまうのかほとんど叩かれたり批難されたことがありません。されたのかもしれないけど私の視界内には見当たりません。されたところで私は変わりません。


ホラー耐性

2013-10-14 00:48:41 | 映画の感想
私は昔からホラー映画とかたくさん見ました。2ちゃんねるオカルト板をよく覗いていた時期もありました。ここ数年間はネットラジオなどで散々怪談話を聴きまくりました。
さすがにこれだけ接する期間が長いと耐性が出来てしまって怖がる感覚が麻痺してきます。キチガイ大暴れとかは怖いけど、それは警察に任せる事案だし、放射能とか毒物は保健所あたりの出番かなと思うので、単なる一般人には案外遠い。二世代前には世界大戦があってある日突然巨大な暴力に生活が破壊されるという危機もあったのだけど、現在日本は法整備とか整っちゃって大地震などの自然災害を除けば、この日常が一気に崩壊とかはなかなか無い。前振り長いな。

ホラー映画を楽しめない、という話です。どうしても作り手の視点で見てしまうのです。
最近のゾンビはCGなのでニコニコ動画のミクミクダンスの同類です。80年代にスラッシャーホラーというのが流行りまして、ゾンビや殺人鬼が暴れて血がブシャーと飛び散るスプラッター全盛期、特殊メイクがもてはやされた頃に私もたくさん映画を見ました。被害者より殺人鬼側視点で見る変な子供でしたが。ジェイソンは何でも武器にする器用さと手早さで魅せる職人芸。フレディはちょっと悪ふざけが過ぎる、結局いつでも夢に引き込めるのを本人が自覚してるから仕事の態度が不真面目で、あまり好きではありませんでした。ああいうへらへら系悪党って好みに合いません。バットマンのジョーカーとかも悪事が回りくどいし、そんなおふざけキャラに毎度振り回されてるバットマンも個人的にはボンクラヒーローに見えます。ハロウィンのマイケル・マイヤーズは不死身の覆面殺人鬼の元祖ですが、獲物を選り好みし過ぎる(基本的に身内を狙う)ので行動を読まれて、回を重ねるごとに扱いがちょろくなりました。始めは漠然と「妹を殺す」くらいのつもりだったのでしょうが、高所から突き落とされたり、ガスで火だるまにされたり、と壮絶な抵抗に遭い5作目くらいだともう「なにがなんでもぶっ殺す」と恨み骨髄怒髪天ぽいのですがやっぱり返り討ち。また話がずれた。

なんの話しかというと「中の人」の話です。ゴジラに人が入ってるように、ゾンビだってジェイソンだってブギーマンだって中身に役者さんが居ます。スタントマンさんです。「新・13日の金曜日」でジェイソン(新のジェイソンは偽物だが)が最後に残った獲物を追い詰めていく場面、たしか女一人が最後に残った筈なのですが、コイツが物凄く抵抗する、死に物狂いを越えて逆襲する勢いで、何かの拍子によろけてつんのめったジェイソンの後頭部めがけてTVを叩き落としやがったのです。80年代のアメリカのTV。ごついブラウン管のやつ。おそらく撮影用に中身を抜いてるでしょうが、枠だけだってかなりごつい。しかもインパクトの瞬間に火花が散ってるから火薬を仕込んでるぽい。当時まだピュアな子供だった私は「もうやめて!」と思ってしまいました。ジェイソンの中の人が死んでしまいます。その時から見方が変わってしまって、血がブシューと出るのは所詮特殊メイクだからと気にならなくなりましたが、スタントシーンには神経質になりました。だからというかホラー映画が怖くない。スタントマンの頑張りを想像してしまっていつも視点がずれます。

今日は「サンゲリア」というイタリアお得意のパクリゾンビ映画を見ました。グロさで有名な作品ですけど、私はグロ耐性割と高めなので30年も昔の安い描写には動じません。それでも数箇所見ていて引いてしまう場面がありました。
その1。
ゾンビVS鮫。海の中でゾンビが鮫とガチ喧嘩。つまりカリブ海の本物のでかい鮫相手にスタントマンに「襲いかかれ」とけしかけたわけだ。鮫に組み付いてヒレに噛み付きゾンビは健闘するけれど、鮫が向き直ってゆっくり近づくと明らかにゾンビの腰が引けてる、手で追い払う仕草をする。もう演技ではなくなってます。あと、ゾンビが呼吸するのは変なのでスタントマンは息を吐きません。あぶく一粒も漏らせずに水中でアクションシーンをやらされた彼の苦労を思うと、スタッフの無茶ぶりにムカつきすら覚えます。
その2。
ゾンビの群れに火炎瓶。一見、ゾンビを焼き払うとか普通過ぎる攻撃なのですが、実際のところはゾンビ役の役者さんに火だるまになってもらうという、これまた無茶な撮影。この映画は古いので、バイオハザード以降の全力疾走する元気一杯なゾンビではありません。眠るような虚ろな表情でゆっくりと動くレトロゾンビ。ということはゾンビ役の人たちは手足に火がついて燃え上がっても、表情を変えず、手足もそのまま、場面が変わるまでは我慢していないとなりません。ハロウィンのマイケルさんがガス爆発で火達磨にされた時はスタントマンが防火スーツを着込んでいました。若干体型が変わっても炎と暴れる動きでごまかしていました。けれどサンゲリアにはそんな気の利いた対処を見受けられませんでした。低予算ぽいし、ボロ布巻いた程度の粗末な衣装に火がついて次々炎上。ゾンビの腕が燃えて焼け落ちる場面があって、それは実際の腕は胴体部分に入れて肩から吊るしたダミー腕を燃やしていたのは、見てればすぐわかりますけどだからといって脇腹の真横でメラメラ火が燃えてるのが熱くないわけがない。自分だったら反射的に「あっちー!」とか言って飛び上がりそうです。つまりゾンビ役の役者さんは服に火をつけられてもカメラが回ってる間は我慢しろと指示されて、実際我慢したわけだ。ひどい映画だ。

CGが発達する前はこんな無理無茶無謀がまかり通っていたわけだ、映画って怖いな。今はどうせCGだろとか、低予算映画だと「ここで画面が見切れているのは横でスタッフが仕掛けを動かすためだろ」とか、余計なことばかり考えてしまってある意味安心だけど、だからといって低予算が言い訳になると思うなよ。パラノーマル・アクティビティのことだよ。


映画を見ました(ストライクウィッチーズ劇場版)

2012-03-22 22:58:56 | 映画の感想
毎度のことですがネタバレ全開です。

ひどい主人公補正を見ました。新キャラが加わりましたが、そのせいで異常なほどの主人公上げが顕著になりました。TVシリーズでは登場人物が基本的にみんなスーパーエースなので主人公の怪物具合も目立たなかったのです。最大のシールドが張れる、回復魔法が強力、など能力が地味なので他の501部隊の攻撃一辺倒なメンバーと活躍が被らずに済んだというのもあったのでしょう。しかし今回はさらに地味な新人ウィッチという比較対象が出てきてしまいました。わざわざ比較しやすいように性格も対照的に作られてるのです、新キャラの「服部静夏」さん。それが見事に主人公の引き立て役となり、頑張っても報われないかわいそうな子になってしまいました。制作側は意図してないのでしょうが不憫な子です。

そもそも主人公の「宮藤芳佳」という奴はいわゆる天才型主人公で、努力の必要がありません。掃除したり料理したりと下働き場面が多いので一見下っ端的に見えますが、母方は祖母の代からのウィッチの家系で、父親はストライカーユニットの開発者というサラブレット家系です。訓練無しにストライカーユニットを使いこなし、圧倒的な魔力の才能で誰からもひと目置かれるチート娘です。ほっといてもピンチになれば都合良くパワーアップします。冷静になって客観視すれば鼻持ちならない嫌な奴なのですよ。しかも感情的で命令違反は毎度のこと、それなのに結果的には良い成果を上げるという、非常にムカつく特性があります。
これまでは坂本さんのような基本的に天然でおおらかな人の下にいたので結果オーライで済んでたわけです。

そして一方の当て馬の新キャラ服部さんは、生真面目な軍人キャラです。集団にあって個を抑えて一生懸命命令に従うわけですよ。元々軍人の家系ながらウィッチの血筋では無かったらしく、ウィッチになって働くにあたり周囲からの期待もあって本人もそれに応えようと頑張ってるフシが見えます。そんな堅物な服部さんは命令無視して独断行動ばかり取る宮藤さんをよく思えるハズがありません。実際劇中では序盤こそ「欧州をネウロイから解放した英雄」として主人公を尊敬してるようなこと言ってますが、段々と対応がよそよそしくなっていきます。当然ですね。立派な人かと思ってたら勝手な行動ばかりしてる。基本的に全て人助けのためで自分の損得で動く性格ではないのが救いですが、自分から危険に突っ込むので護衛の服部さんは大変です。海軍で二年も先輩なのに全然軍人の自覚がない主人公にイライラする服部さん。でも、この人あくまで新人なのです。戦力的には頼りにならない。人命救助で寄り道ばかりしてる主人公に振り回されても反論できない。かわいそうに。軍を離れて料理したら自分の作った味噌汁だけ超マズくて凹まされるとか。かわいそうに。定時連絡しようにもネウロイがジャミング仕掛けてて無線が使えないとか出番が潰れる。かわいそうに。


たくさん書いたけど要は主人公が超幸運で、新キャラが貧乏くじばかり引いてたということです。

敵のネウロイもデカくて変形して機動性もいいけれど、毎回同じの全然当たらないハッタリビーム弾幕だし、たいして硬くないので簡単に撃墜されるとか、所詮はネウロイ。今までどおりの行き当たりばったりな攻撃。序盤で出てきたと思ったらすぐに偵察のナイトウィッチ1人に撃墜されてるので余り怖くはない。つか弱い。相手がナイトウィッチ最強のハイデマリーさんとはいえあっけなく退場。その後も主人公追うように各地に出現するけどどれも各個撃破されてて、あまり良いところはありません。通信妨害とか凝ったマネ仕掛けてくるくせに戦力を小出しに投入してくるとか、作戦的に優秀とは思えない。ぶっちゃけ主人公様に倒させるお膳立てなのが透けて見えます。

私はこの映画に結構期待してたのです。パンツ丸出し空戦アニメですが、戦闘場面はなかなかにかっこよくてたまに変な敵に変な作戦で立ち向かう展開もあって、割とお気に入りだったのです。高度3万メートル上空にコアを持つネウロイ迎撃のために、3段ロケットブースターで飛び上がる話とか、かなり好きです。

なので、劇場版は物凄い強いネウロイが出てきて501部隊再編成して、もしかしたら他の部隊も投入して激戦を繰り広げたりするのかなーなどと勝手な妄想を膨らませていました。

時間の半分くらいはだらだら人助けしていて、たまに仲間が戦闘して、最後に主人公が復活してドカーン、おしまい、な流れでした。話は余り盛り上がりません。主人公は2年前の戦闘で魔力を失っている設定なのですが、どうせ復活するのは分かりきっているので、苦戦場面をみてても尺伸ばしにしかおもえません。


中盤以降でようやく主人公達とネウロイがご対面します。ここまでくるまでダラダラと本筋に関わらない描写が続いていたわけです。飽きます。そして困ったことに今後の展開も読めてしまう。だって魔力を失った戦力外の主人公と、その護衛の新人ウィッチ。新人が頑張って力尽きたところで主人公復活俺のターン開始、になるのが目に見えています。実際そうだったわけだし。

ツクシのように地面から生えてる大型ネウロイと雑魚ネウロイ多数。服部さんは「訓練の通りだ」などと初めての実戦をセオリーに従って戦い雑魚の掃討はできましたがボスには勝てませんでした。そこで主人公の出番です。しかしすぐぬ魔力復活してはつまらないのでしばらく生身で苦戦します。ジープに機関銃のせて敵に接近してありったけの銃撃叩き込んでとりあえず勝ち。でもこの場面の主人公はなんだかキャラが違う。TV版冒頭では「私は戦いません」とかお花畑脳だった宮藤さんとは明らかに別人に見えます。鼻血をまき散らしながら相打ち覚悟で突っ込むのは貴方のキャラじゃないでしょ。それはバルクホルンとかもっさんの役目だと思います。それはともかく、生身の宮藤>フル装備の服部、という構図がここで出来てしまいました。服部さん立場無いですね。かわいそうに。

さて主人公の宮藤さんもツクシネウロイとほぼ相打ちになって重傷を負います。気絶状態から回復した服部さんの目の前にネウロイ本体が地下から出現します。デカイ宇宙戦艦みたいなネウロイ。艦載機が山ほど出撃してきます。もう新人の服部さんの手には余る相手、救援呼ぶにも敵にジャミングされて通信は届きません。ここで新人さんは最後の活躍をします。「敵の通信妨害の及ばない高高度から発信すればいいのではないか」頑張って敵中突破急上昇して通信器で「誰か助けてー!」と泣き叫ぶ服部さん。追ってきたネウロイ軍団に十重二十重に包囲されて大ピンチです。大ピンチなのですがネウロイどもはなかなか攻撃を仕掛けてきません。囲むだけです。殺る気があまり感じられません。
これだけ時間稼ぎすれば十分よね、と501部隊のメンバーが救援に来ます。そしてみんな「宮藤、宮藤」と連呼。魔力の消えた本来戦力外の主人公なのにこの人望。なんなんでしょ。頑張って通信した服部さんには何も無し。かわいそうに。あとは勝手に奇跡が起こるので時間潰し戦闘でそれまで待ちましょう。主人公補正で奇跡の復活を遂げた宮藤さん、馬鹿でかい魔方陣が出て謎の光がビカビカ光ります。ハイハイ俺のターン開始魔王降臨。でもコイツ丸腰じゃん、どうすんの?と思ってたら坂本さんがストライカーユニットを放り投げてくれました。前に主人公が使ってた「震電」です。もうね最初から全員が主人公をアテにしてたのがまるわかり。魔力喪失?引退?そんなわけねー、都合良く復活するのは予定調和です。さあ戦闘だ、と思ったらなんだかた感慨深げにのんびりストライカーユニットを撫でてる宮藤さん。リーネやペリーヌやら仲間たちも駆け寄って再会を喜び合います。いいから早く戦線に加われよ。この間、まだ服部さんは上空で敵に包囲されて大ピンチ中のはずです。みんな宮藤復活に舞い上がって新人は眼中にないようです。かわいそうに。

結局復活した宮藤さんがデカイシールドを張って突撃、ネウロイコアをぶち抜いて勝ちました。そこには作戦も技術も何もなく膨大な魔力のゴリゴリ力押ししかありませんでした。すごいパワーで体当たり。世の中結局はもって生まれた才能と資質で決まるようです。最終戦で何も出来なかった服部さんに向かって坂本さんが「あれがお前の目指すウィッチの姿だ!」みたいなことを言うのですよ。追い打ちですね。私が服部さんの立場だったら立ち直れません。真面目に働いても、規律遵守しても、命令違反独断行動のほうが良い成果を出してみんなも褒めてくれます。自分の素質は並みなので努力しきたのに、生まれつきの才能だけではるかに圧倒的な結果を上げていく天才が比較対象です。あれを目指せ?冗談じゃありません。やってられるかバカバカしい。坂本さんは基本的に無理を通して道理を引っ込ます人なので、常人がついていくにはかなり厳しいものがあります。努力だ訓練だと言いながらその実「奇跡ゲージ」をじわじわ貯めてる人なので、彼女も一種の超人です。魔力無くなったというのに烈風斬とかやる人です。501メンバーには超人しか居ないのですよ。そこに比較対照的に組み込まれた「新人」ウィッチの見せ場と言えばどうしたって未熟さを露呈する場面しかありえませんよね。そしてそこを主人公が救う。これが他所の部隊のスーパーエースなどの設定だったら描かれ方も違ったのでしょうが、そこはハイデマリーさんがもってったので、もう「強い」系個性が飽和してるので弱いキャラしか出しようがなかったのでしょう。元々この作品では未熟特性は主人公のものでした。民間人から特別に501部隊に編入されて軍人だらけの中で民間人的お人好し描写でキャラ立てしていたのです。そしてこのお人好し系の性格は戦闘モノでは判断力の甘さというマイナスな要素で表現されることが多く、実際この作品もその類です。基本的に頭脳が戦闘向きでないために逆に身体能力部分で優れていないと主人公役が果たせません。なのでこの主人公は感情的非合理的性格で才能だけ突出した設定になったのだろうと思います。これで才能もなかったら足引っ張るだけの役立たずですから。
ここまでは良いのです。主人公が最も新人だったから未熟でいても困らない。でもコイツ以上に未熟な軍人は要らない、というか居ちゃいけない境界線です。だから新人は主人公の後輩ながらのほほんとした性格ではまずい。
あれ以上に感情的なキャラだと「居ない方がよくね?」となるので、少なくとも内面的には主人公と対照的な生真面目キャラにする必要があったのだと思います。でもね、所詮は脇役だから主人公より強くはなれない、なっちゃいけない。新人ならば経験不足という差があってしかるべきだから尚更落ち度が目立つ描写になります。結果本人は真面目で頑張っているのに片っ端から手柄を奪われる大変不憫でかわいそうな子ができました。劇中で彼女の判断が間違っていた事例はありません。大を生かすために小を切る、リスクを最小に抑える決断です。しかしそこを全部主人公が理不尽な活躍で逆転打開し成果をあげているだけなのです。ひどい主人公補正。

中盤までストーリーらしいものもなかなか進展せず、所々で戦闘シーンはあるものの、主人公は無関係な人助けばかりに追われてネウロイと接点が無いまま中盤まで進み、ようやく始まった戦闘も敵の攻撃の段取りがどうにも杜撰で緊迫感なく、主人公は都合良く強化され、最後はパワー全開体当たりという脳筋極まりないお手軽戦法で、挙句の果てに最後には「つづく」の文字が。
服部さんの引き立て役人生もこれから続くのでしょうか。かわいそうに。


散々文句付けてきましたが、一つだけ私のお気に入りの場面があります。最後の大型ネウロイとの決戦中、はるか遠くから強力な援護射撃が飛んできました。場所はカールスラント内陸部(ドイツのあたり)私はカールスラント軍が列車砲でも引っ張り出してきたかと期待したのですが、実際はもっとすごいヤツでした。戦艦大和が浮き袋を付けてライン川を遡上、46cm主砲9門でドカドカ撃ってきていたのです。火力は絶大。ネウロイの装甲を吹き飛ばしすぐコアが露出したので、そこにウィッチーズが体当たりして勝負あり。
ああ、戦艦ってそうやって使うんだー。馬鹿じゃねえの(褒め言葉)。