風邪が、なかなか抜けきれない。
昨夜はほとんど回復したかと思ったのだが、今朝になると痰がらみの咳が出始めた。
サワンナケットで買った風邪薬が切れたので、朝からここパクセの町を歩き回った。
宿で聞いたとおりに歩くのだが、なかなか見つからない。
通りの雑貨屋で聞くと、別の方向を示す。
その方向に歩いても歩いても、薬屋はない。
汗だくになって角のクリニックに飛び込むと、薬屋までは50分かかるという。
英語の発音に癖があるので訊きなおすと、紙に「50」としっかり書いてくれた。
なんだかぐったりして、とりあえずヌードルを食べることにした。
ラオスでは、人々とコミュニケートするのがなかなか難しい。
英語普及率の問題だけではなく、ホスピタリティに欠けるのである。
タイでは、たとえ英語が通じなくても態度やジェスチャーでなんとか理解しあおうという気風を感じたのだが、ラオスではそれがない。
これは、バスで一緒になったスイス人女学生エレンも言っていたので、決して私ひとりの決め付けではないと思う。
*
風邪をひいたのは、21日(月)である。
ナコーンパノムの宿のファンが壊れて、調整がきかなかったのである。
かといって、スイッチを切ると暑くて眠れない。
やむなく付けっぱなしにしたら、左の鼻と耳が痛くなりお決まりの諸症状が現れ始めた。
この日は対岸のタケークに戻って、この町を散策する予定だった。
しかし、実際にメコン川を渡ってイミグレーションそばの寺に詣でてみると、これ以上この町にとどまる理由もなくなってしまった。
雲行きも怪しくなり、通りかかったトゥクトゥクを拾うと「サワンナケートに行きたいんでバスターミナルに行ってくれ」と告げた。
運転手は最初、ソンテオの発着するローカルバスターミナルに向かったのだが、この体調でクッションのきかないソンテオは辛い。
そこで今度は長距離バス用のターミナルに向かい、30分後に発車する大型バスのチケットを購入した。
バスは定刻どおりに出発したが、開け放しのドアや窓から吹き込む風が強く、くしゃみがとまらない。
約2時間の移動で、風邪は完全に本格化してしまった。
サワンナケットのバスターミナルに着くと、すぐにトゥクトゥクを拾って目当ての宿に向かった。
だが、なんとガイドブックにも載っているその宿は閉鎖されており、やむなくメコン川沿いの「メコンホテル」に投宿した。
一泊9ドルとかなり高めだが、部屋は広くテレビもあり、シャワー室にはバスタブもある。
風邪を治すために休養するには、うってつけの宿だと判断した。
結局、この宿には4泊もして思いもかけぬ長逗留となったのだが、食事以外は薬をのんでひたすら部屋に垂れ込めるという生活には、やはりこの宿は最適だった。
*
昨日25日(金)になっても、やはり咳は治まらなかった。
だが、もうこれ以上ここに留まりたくはなかった。
意を決して荷物をまとめ、宿から徒歩5分のイミグレーションに向かった。
ところが、係官が「タイ人とラオス人以外は船ではタイ側に渡れない」という。
理由を尋ねても、彼はそれ以上の英語がしゃべれず「済まない。とにかく、バスに乗って橋を渡ってくれ」とだけ繰り返す。
対岸には「ムクダハーン」というなんだか魅力的な響きの町が広がっているのだが、ビエンチャンのときと同様にバスで橋を渡る気にはなれない。
ここで、「タイ・ラオス間で開かれた5箇所の国境のうち3つの国境を船で超える」という私の目論見は完全に崩れてしまった。
そのままバスターミナルに向かい、ムクダハーン行きの国際バスではなく、ラオス南部の中心地パクセー行きのチケットを買った。
とにかく今は、前に進みたい気分だった。
12時40分に発車したバスは、途中で大量のにんにくを屋根に積み込むなど、きわめてのんびりと運行し、午後5時20分にパクセに着いた。
降車した私を含む4人の外国人とひとりのラオス人が、ソンテオに乗り込み町の中心部に向かった。
そこで、スイス人学生エレンと言葉を交わしたのだった。
私やエレンと目を合わそうともしない旅なれない風のふたりのドイツ人は、大きなホテルの前でおろされひとり2万キップを請求されていた。
私とエレンは1万キップなのに、ラオス人はなかなか世知辛い。
風邪を治すことを優先して、私は温水シャワーつきの「タルーアンゲストハウス」(7ドル)に投宿することにした。
学生のエレンは、一泊2ドルの安宿へと向かった。
*
シャワーを浴び、宿の前の食堂に行くが、おばばがまったく愛想がない。
ラオスの女は、どうしてこうなんだろう?
タイの食堂で、私はこんな不愉快な思いをしたことがない。
やむなく歩を進めると、にぎやかな食堂を見つけた。
なんと、ラオス版の「ムカタ(ジンギスカン鍋としゃぶしゃぶをミックス)」で、ここも大繁盛だ。
人の熱気と「ビアラオ・キャンペーンガール」(繁盛店を手伝ってビールの販促にひとやく買う)の笑顔に吸いこまれるように席に着き、大汗をかきながら大量の野菜と豚肉を食したことは言うまでもない。
昨夜はほとんど回復したかと思ったのだが、今朝になると痰がらみの咳が出始めた。
サワンナケットで買った風邪薬が切れたので、朝からここパクセの町を歩き回った。
宿で聞いたとおりに歩くのだが、なかなか見つからない。
通りの雑貨屋で聞くと、別の方向を示す。
その方向に歩いても歩いても、薬屋はない。
汗だくになって角のクリニックに飛び込むと、薬屋までは50分かかるという。
英語の発音に癖があるので訊きなおすと、紙に「50」としっかり書いてくれた。
なんだかぐったりして、とりあえずヌードルを食べることにした。
ラオスでは、人々とコミュニケートするのがなかなか難しい。
英語普及率の問題だけではなく、ホスピタリティに欠けるのである。
タイでは、たとえ英語が通じなくても態度やジェスチャーでなんとか理解しあおうという気風を感じたのだが、ラオスではそれがない。
これは、バスで一緒になったスイス人女学生エレンも言っていたので、決して私ひとりの決め付けではないと思う。
*
風邪をひいたのは、21日(月)である。
ナコーンパノムの宿のファンが壊れて、調整がきかなかったのである。
かといって、スイッチを切ると暑くて眠れない。
やむなく付けっぱなしにしたら、左の鼻と耳が痛くなりお決まりの諸症状が現れ始めた。
この日は対岸のタケークに戻って、この町を散策する予定だった。
しかし、実際にメコン川を渡ってイミグレーションそばの寺に詣でてみると、これ以上この町にとどまる理由もなくなってしまった。
雲行きも怪しくなり、通りかかったトゥクトゥクを拾うと「サワンナケートに行きたいんでバスターミナルに行ってくれ」と告げた。
運転手は最初、ソンテオの発着するローカルバスターミナルに向かったのだが、この体調でクッションのきかないソンテオは辛い。
そこで今度は長距離バス用のターミナルに向かい、30分後に発車する大型バスのチケットを購入した。
バスは定刻どおりに出発したが、開け放しのドアや窓から吹き込む風が強く、くしゃみがとまらない。
約2時間の移動で、風邪は完全に本格化してしまった。
サワンナケットのバスターミナルに着くと、すぐにトゥクトゥクを拾って目当ての宿に向かった。
だが、なんとガイドブックにも載っているその宿は閉鎖されており、やむなくメコン川沿いの「メコンホテル」に投宿した。
一泊9ドルとかなり高めだが、部屋は広くテレビもあり、シャワー室にはバスタブもある。
風邪を治すために休養するには、うってつけの宿だと判断した。
結局、この宿には4泊もして思いもかけぬ長逗留となったのだが、食事以外は薬をのんでひたすら部屋に垂れ込めるという生活には、やはりこの宿は最適だった。
*
昨日25日(金)になっても、やはり咳は治まらなかった。
だが、もうこれ以上ここに留まりたくはなかった。
意を決して荷物をまとめ、宿から徒歩5分のイミグレーションに向かった。
ところが、係官が「タイ人とラオス人以外は船ではタイ側に渡れない」という。
理由を尋ねても、彼はそれ以上の英語がしゃべれず「済まない。とにかく、バスに乗って橋を渡ってくれ」とだけ繰り返す。
対岸には「ムクダハーン」というなんだか魅力的な響きの町が広がっているのだが、ビエンチャンのときと同様にバスで橋を渡る気にはなれない。
ここで、「タイ・ラオス間で開かれた5箇所の国境のうち3つの国境を船で超える」という私の目論見は完全に崩れてしまった。
そのままバスターミナルに向かい、ムクダハーン行きの国際バスではなく、ラオス南部の中心地パクセー行きのチケットを買った。
とにかく今は、前に進みたい気分だった。
12時40分に発車したバスは、途中で大量のにんにくを屋根に積み込むなど、きわめてのんびりと運行し、午後5時20分にパクセに着いた。
降車した私を含む4人の外国人とひとりのラオス人が、ソンテオに乗り込み町の中心部に向かった。
そこで、スイス人学生エレンと言葉を交わしたのだった。
私やエレンと目を合わそうともしない旅なれない風のふたりのドイツ人は、大きなホテルの前でおろされひとり2万キップを請求されていた。
私とエレンは1万キップなのに、ラオス人はなかなか世知辛い。
風邪を治すことを優先して、私は温水シャワーつきの「タルーアンゲストハウス」(7ドル)に投宿することにした。
学生のエレンは、一泊2ドルの安宿へと向かった。
*
シャワーを浴び、宿の前の食堂に行くが、おばばがまったく愛想がない。
ラオスの女は、どうしてこうなんだろう?
タイの食堂で、私はこんな不愉快な思いをしたことがない。
やむなく歩を進めると、にぎやかな食堂を見つけた。
なんと、ラオス版の「ムカタ(ジンギスカン鍋としゃぶしゃぶをミックス)」で、ここも大繁盛だ。
人の熱気と「ビアラオ・キャンペーンガール」(繁盛店を手伝ってビールの販促にひとやく買う)の笑顔に吸いこまれるように席に着き、大汗をかきながら大量の野菜と豚肉を食したことは言うまでもない。