JOEは来ず・・・ (旧Mr.Bation)

なんの役にも立たない事を只管シコシコと

訃報 中利夫さん。元中日ドラゴンズ中暁生選手

2023-10-15 | 旅立った方々
元中日監督・中利夫氏が誤嚥性肺炎のため死去 87歳 1960年に盗塁王、67年首位打者

中日は14日、元監督の中利夫(なか・としお)さんが10日に誤嚥(ごえん)性肺炎のため名古屋市内の病院で死去したと発表した。87歳。前橋市出身。葬儀・告別式は近親者で執り行った。
前橋(群馬)から1955年に中日入団。60年に50盗塁で盗塁王を獲得し、67年は打率・343で首位打者に輝いた。通算81三塁打はセ・リーグ記録だ。
身長1メートル68と小柄だったが、体格の不利を工夫で克服した。“ちょうちん打法”も考え抜いた技術。投球が高めに来ると腰をかがめ、低めでは膝を伸ばして「ボール」を稼いだ。三振も少なく、18年間で473三振。およそ16打席で1個の割合で、現役時代に対戦し、当時阪神の名投手だった江夏豊さんが「粘って甘くなったところを打たれた。始末の悪いバッターだった」と嘆いたほどだった。
通算成績は1877試合出場で1820安打、139本塁打、347盗塁、打率・277。72年に引退後はコーチを経て、78年から3年間、監督を務めた。最高は79年の3位で、通算は157勝204敗29分け。

スポニチアネックス_____________________________



小学生の頃、一番憧れてたプロ野球選手。
当方がプロ野球に関心を持ち夢中になったのは1967年から。最初は何も解らないので普通に巨人ファンになった。1年くらい観ていて子供心に当時の巨人中心で回ってる野球という世界に激しく違和感を感じ、対抗する阪神を応援しようと思ったのだけれど、今一しっくり来ない。そんな時、中暁生を知り、この選手の居る中日を応援しよう。そう決めてから、あっという間に熱烈なドラゴンズ・ファンになる事に成功したのであります。(現在のベイスターズへの宗旨変えはドラゴンズ優勝達成翌年の1975年から)



きっかけは中日の中堅手の中暁生(中利夫)さん。このチュン並びの暗刻状態。(もちろん当時は麻雀を知らなかったけどw)
以来、手紙を書く授業でファンレターを書いてみたり、ユニフォームに同じ背番号を付けたかったけど、どっかの大嫌いな選手に憧れてると思われるのがいやで断念したり・・・
プロ野球選手か東大かという文武両道。盗塁、捕殺、高打率の攻走守。カッコ良かった。
「背番号3と言えば長島なんかじゃない、中だ」と言い続けてたし、YGマークのキャップしか売ってなかった当時、CDマークのキャップが名古屋なら手に入ると知り親にせがんだ思い出。
眼病の長期欠場からカムバック。子供心に感じた当時のあの不安と喜び。今でも鮮明に思い出される。
まさに野球オタク少年のHeroでした。

 

監督になられてからも選手の事をさん付けで呼んだり、ガチ体育系じゃないところも良かったですね。

















中暁生(利夫)さんのご冥福をお祈りいたします。

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