続・トコモカリス無法地帯

うんざりするほど長文です。

兵馬俑

2013-04-18 19:54:23 | 収集物
身体の蓄積ダメージが確実に増えていきます。眠っても、休んでも、回復しません。具体的には足の腫れが引きません。持病の坐骨神経痛のバージョンが上がったらしく短時間でも症状が現れなかなか治りません。座り仕事だから腰から神経が圧迫されて右足がたちまち痛み始めます。わかっちゃいるけど机に向かわないと何も作業ができないから、自動ダメージが毎日積み重なり、現在は流血沙汰です。血が出てるのです、やばいよね。

正直なところ、身体の耐用年数は自分で思っていたよりも短いらしく、ここ数年で目に見えて不調箇所が増えました。血行とか筋力の低下がなかなかに酷いです。やっと生きるのが楽になって気負いも消えて気持ちが軽くなったのに終点はすぐに来そうです。毎日馬鹿みたいにプラモ組んでるのはいずれひっそり孤独死する自分のための埴輪造りのようなものです。古代中国・秦の始皇帝の墓に武人像がズラーっと並んでますが、それのミニマム版をやるつもりなのです。ガンプラとか。トランスフォーマーとか。ウルトラ怪獣とかで。
死にそうな頃を見計らって寝床の周囲に並べておくのです。大家さんとか管理会社とかにはいい迷惑ですが、それらの片付けもあんたらの仕事ですよ。

古代ではとにかく物資も技術も無いから途方もない権力で部下を働かせて兵士像を作ったのでしょうが、現代では規格・商品化されてるから立体物並べるのも簡単よね。ウチの300体のロボプラモのほうがデザイン的にもブッ飛んでて、古代陵墓の副葬品の群れより見てくれは面白いと思います。実在の兵士をモデルにして装備に若干の違いはあるものの、似たような見た目だから飽きるでしょ。三十三間堂の千手観音とか同じものが並んでて、始めはいいけど見てるうちにつまらなくなってきます。そこで裏手にまわると二十八部衆が置いてあって楽しいのですが。それでもいずれは飽きます。何の話かというとデザインの話。

映像技術が発達するまで、私が思うにおそらく1966年まで「人外」の姿はキメラの領域を越えられなかったと思います。映像を介さず言語で怪物的容姿を解説する場合、既存の生物のパーツを組み合わせるしかありません。個人で物凄い異形を思いついても他者に伝える方法がありません。発想者本人に画力があれば伝えるのも可能でしょうが画材とか描画技術とか別の問題も出てきます。というわけでそれまでの怪物は「筋肉はゴリラ、牙は狼、燃える瞳は原始の炎」などのパーツ合成キメラ型や、手足の多いインド系神仏など、既存のパーツの組み合わせになります。ヤマタノオロチは首パーツの増加、ドラゴンはトカゲ形状に翼と角追加と、やはり既存生物パーツで構成されています。誰も見たことの無いモノは描けないし伝えられないから、そんな物体イメージは定着出来なかったのです。かの名状しがたきクトゥルフ神話怪物さえ海産物の姿です。

ゴリラの延長で「キングコング」が現れ、恐竜の延長で「ゴジラ」が現れ、想像上の龍の延長で「キングギドラ」が現れました。ここまでが当時の限界。発想の限界。

では1966年に何が起こったかというと「ウルトラマン」が制作されました。言語を介さず直接映像で伝えられる異形達。特にゼットン。ゼットンを知らない人に言葉だけであの姿を伝えることは不可能だと思います。私には無理。顔面の構成すらどの生物にも似ていない。何かに例えようが無い姿。ゼットンはゼットン。形状を理解するには直接あの姿を見るしかありません。生物か機械かもわからない姿。従来の神とも怪物・妖怪からもかけ離れたスタイル。いきなりあれを思いついた「成田亨」って天才だと思います。

あそこでデザインのブレイクスルーが起こり、パーツ合成構成から異形そのもののイメージを全体共有する方法が確立されました。確立されたらあとは増えるのみ。当時はベビーブームで子供が多かったために子供向け番組が数多く制作され、特撮・アニメと様々な媒体で次々と生み出される怪獣・怪人・怪ロボット。この数十年で「強そうな姿」のイメージは爆発的に増えバリエーションはもはや個人で把握は不可能です。描かれたイメージが発表され共有され、それを元にさらにイメージを膨らませる、加速度的にデザインは洗練されおそらくはこれからも進みます。

百年前とまで遡らなくてもいい、戦前くらいの時期でも神話のエピソードのような「巨人が大暴れ」の画像は多分巨大なオッサンの姿だったと思います。鎧兜でもつけてれば上出来。現在、古代伝承から伝わる巨人のイメージはロボットアニメ等に姿を変えているのだと思います。巨人はロボに、龍は怪獣に。どの民族にも巨人・龍に関する伝説は存在するらしく人類普遍的な強者のイメージなんだそうです。


そいで強そうなデザインの革新が起こった後に生まれた私は自分流に兵馬俑を作ってみようと考えてるわけですが、それがお手軽に実現できる現状に感謝して、毎日へらへら喜びながらプラモデル組んでいるわけです。もしも自分が二千年も前に生まれていたらこんなに多様なデザインを並べて楽しむなど、到底かなわない娯楽です。だって二千年前なんて戦術戦略も確立してないから槍・弓・騎兵くらいの違いで見た目的にもつまらないです。今なら偵察用はレドーム載せてて、格闘戦仕様は装甲スパイクトゲだらけで、遠距離狙撃型は長モノ背負ってて、水陸両用は丸くてツメが鋭いわけです。千差万別。バリエーション豊富でたいへん面白いです。