今回はちょっとマイナーどころで鈴の家馬勇さん。
先代馬生師匠の弟子で本名大山明美さん。
寄席通い始めたころにまとめて真打になられました。金原亭角助→馬六→鈴の家馬勇
若くして亡くなられています。
「町内の若い衆」 昭和54年12月25日 末広亭
「居候」 昭和55年3月3日 池袋演芸場
お世辞にもうまい方ではなかったが、通っているとこういう売れない噺家さんの噺を聞くのもまた楽しみになったりする。
先代馬生師匠の弟子で本名大山明美さん。
寄席通い始めたころにまとめて真打になられました。金原亭角助→馬六→鈴の家馬勇
若くして亡くなられています。
「町内の若い衆」 昭和54年12月25日 末広亭
「居候」 昭和55年3月3日 池袋演芸場
お世辞にもうまい方ではなかったが、通っているとこういう売れない噺家さんの噺を聞くのもまた楽しみになったりする。
コメントありがとうございました。まさか馬勇さんの記事にコメントいただけるとは思わなかったので嬉しいです。
粗忽の釘ですか。この人の噺を聴いただけでも自慢できます。但しある一定の落語ファンのみ。普通は相手にされません。「あ、そう」ってなもんです。
感謝です。
ご親族からのコメント恐縮です。大変失礼な事を書きましてお許しください。
早くにお父様を亡くされたのですね。
素人の私より何倍も上手です(フォローになってないw)落語を生業としているだけでも尊敬ですよ。
昭和54年ころ年150回くらい寄席・落語会に通いました。当時の落語家さんもどんどん物故され寂しい限りですが、馬勇さんのことは忘れないでしょう。