JOEは来ず・・・ (旧Mr.Bation)

なんの役にも立たない事を只管シコシコと

歌舞伎俳優の中村勘三郎さん死去

2012-12-06 | 旅立った方々
江戸時代の芝居小屋を再現した「平成中村座」など歌舞伎界に新風を吹き込み、テレビや映画、現代演劇などでも活躍した人気歌舞伎俳優、中村勘三郎(本名・波野哲明=なみの・のりあき)さんが5日午前2時33分、急性呼吸窮迫症候群のため東京都文京区の病院で死去した。57歳だった。

勘三郎さんは平成24年6月、食道がんを公表。7月に摘出手術をし、回復が伝えられたが、抗がん剤治療などにより免疫力が低下、肺炎を患い、重篤な状態が続いていた。

勘三郎さんは昭和30年5月、人間国宝だった十七代目中村勘三郎さんの長男として東京に生まれ、34年、東京・歌舞伎座「昔噺桃太郎」の桃太郎で五代目中村勘九郎を名乗って初舞台を踏んだ。若い頃から才気煥発をうたわれ、歌舞伎だけでなく、さまざまなジャンルで活動し、一躍人気者になった。平成17年3月、十八代目中村勘三郎を襲名。

芸域は幅広く、立役を中心に女形も演じ、世話物では江戸歌舞伎「髪結新三(かみゆいしんざ)」の新三、上方狂言「夏祭浪花鑑」の団七など何を演じても舞台で生き生きと躍動、抜群の芝居センスと花のある風姿で圧倒的な人気を呼んだ。江戸時代の芝居小屋を蘇らせた「平成中村座」は国内だけでなく、ニューヨークでも公演し、大きな話題となった。また、テレビでも活躍、NHK大河ドラマ「元禄繚乱」の大石内蔵助役などでも親しまれた。

平成11年に日本芸術院賞、16年に菊池寛賞、20年に紫綬褒章など。(産経新聞)
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勉強不足のため歌舞伎を生で見たことない不届きものです。
勘三郎さんの芸については何も語れる物はございません。
談志師と仲の良い役者さんでしたね。
2人でヘベレケに飲んで翌日の談志師が翌日の一人会を抜いたため、そのお詫びに駆け付けたなんてエピソードがありました。
「今晩、家元が喋れないのは私の責任です。」

勘九郎だった頃の談志著「談志百選」を読み返してみる。
上記のエピソード、詫びる勘九郎に観客から
「イヨォ、中村屋ァ」と声がかかったんですね。

「喜怒哀楽の表現なんざァ、いとも簡単に出来るだろう、けど、それは歌舞伎という型の中での表現であり、それを突き抜けたとしても、家元の落語同様伝統芸の粋での抵抗だろう。そうでない表現、己れの中にある衝動とそれらが観客の常識と一致しないが、それでなければ己れが治まらないというときがくるよ、絶対くるネ、その時が面白いネ。それは歌舞伎全体の芸の問題(こと)でもあるが、それを背負わされるのは中村勘九郎一人だろうネ・・・」
に、珍しく真剣な眼をしてた。

相変わらず、難解な表現の仕方ですが・・・

伝統を重んじ、なおかつ新しい事にチャレンジし続けた勘三郎さん。何がしかの影響は確実にあったんでしょうね。
57歳。あまりにも早すぎますね。

シネマ歌舞伎なら安く見れるようです。
「籠釣瓶花街酔醒」のあばた面、見てみようかな・・・

ご冥福をお祈りいたします。

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